前回(→こちら)の続き。
1992年、第5期竜王戦は、谷川浩司竜王・棋聖・王将が、羽生善治王座・棋王を、2勝1敗とリードして第4局をむかえた(第1回は→こちらから)。
全体的に、谷川が押し気味の前半戦だったが、この将棋も中盤で優勢になる。
ここで△45桂と跳ぶのが好手で、そうやれば順当に後手が、押し切っていた可能性が高かった。
ところが谷川は、なぜかこれが見えなかった。
代わりに選んだのが、この後長く後悔を生むことになる手で、△57と、と捨てたのが疑問手。
▲同金に△75歩と、薄くなった角頭を攻めていく。
きびしいようだが、▲同歩、△28飛に▲76銀と埋められると、これが好形で、先手玉が引き締まってしまった。
これには控室でも、
「谷川が変調ではないか」
首をかしげたらしいが、たしかにこれは優位を自らフイにする、おかしな手順。
その後、谷川が羽生にやられるパターンに、こういう不可解な流れというのが頻出する。
急がずとも、落ち着いて指せば勝てるところを、あせって踏みこんで、おかしくしてしまう。
ならばと丁寧に辛く指せば、それが緩手になり、逆襲をゆるしてしまう。
そういう、なんともちぐはぐな戦いで、自滅のような、くずれ方をしてしまう。
谷川の強さを知ってる者は皆、もちろん羽生が化け物であることは承知ながら、それでも「光速の寄せ」がそれに劣るとも、どうしても思えないところがある。
なにか実力以外のところで、差がついてしまっている気がして、ならないのだ。
こういったことは谷川も自覚的で、この「△57と」をはじめとする乱れを、
「見えないなにかに、おびえていたとしか思えない」
そういった表現で語っておられたが、その「なにか」が羽生の本当の恐ろしさか。
この将棋も、まだむずかしそうだったが、後手に飛車を捨てる自爆のような手が出て、ついに形勢逆転。
体が入れ替わったあとは、羽生が冷静に事を進め、終盤は▲24桂と打つカッコイイ決め手が出る。
△同歩は▲23歩とたたいて、▲35桂の筋があるから寄り。
この天王山ともいえる第4局を、らしくない手で落とした谷川は第5局も敗れて、先に王手をかけられてしまう。
カド番の第6局では、
「これぞ谷川浩司の終盤!」
という、すごい踏みこみを見せて快勝しフルセットまで持ちこむが(→こちらの2局目参照)、最終局では難解な戦いを羽生が制して、ついに竜王を奪われてしまった。
第7局の終盤戦。
攻防の角に谷川は△59飛、▲88玉を利かしてから、△54桂と受ける。
角道を遮断しながら、△66桂を見せて良さそうに見えたが、これが敗着で、△43角と合わせれば後手が優勢だった。
以下、羽生は角を▲67に転換し、▲23銀からラッシュして勝ちを決めた。
これで羽生と谷川のタイトル数が入れ替わった。
三冠と二冠が、二冠と三冠に。
さらに同時進行だった棋王戦でも、これまたフルセットの末、羽生が谷川の挑戦をしりぞけて防衛に成功。
これを谷川が制していれば、タイトルが振り替わっただけで、棋界勢力図はそうは変わらなかったろう。
そこを防衛戦と挑戦の両方で「往復ビンタ」を食らったのは、イメージ的にも痛かった。
これ以降、谷川は羽生を明らかに苦手とし、タイトル戦でシリーズ7連敗。
ついには七冠制覇を目の前で、ゆるしてしまうという屈辱も味わうことになり、そこから長い長い「羽生時代」が続いていくことになるのだ。