「日本語英語が標準英語になったら、すごい楽なのになあ」
なんてことを考えてしまうナマケモノ語学学習者は不肖この私である。
語学の話題は好きだが、英語(特に米語)に好奇心の針が向かない身としては、
「ここはあえてインド英語を学んでみる」
なんて変化球で勝負したくなるが、そこまで言うならいっそ、こんなことすら考えてしまうわけだ。
「もう、日本語英語が通じる時代を作ればいいのではないか」
きっかけは、インド人への街頭インタビューの動画。
そこで「インドの英語はなまっていると言われますが」というイジリに対して、こう答えているのだ。
「実はこれが正しい英語なんだよ」
これには思わず「おお」と声が出た。
続けて他のインド人も、
「僕たちのアクセントの方が優れているよ」
「彼らはわれわれから英語を学ぶべきだよ。彼らの英語はファニーだ」
オレ様達の英語の方がスゴイぞ、と。
またもや「うーむ」という深い息を吐く。
インドの方々が本気でそう思っているのか、それともムキになっているだけなのかはわからないが、この発想はおもしろいと思った。
これが日本人なら、英語人に「なまっている」と言われたら、黙りこんでしまったり、深く傷ついて自信を無くしたり、ネットで逆ギレして大暴れしたりするのではないか。
そこを堂々と、
「え? 俺たちインド人の英語の方が正しいんだから、お前らが従えよ」
中華思想も真っ青のインド俺様っぷり。
いや、なんか、よくわかんないけど、じゃあオレたちもこれでいんじゃね? という気にはさせられたのだった。
「日本人の英語ってなまってるよね」
「そうかな。でも、こっちの方がわかりやすいよ。リンキングとかしないから、すっと耳に入ってくるもの」
くらいの態度でいいのかもしれない。
将棋の羽生善治九段の英語だって、ネイティブみたいに流暢ではないけど、普通に通じてるしね。
ええやん、これで。
これに感動した私は、これからは日本語英語に対してはインド人のごとく、
「いや、こっちの方が正しい英語だから」
と反応することにした。
「英語ができなくてダメだ」と落ち込むくらいなら、いっそこれくらい開き直ってしまった方がいいと思うが、どうでしょう。