「さばきのアーティスト」久保利明は、ねばりも一級品である。
振り飛車を得意とする棋士というのは、独特の粘着力のようなものを標準装備しているものだが、中でも久保利明九段のそれは、かなりのもの。
前回は執念でもぎ取った深浦康市の初タイトルを紹介したが(→こちら)、今回は久保の強靭な足腰を見ていただきたい。
2007年度の第55期王座戦。
羽生善治王座に挑戦したのは久保利明八段だった。
羽生の2連勝でむかえた第3局。
先手になった久保の藤井システムに、羽生は△64銀型の急戦。
攻め合いになるのを見越して、さっと米長玉にかまえた羽生の趣向が興味深い序盤戦だったが、仕掛けてからは一気に激しくなった。
中盤戦。
飛車と桂の交換なうえに金も取れそうで、振り飛車が大きな駒得だが、後手の攻めも先手陣の最急所にせまっている。
もともと低い陣形の美濃囲いは△36のコビンが弱点だが、そこに桂馬が跳んできているだけでなく、銀の援軍に角のラインもあって、二重三重に圧がかかっている。
受けがむずかしいどころか、すでに倒れていてもおかしくない局面だが、こういうところを持ちこたえるのが、振り飛車党の「腕の見せ所」だ。
▲18金、△57銀成、▲37歩(!)。
▲18金はこれしかないが、△57銀成と詰めろで飛びこむ筋があるから、無理だと捨ててしまいそうなところ、時間差で▲37歩と穴をふさいで耐えている。
ただ、見るからに危ない形で、「ホンマに受かってるん?」とドキドキしてしまう形だ。
羽生は△58成銀と取って、▲同金に△57金とかぶせる。
取れば言うまでもなく、△48銀で詰み。
▲47角成は△58金、▲同馬、△48金、▲同馬、△同桂成、▲同玉に△68銀と打つのが、△66角からの詰めろ飛車取りで攻めが続く。
こうなると、後手の米長玉が光って見える。これまた、どうやって守るのか1手も見えないが、久保はまたもギリギリでしのぐのだ。
▲36歩、△58金、▲49歩(!)。
激しい空襲で屋根が吹っ飛んでいるが、この「掘っ立て美濃」のような形で、まだ寄りはない。
飛車は取られるが、△69金とソッポに行ってくれると、先手は急に呼吸が楽になるので、▲41とのような手もまわってきそう。
だが羽生もさるもので、次の手がなんと△68歩(!)。
金がはなれては勝てないと見て、タダで取れる飛車を、わざわざ1手よけいにかけて確保しにいく。
なんちゅう手なのか。
そりゃ、意味を説明されればわからなくもないけど、それにしたってなかなか指せないよ。
手番が来た久保は、ここで待望の▲41と。
歩を打たせたこのタイミングで、あえて飛車を逃げる手もあったが、勢いは金を取りたいところでもある。
△69歩成に、▲37銀打と埋め、後手も△22銀といったん自陣に手を入れたところに▲16歩と天窓を開いて、まだまだ耐えられる。
シビれるようなねじりあいで、こういうやり取りがたっぷり見られるから、羽生-久保戦というのは、一度味わったらやめられないのだ。
そこからも超難解な終盤戦が続き、控室の検討では久保勝ちではという評判だったそうだが、いやそうでもないという声もあり、正直むずかしすぎてよくはわからない。
ただ、最後に抜け出したのは羽生だった。
途中、△25金や△14歩といった、羽生らしいアヤシげな手が出るなど雰囲気が出まくる中、「詰めろのがれの詰めろ」をめぐるギリギリの切り返しが飛び交うとか、久保から最後に幻の絶妙手があったり、もうわけわかんないんだけど、とにかく勝負が決まったのはこの局面。
久保は▲57角の王手から、最後の突撃をかける。
もし詰みがなくても、どこかで▲48角と金をはずす手があって勝ちがありそうだが、ここで後手から「次の一手」のような決め手があった。
△46桂と中合するのが、作ったようにきれいな手。
▲48角は△38飛成で詰み。
▲46同角と取るしかないが、△35銀と打って詰みはなく先手玉は必至。
久保は▲35同角から王手ラッシュをかけるが、羽生は冷静に対処し、王座防衛で16連覇を達成したのだった。
(羽生善治と森内俊之の名人戦編に続く→こちら)
(久保の軽やかな桂使いは→こちら)