前回の続き。
「八冠王」をかけた王座戦決勝トーナメントで、村田顕弘六段の「村田システム」の前に大敗寸前の藤井聡太七冠。
こうなればもう村田のミスを頼むしか勝機がないが、最終盤、勝勢の局面で1時間以上を投入し指した手▲46角が「最善手」とあっては、後手の命脈も尽きた。
以下、△58香成、▲同玉、△18竜、▲48香、△38金、▲75香、△48金、▲69玉。
後手も懸命にせまるが先手玉に詰みはなく、後手陣は▲42銀からの詰めろが受けにくい。
なんとか、ねばる手を見つけられないかだが、△78歩成と成り捨ててから△74歩とか、△72香とかあっても、おそらくそれらの平凡な手は、あの1時間の大長考でつぶされているはず。
じゃあ、指す手ないじゃん。どうすんのよ?
なんのアイデアもなく見守るしかない私だったが、次の手にイスから転げ落ちそうになった。
△64銀。
なんじゃこりゃ。
タダだよ。いや、そりゃ△52から△63の逃げ道を開けて、▲64同角は△59金から△56香で詰みなのはわかるけど、それでもどういうことよ?
解説の千葉ちゃん同様パニックになったが、次の瞬間、私は盤面を見ながら笑いそうになってしまった。
「いや、これスゴイ手じゃん!」
同時に、こうも思ったわけだ。
「これ逆転するわ」
とかとか言っていると、
「そりゃ結果を知った今だから、そんなこと言えるだけでしょ」
「後づけ評論おつ〜」
なんてバカにされるかもしれないけど、これが本当にそう感じたわけなのだ。
いやこれは私だけでなく、なんだろうなあ、結構、長めに将棋というものを見てきた人とかなら、
「あー、うん。ちょっとね、わかるよ」
とか言ってくれるんじゃないかなあ。
理屈じゃないよ。けど、なんだろう、この感覚は。
とにかくこれは、実に「雰囲気の出た」手なのだ。
それこそ、かつての名棋士たちが、崖っぷちの土壇場でひねり出してきた様々な「魔術」のごとき。
この銀出は、おそらく多くの動画やコラムのサムネになるような
「歴史的絶妙手」
「神の一手」
「AI越え」
といったものではない(たぶん)。
実際、その後に村田が▲68銀、▲79玉と、すべり落ちない指し手を続けると、評価値は微動だにしなかった。
つまり、△64銀は決して「逆転の妙手」ではないのだ。
ただ、これも評価値の便利なところで、言葉になりにくい「雰囲気」を数値化してくれているのだが、ここまで局面は先手勝ちであり、しかも
「逆転しなさそう」
と感じたのは、AIの言う「最善手」以外の手を仮に村田が選んでいても、パーセンテージはほとんど変わらないはずだったから。
仮に次善手や、それ以下の手を指したとて落ちるのは3%とか、せいぜい7%で「焼け石に水」に過ぎなかったのだ。
ところがどうだろう。この△64銀からはそれが一変。
いや、もちろんそこから村田が最善手を続ければ、問題なく圧勝だったが、見るべきは2番手以降の手だ。
そう、この△64銀以降、最善手以外、その瞬間に評価値が急にマイナス20%とか30%とか降下するような手しか出てこなくなったのだ!
つまり、△64銀までの村田は文字通り、
「どうやっても勝ち」
だった。多少ミスはあっても、それこそ大駒をタダで取られるようなポカでもない限り、「70点くらいの手」だけでも勝てるはずだった。
だが、この銀出からは
「最善手は勝ち、でもそれ以外はすべての手が地獄行き」
という手探りのジャングル戦に、放り投げられたようなものなのだ。
秒読みの中「最善手オンリー」の勝勢など、あまりに儚いカラ手形に過ぎない。
地雷原の真ん中で、突然地図と照明を取り上げられて、
「暗くて道が見えなくても大丈夫でしょ。正確に歩いて、踏まなきゃ死なないからですから」
とか言われたようなもんである。そんな無茶な!
