木村一基九段が王位戦の挑戦者になった。
挑戦者決定戦で戦ったのが羽生善治九段で、タイトル100期、豊島将之三冠との新旧王者対決と、相手に注目が集まる中で、勝ち切ったのは見事の一言。
本人は「4連敗もあるかも」なんて言ってたけど、王位リーグでは稲葉陽八段、阿久津主税八段という強敵に勝利。
前期王位の菅井竜也七段には、リーグ戦とプレーオフで「往復ビンタ」を食らわせる。
9期ぶりのA級復帰も決め、この勢いなら豊島将之王位も、そう簡単には行かないと気を引き締めているのではあるまいか。
ということで、前回は木村一基がはじめてA級にあがった「ど根性」な将棋を紹介したが(→こちら)、木村九段といえば思い出すのが、デビュー時の鮮烈な勝ちっぷりであった。
17歳で三段に上がり、毎期のように昇段争いにからみながら、そこから四段昇段までに6年半もかかってしまった苦労人。
三段リーグの風通しの悪さには毎度、本当にうんざりさせられるが、木村の場合ホッとしたのは、その後この停滞に、お釣りがくるほどの勝ちっぷりを見せてくれたことだ。
デビューから長く高勝率を続け、通算勝率が7割超えていたのは羽生と木村だけというのは、当時よく話題になっていたこと。
そんな木村の将棋が、まずクローズアップされたのが、1999年、第57期C級2組順位戦の9回戦。
今では藤井聡太七段の師匠としてすっかりおなじみの、杉本昌隆五段との一戦だ。
木村四段にとっては2期目のリーグだが、ここまで8連勝でトップを快走している。
一方の杉本も7連勝しながら、ひとつ前の7回戦では、行方尚史五段との全勝同士の決戦に敗れて1敗。
ただし順位が2位というのが大きく、まだ自力圏内。
つまりこの一番は勝った方がほぼ昇級決定という、双方とも死んでも勝ちたい鬼勝負なのだ。
特に実力は認められ、毎年のように昇級候補に上がりながら、すでに8期も足止めを食らっている杉本(こっちのリーグも息苦しすぎだ……)からすれば期するものはあったろうが、木村はこの大一番で見事な将棋を見せる。
このころの木村で話題になっていたのが、おなじみの受けの強さと、もうひとつ居飛車穴熊全盛の時代に、対振り飛車で急戦を得意としていたこと。
「ひふみん」こと加藤一二三九段も愛用する棒銀のような急戦策は、一見破壊力が武器に見えて、実はじっくりとポイントをかせいだり、押さえこみに行ったりする展開になりやすい。
玉も薄いので、攻めと見せてその内実は、受けが強くないと指しこなすのは難しいのだが、それが木村の棋風にピッタリと合っていたようなのだ。
取り上げられていたのが、この局面。
木村の急戦から戦いが起こり、杉本が△29飛とおろしたところ。
飛車交換に成功し、しかも先にそれを敵陣に打ちこんでいるのだから、一目は振り飛車がさばけ形のはずである。
だが、次の手が地味ながら好手だった。
▲66歩と突いて、居飛車が優勢。
この歩が玉のフトコロを広げながら相手の角道を遮断。
さらには美濃囲いのコビン攻めもうかがうという、急戦党なら絶対おぼえておきたい、すこぶるつきに味の良い手なのだ。
これで、振り飛車側におどろくほど有効手がない。
△63金、▲46角、△36歩に▲45桂と軽やかにさばかれて、△42歩と謝るのではつらい。
先手陣の、のびのびとした形を見れば、いかに居飛車がうまく指しているか伝わってくる。
以下、木村四段が圧倒して、早々にC1昇級を決めたのだった。
実力者である杉本を、この内容で押し潰したのだから、すごいものだ。
木村の対振り飛車戦でもうひとつ有名なのが、2002年の新人王戦決勝3番勝負。
対するのは鈴木大介七段。
1勝1敗でむかえた決着局。後手の鈴木大介がゴキゲン中飛車にして、早くも中央から動いていく。
後手が3筋を突き捨ててから、△44角と引いたところ。
次に△35角と王手されると、5筋のタレ歩が大きく、△36歩の桂頭攻めもあり突破されそう。
対応が難しそうだが、「受けの木村」はここから、力強く迎え撃つのである。
(続く→こちら)