そんなことを言ったのは、『ヒカルの碁』の倉田厚七段だった。
将棋にかぎらずアスリートの世界では、たとえどんな地位を築こうとも「下から」来た、新時代の旗手との対決は避けられない。
その「コワイ奴」は若さと勢いに後押しされ「上」の存在を脅かすが、王者もみすみすやられるわけにはいかず、その流れに抵抗し、ときには押し返すこともあるのだ。
たとえば谷川浩司九段は、一時期は四冠王と隆盛をきわめながら、羽生善治九段にコテンパンに負かされ、まさかの「七冠王」の引き立て役に。
そのどん底から「竜王名人」を奪い返し、「十七世名人」となって返り咲いたことがある(その将棋はこちら)。
その羽生善治九段も「永世七冠」をかけた渡辺明竜王との「100年に1度の大勝負」を3連勝からの4連敗で落とし(そのシリーズはこちら)、そこから9年かけて、やはり渡辺を相手にして、宿願を果たしたこともあった。
かつての大名人である、大山康晴十五世名人もそうで1972年、49歳のときの名人戦で「若き太陽」中原誠に敗れる(そのシリーズはこちら)。
2年後のリベンジマッチでも「往復ビンタ」を喰らったが、1986年の名人戦で、みたび中原への挑戦権を獲得。
というと、
「あれ? 1972年、1974年ときてからの、1986年って、なんかそれ、数字おかしくね?」
いぶかしむ人も、おられるかもしれないが、その違和感は正しい。
なんと大山は、このシーズンで御年63歳。
ふつうは60を超えれば、どんな元A級、元タイトルホルダーでも、BクラスやCクラスに落ちてしまうものだが、大山はどーんと名人戦に登場。
しかも、このときはガンでの休場から、復帰したばかりのシーズン。
戻ってきたはいいが、まともに将棋を指せるのかすら心配されたところを、A級順位戦では見事な快走を披露。
なんと、最終戦をむかえたところで6勝3敗(この期のリーグは休場していた大山の参加で11人になっていた)と、加藤一二三九段と並んでトップタイの成績をマーク。
最終戦こそ落としてしまったものの、加藤も敗れたためプレーオフに突入し、その第1戦では加藤に再び勝利。
続く最終決戦では勢いにのっていた米長邦雄十段・棋聖を、まさかの「飛び蹴り」一発で制し(その将棋はこちら)、63歳での大舞台。
ちなみに、大山は前年には、早指しのNHK杯で優勝し、数年後は66歳で棋王戦の挑戦者になっている。
なんなのこの人は? まさに、バケモノとしか言いようのない「将棋の鬼」である。
ただ、本番の七番勝負は、意外と星が伸びなかった。
さすがに年齢的にも体調的にも、2日制の番勝負はキツかったのかもしれないが、それよりもやはり、中原の強さと、また相性の悪さもあった。
大山と中原の対戦成績は、通算で大山から見て55勝107敗。
もちろん中原の強さが別格なのはたしかだが、二上達也(116勝45敗)、加藤一二三(78勝47敗)、内藤國雄(50勝18敗)といった強豪相手に、圧倒的に勝ち越していることを考えると、これはあまりに偏っていると言えよう。
それは第1局から、あらわれてしまう。
後手の大山が、いつもの振り飛車にすると、中原は居飛車穴熊に。
今でこそ、イビアナといえば、だれでも指すメジャーな戦法だが、当時では
「邪道な戦い方」
という偏見にさらされており、
「見ていて、つまらない」
「志が低い」
「こんなことをしていては強くなれない」
と言われ、場所によっては「禁止令」も出たくらいだから、時代の常識というのは、おそろしいものである。
もちろん、みながヤイヤイ言ったのは、穴熊が優秀だったからで(今、AIにいろいろ言う人と同じですね)、ここでも中原の戦い方が光った。
図は中盤戦。大山が△83銀と引いたところ。
双方、ガッチリと囲って、これからに見えるが、ここで先手からすごい攻め筋があった。
▲74歩と、いきなりタタくのが強手。
△同銀と取られて、なんでもなさそうだが、そこで▲74同飛(!)と切り飛ばすのが、穴熊流の強襲。
△同金に▲75歩で、金の逃げ場がむずかしい。
△65金は▲74歩、△51角に▲65銀と取って、△同歩と取り返せない。
△85金も、やはり▲74歩で、△51角に▲64角で攻めが止まらないし、なにより△85の金がヒドすぎる。
そこで大山は△65歩と切り返す。
これがうまい手で、▲74歩には△46角と、逃げながら角が取れる。
かといって、▲73角成は△同金引がピッタリで、なにをやっているのか、わからない。
さすがは「受けの大山」と感心するところだが、ここで中原は、さらにこれを上回る手を用意していた。
▲55銀と出るのが、「次の一手」のような絶妙手。
△同歩は角道が止まるから、▲74歩と取られる。
△75金と取るしかないが、そこで▲64銀と進軍して、駒損が取り返せる形。
それでも大山は、先手の攻めは無理筋とみて、なんなり受け止められると読んでいたそうだが、△74金、▲73銀成、△同桂に▲53角と打ったのが好手。
ボンヤリした手だが、▲31角成や▲75銀のような攻めが、存外受けにくく、△43の銀が使えてないのも痛くて、すでに後手が苦しい。
△42銀のような受けにも、▲64角行とつなぐなど、ゆるいようで、これが全然ふりほどけない攻めなのだ。
これこそ、まさに穴熊の強みである「固い、攻めてる、切れない」。
この角には大山も脱帽で、以下中原は穴熊の遠さを生かして、確実に勝利。
第2局も中原が制し、第3局こそ大山が会心の受けを披露し、一矢報いたが、そこからまたも連敗で復位はならなかった。
結局、大山は中原から、名人位を奪い返すことはできず、この七番勝負が最後の名人戦となったのであった。
(63歳で名人挑戦権を獲得した「大雪の決戦」はこちら)
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