「男前や美人は退屈」
という偏見の具体例として、前回(→こちら)まで、
「聞こえていないギャグですら、笑いを取れる」
という「男前パワー」の、すさまじさを見せてくれた、クラスメートのタカツ君の話をした。
見た目のいい人気者は、女子が「彼をたたえたい」から、なんでも笑ってくれる。
世に数多(最近では関西以外でも)いる
「オレはおもしろい」
「自分には笑いのセンスがある」
と信じている男子諸君は、一度自分がウケているのが、果たして実力か、それとも「地形効果」によるものか、検討してみるのが吉ではないか。
さて、ここまでは男の特権階級の盲点について語ってきたが、逆もまた真なりというか、これは女性側にも当てはまることは多い。
そう、美人は退屈な人が多い。
私は美人が苦手である。
というと、
「ブス専ってこと?」
「好感度を上げようと無理するなよ」
なんてつっこまれそうだが、単純にしゃべっても、あまりおもしろくないからだ。
理由も、男と同じ。
ビジュアルというアドバンテージがある子というのは、周囲から必然ちやほやされる。
おそらく、それはイケている男以上の、持ち上げっぷりであろう。
となると、わざわざ自分からアクションを起こさなくても、周りが蝶よ花よと、全部やってくれる。
そのおかげで、
「自分は別に、人にサービスしなくてもいいのだ」
という姿勢に、自然となってしまっているのだ。
男も女も、顔がいい人というのは
「思ったことを、ありのまま言う」
ということが通じやすい。
賞賛の声も、単純な物欲も、笑ってほしいギャグも、趣味嗜好に、その他もろもろの多くが、
「かっこいい」
「かわいい」
だけで、ストレートに通りやすい。
だから、世の中のことを
「いわれたまま」
「素直」
に受け取って、疑問に思わない人が多い。
彼ら彼女らは、世界に祝福されて育つのだ。人生の「シード権」を、手に入れているといってもいい。
ゆえに、そこにひねりや、工夫はいらない。
いやそもそもが、そんなものが必要とは、思いもつかないのだ。
それを「リアルが充実」と取るか、「棒球しかなくて退屈」と取るかで、大きく評価が分かれるのだろう。
これはもう個人的嗜好としか言いようがないけど、やはり私は素直な人より、ちょっと屈折や屈託がある人が、好きなんです。
クラスで目立たないけど、話してみたら、映画とか音楽とかに無茶苦茶くわしくって、放課後実はバンドやってたり。
マンガ描いてたりとか、ラジオのハガキ職人だったり、詰将棋作家だったり。
「え? おまえって、そんなおもしろいヤツやったん? 教えといてくれよー」
なんて、おどろかされる子、みたいな。
もちろん美人は、見るだけなら眼福だが、そこが第一条件にはならないというか、
「見た目がよくて、普通のことを言う人」
になると、これは苦手となってしまう。
実際、学生のころバイト先で、ファンクラブができるくらいに、かわいいお姉さんが、働いていたことがあった。
幸運なことに、一度2人だけで、お昼ご飯を食べる機会を得たことがあったのだが、これがおどろかされた。
席に着いたとたん、ニッコリとしただけで、一言もしゃべろうとしないのだ。
それは嫌がらせとか、こちらに退屈しているとかではない(それだったら話はわかりやすい)。
彼女のまぶしい笑顔には、ただただ邪気なく、
「さあ、これからの食事の時間、あなたはあらゆる努力でもって、わたしを楽しませてくれるのよね?」
そう書いてあったのだ。その、
「もう、おはじめになっても、よろしいですのよ」
とでもいいたげな笑みに、私はただただ、苦笑するしかなかった。
モテる女って、すげーなー、と。
「美人は性格が悪い」
という人は、こういう態度にムカッとくるのだろうけど、悪気はまったくないのである。
こちらとしては、嫌いとか腹が立つとかじゃなく、ただただ、
「もう帰らせてください」
といったところでした、ハイ。
歯が抜けるくらい、つまんなかったよ、マジで。
以前あるテレビ番組で、お笑いコンビロザンの菅さんが、
「新垣結衣ちゃんねえ、ボクからしたら70点なんですよ」
と発言し、出演者や客席から「なんでー?」とブーイングを食らっていたことがあったけど、その理由というのが、
「だって、一緒におっても、なんにもしゃべることないでしょ、あの子」
これには、ガッキーのファンである私も、深く
「わっかるわあ」
うなずいたものであった。
絶対そうだよなあ。
あんなかわいかったら、わざわざ知恵をしぼって、ツイストの効いた発言しなくていいもの。
なので、私は昔から「リア充」な男女が、どうにも苦手。
若いころは「ねたんでるからかなあ」と思いこんでたこともあったけど、今は、
「刺激がない」
からなんだろーなーと、単純に理解している。