それでも村田はしばらく「最善手」でねばったが(変な言い方だけとホントそんな感じ)、1分将棋の闇の中でパーフェクトを続けるのは至難である。
それこそ、「先手が藤井聡太」でだってこの局面で、そんなことができるのかどうか。
△64銀に、▲68銀、△56香、▲79玉、△59金。
ここで▲59同銀と取ったのが、ついに「踏み抜いた」敗着となり、△75銀と取って完全に逆転。
先手はどこかで▲42金とすれば勝ちだったようだが、「王手は追う手」のような形で相当に指しづらい。
△75銀、▲77桂に△88竜(!)とスッパリ切るのが決め手で、先手玉には詰みがある。
これも、ちょっと盲点になる筋などがあって決して簡単ではないが、それでもしっかりと踏みこんでいった。勇者である。
▲88同玉、△77桂成、▲同玉。
次の一手が、この熱戦を締めくくるにふさわしいカッコイイ1手だ。
△87飛成と2枚目の飛車も捨ててのあざやかな即詰み。
▲同玉に△85香と打って、▲77玉(▲78玉も△77歩が利いて同じ)、△86銀、▲68玉、△57金。
聞き手の本田小百合女流三段も感嘆してましたが、このとどめの△57金が、また思いつきにくい手。
△57の地点は、角がどいた後に△57桂成(香成)とするのが形に見えるところ。
あるいは竜が19にいたときには△57でばらして△59竜とかせまるとかイメージするから、こんな重い形は排除してしまうのだ。
それをしっかりと見えているのだから、もう脱帽です。村田も、このあたりに誤算があったのかもしれない。
なら1時間も長考せず、少し時間を残しておけばよかったのにとも思ったけど、たしか藤井猛九段がどこかで、
「終盤で、勝ちを読み切った瞬間に時間が無くなって、1分将棋に突入というのが理想的な時間の使い方」
とおっしゃっていたんだから、これはしょうがないのかなーという気もする。
そこに△64銀なんて言うカオスをぶちこんでくる、この青年がイカれているだけなのだ。
あの訳のわからないところから、1分将棋で最善手を最後まで続けられなかったと言って「村田がヘボい」と責めるのは、あまりに酷というものだろう。
将棋の終盤戦とはそういうものであり、まさにそれこそが「不完全」な人間の戦いの醍醐味でもあるのだ。
とにかくこれで、藤井七冠がまさかのベスト4に進出。「八冠王」の夢は、ここにつながった。
それにしても、すさまじいのはやはり△64銀だ。
再三言うが、この手はいわゆる「最善手」「妙手」の類ではない。
ハッキリ言って苦し紛れで、藤井も負けを覚悟していたはずだが、同時に、
「相手が間違いやすい局面で手を渡す」
という将棋の終盤戦における「逆転のテクニック」の典型ともいえる形でもある。
古くは大山康晴十五世名人が得意とし、その技術の継承者ともいえるのが羽生善治九段の「羽生マジック」。
1991年の第49期A級順位戦。大山康晴十五世名人と青野照市八段の一戦。
負ければ降級して「引退」となる大山は、受けがないように見えるこの局面で▲69銀と打った。
ただの悪あがきにしか見えず、実際に後手が勝ちだったが、青野は「連続王手の千日手で時間を稼ぐ」というワザに溺れ、混乱して寄せを逃してしまう。
「将棋史上もっとも相手に悪手を指させた男」と言われた大山渾身の大イリュージョンであった。
2001年の第26期棋王戦。羽生善治棋王と久保利明七段の一戦。
羽生の2勝1敗で迎えた第4局は、久保があざやかな指しまわしで優位を築く。
図は振り飛車必勝の局面に見えるが、指し手に窮した羽生はなんと▲24歩の一手パスを披露。
この追い詰められた局面で、ただ手番だけを渡すなど狂気の沙汰にしか思えないが、久保の猛攻を伝説的妙手「▲79金」でしのぎ逆転勝利で防衛。
今並べなおしても、久保が負けた理由が不明という熱戦だった。
最近は洗練度が上がり、「藤井曲線」のような綺麗な勝ち方が多い藤井七冠だが、追い詰められればこういう「切り札」も切れるところが強すぎる。
すげえ。これには大興奮だ。
単に大逆転の余韻だけではない。そもそも私は、いやさ「将棋ファン」は、こういう終盤戦での「化かし合い」が大好物なのだ。
うーん、もっとこんな将棋がオレは観たいぞ。
そういう意味では、やはりまだ見ぬ「藤井聡太の地位を脅かすライバル」の出現は必須であり、それこそ「藤井ファン」こそが待望するべきなのかもしれない。
今では、いつも80%の力でスマートに勝つこの男が、ついに追い詰められ、120%の力で「ひねり出す」ことを余儀なくされるとき。
そのときはきっと、今の何倍もまたおもしろい藤井将棋が見られるはずであり、私は「八冠王」と同じくらいそれを熱望するのだ。
(棋聖戦第2局の佐々木大地戦に続く)
https://note.com/silencesuzuka999/n/nd7328f159cb6
やはり誰も考えることは同じ、大山名人は今も心の中に生き続けていますね笑
あの銀はホント、見た瞬間結構な人が「大山流か」「羽生マジックやん」と声に出たことでしょう。
「藤井曲線」に代表される安定感が板についている藤井七冠ですが、もしネットやAIのない時代に生まれていたら、こんな手を連発して「逆転の藤井」と呼ばれていたかもしれませんね。