63歳の挑戦者 中原誠vs大山康晴 1986年 第44期名人戦 第1局

2022年05月20日 | 将棋・好手 妙手

 

 

 

 そんなことを言ったのは、『ヒカルの碁』の倉田厚七段だった。

 将棋にかぎらずアスリートの世界では、たとえどんな地位を築こうとも「下から」来た、新時代の旗手との対決は避けられない。

 その「コワイ奴」は若さ勢いに後押しされ「上」の存在を脅かすが、王者もみすみすやられるわけにはいかず、その流れに抵抗し、ときには押し返すこともあるのだ。

 たとえば谷川浩司九段は、一時期は四冠王と隆盛をきわめながら、羽生善治九段にコテンパンに負かされ、まさかの「七冠王」の引き立て役に。

 そのどん底から「竜王名人」を奪い返し、「十七世名人」となって返り咲いたことがある(その将棋はこちら)。

 その羽生善治九段も「永世七冠」をかけた渡辺明竜王との「100年に1度の大勝負」を3連勝からの4連敗で落とし(そのシリーズはこちら)、そこから9年かけて、やはり渡辺を相手にして、宿願を果たしたこともあった。

 かつての大名人である、大山康晴十五世名人もそうで1972年49歳のときの名人戦で「若き太陽」中原誠に敗れる(そのシリーズはこちら)。

 2年後のリベンジマッチでも「往復ビンタ」を喰らったが、1986年の名人戦で、みたび中原への挑戦権を獲得。

 というと、

 

 「あれ? 1972年、1974年ときてからの、1986年って、なんかそれ、数字おかしくね?」

 

 いぶかしむ人も、おられるかもしれないが、その違和感は正しい。

 なんと大山は、このシーズンで御年63歳

 ふつうは60を超えれば、どんな元A級、元タイトルホルダーでも、BクラスやCクラスに落ちてしまうものだが、大山はどーんと名人戦に登場。

 しかも、このときはガンでの休場から、復帰したばかりのシーズン。

 戻ってきたはいいが、まともに将棋を指せるのかすら心配されたところを、A級順位戦では見事な快走を披露。

 なんと、最終戦をむかえたところで6勝3敗(この期のリーグは休場していた大山の参加で11人になっていた)と、加藤一二三九段と並んでトップタイの成績をマーク。

 最終戦こそ落としてしまったものの、加藤も敗れたためプレーオフに突入し、その第1戦では加藤に再び勝利

 続く最終決戦では勢いにのっていた米長邦雄十段・棋聖を、まさかの「飛び蹴り」一発で制し(その将棋はこちら)、63歳での大舞台。

 ちなみに、大山は前年には、早指しのNHK杯優勝し、数年後は66歳棋王戦挑戦者になっている。

 なんなのこの人は? まさに、バケモノとしか言いようのない「将棋の鬼」である。

 ただ、本番の七番勝負は、意外と星が伸びなかった。

 さすがに年齢的にも体調的にも、2日制の番勝負はキツかったのかもしれないが、それよりもやはり、中原の強さと、また相性の悪さもあった。

 大山と中原の対戦成績は、通算で大山から見て55勝107敗

 もちろん中原の強さが別格なのはたしかだが、二上達也(116勝45敗)、加藤一二三(78勝47敗)、内藤國雄(50勝18敗といった強豪相手に、圧倒的に勝ち越していることを考えると、これはあまりに偏っていると言えよう。

 それは第1局から、あらわれてしまう。

 後手の大山が、いつもの振り飛車にすると、中原は居飛車穴熊に。

 今でこそ、イビアナといえば、だれでも指すメジャーな戦法だが、当時では

 

 「邪道な戦い方」

 

 という偏見にさらされており、

 

 「見ていて、つまらない

 「志が低い

 「こんなことをしていては強くなれない

 

 と言われ、場所によっては「禁止令」も出たくらいだから、時代の常識というのは、おそろしいものである。

 もちろん、みながヤイヤイ言ったのは、穴熊が優秀だったからで(今、AIにいろいろ言う人と同じですね)、ここでも中原の戦い方が光った。

 

 

 

 図は中盤戦。大山が△83銀と引いたところ。

 双方、ガッチリと囲って、これからに見えるが、ここで先手からすごい攻め筋があった。

 

 

 

 

 

 ▲74歩と、いきなりタタくのが強手。

 △同銀と取られて、なんでもなさそうだが、そこで▲74同飛(!)と切り飛ばすのが、穴熊流の強襲。

 △同金▲75歩で、金の逃げ場がむずかしい。

 

 

 


 △65金は▲74歩、△51角に▲65銀と取って、△同歩と取り返せない。

 △85金も、やはり▲74歩で、△51角に▲64角で攻めが止まらないし、なにより△85の金がヒドすぎる。

 そこで大山は△65歩と切り返す。

 

 

 これがうまい手で、▲74歩には△46角と、逃げながら角が取れる。

 かといって、▲73角成△同金引がピッタリで、なにをやっているのか、わからない。

 さすがは「受けの大山」と感心するところだが、ここで中原は、さらにこれを上回る手を用意していた。

 

 

 

 

 ▲55銀と出るのが、「次の一手」のような絶妙手

 △同歩は角道が止まるから、▲74歩と取られる。

 △75金と取るしかないが、そこで▲64銀と進軍して、駒損が取り返せる形。

 それでも大山は、先手の攻めは無理筋とみて、なんなり受け止められると読んでいたそうだが、△74金、▲73銀成、△同桂に▲53角と打ったのが好手。

 

 

 

 ボンヤリした手だが、▲31角成▲75銀のような攻めが、存外受けにくく、△43の銀が使えてないのも痛くて、すでに後手が苦しい

 △42銀のような受けにも、▲64角行とつなぐなど、ゆるいようで、これが全然ふりほどけない攻めなのだ。

 

 

 

 これこそ、まさに穴熊の強みである「固い攻めてる切れない」。

 この角には大山も脱帽で、以下中原は穴熊の遠さを生かして、確実に勝利。

 第2局も中原が制し、第3局こそ大山が会心の受けを披露し、一矢報いたが、そこからまたも連敗で復位はならなかった。

 結局、大山は中原から、名人位を奪い返すことはできず、この七番勝負が最後の名人戦となったのであった。

 

 


 (63歳で名人挑戦権を獲得した「大雪の決戦」はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 


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