「手を渡す」ことが、将棋ではいい手になることがある。
双方とも指す手が難しかったり、また不利な局面で相手を惑わせたりするため、あえて1手パスするような手で手番を渡す。
私のような素人がやると単に1ターン放棄しただけになり、ボコボコにされるだけだが、強い人に絶妙のタイミングでこれをやられると、ムチャクチャにプレッシャーをかけられる。
そういう混乱と恐怖を生み出す手が抜群にうまかったのが、昭和なら大山康晴十五世名人、平成では羽生善治九段だった。
2000年の第48期王座戦。藤井猛竜王が羽生善治王座から2-1とリードを奪っての第4局。
激戦のさなか、△65桂の存在や馬の質駒など様々な懸案材料のある中、じっと端に味をつけるのが「羽生の手渡し」。
1手の価値があるか微妙なところだが、これで相手を惑わせ、プレッシャーのかかるカド番の将棋をはね返した。
前回はC級1組順位戦で、ベテラン剱持松二七段にまさかの敗北を喫した将棋を紹介したが、今回は羽生将棋から意表の「手渡し」を見ていただきたい。
ただし主役になるのは彼の方ではなく……。
1990年の第49期B級2組順位戦。
羽生善治竜王と吉田利勝七段の一戦。
羽生といえば、のちに24歳で名人になるがC2、C1とそれぞれ1期ずつ足止めを喰らうなど、それまでの道程では意外な苦労があった。
このB級2組でも、ちょうど初タイトルの竜王を獲得したこともあって、
「今度こそ1期抜け」
期待は高まるが、初戦で伏兵の前田祐司七段に敗れてしまう。
順位下位ということもあって、早くも剣が峰に立たされた羽生だが、続く第2戦でも大苦戦を強いられるのだ。
吉田の先手で始まった将棋は、相掛かりで▲36銀と出る形から中盤で千日手に。
先後入れ替えで指し直しになったが、羽生は先手を得たものの、持ち時間は1時間と吉田は3時間9分で差があり、一概に得ともいえないところ。
「序盤は飛ばして行こう」と意識していた羽生に、吉田がいきなりワザをかける。
それがこの局面。
まだ序盤のなんてことないところだが、ここで吉田は羽生をして、
「私には100年考えても思い浮かばない着想です」
そう言わしめた手順を披露する。
△86歩、▲同歩、△同飛、▲87歩、△84飛。
この図を上のものと見比べていただきたい。
そう、なんとこの両局面、まったく同じ形なのである。
違うのは手番が後手から先手に移っただけ。つまり、この局面の吉田は一手パスしたわけなのだ。
将棋のテクニックにおける一手パスは、パスではあるけど端歩を突いたり、遊び駒を動かしたりと、
「手番は渡すけど、いい手でとがめられないと次は一気に行きますよ」
といったような無言のプレッシャーをかけるものが多い。
後手から次に△65歩、△75歩、△86歩、△49角など様々な攻め筋があるところ、堂々と「やっていらっしゃい」と。
どっこい、この吉田のパスはそういったかけ引きや、意味があるのかどうかも不明な、まさに純正一手パス。
こんな手が、果たしてあるのだろうか。
「一手パス」による駆け引きを大きな武器とする、あの羽生が困惑するのだから、本当に不思議な手順。
羽生は▲87歩と打つ前にトイレに立ったそうだが、単なる尿意だけによるものではなかったはずだ。
ただこれこそが、57歳のベテラン吉田利勝の見せたワザだった。
吉田は先手なら相掛かり、後手なら横歩取りの空中戦に独特の感覚を発揮する異能派で、その指しまわしは「吉田スペシャル」と恐れられていた。
そのスペシャリストからすれば、ここで先手に有効手がないというのが見えていたわけで、現に羽生本人も、
「指されてみて自分の指す手が難しいので、二度ビックリ」
そう、羽生はすでに罠にかかっていたのだ。
手番を生かすべく、羽生は▲75歩と伸ばすが、吉田は△54飛から△24飛とゆさぶりをかけ(またも一手損!)、△42角と引いて▲75の歩をねらいに行く。
「一手パスして、相手に指させた手を時間差でとがめに行く」
という、のちの一手損角換わりなどに共通する手管だ。
(続く)