つまり、升田幸三は偉大ということなのである。
前回は先崎学九段の紹介した、升田幸三九段の画期的な序盤について語ったが(→こちら)、升田新手の魅力といえば、やはりスケールの大きな新構想にある。
中でも有名なのが、この形だろう。
1948年、戦後まもなくの塚田正夫名人との一戦。
朝日新聞社が主催した、塚田と升田の5番勝負第4局。
相掛かりからの腰掛銀で、先後同型から先手が、▲26飛と浮いたところ。
なんということもない局面に見えるが、ここから升田幸三のスーパーイリュージョンが発動する。
「新手一生」の男が、ここから見せた手順は、そのまま将棋史に残る「定跡」となる。
塚田名人は、すでに升田の構想力の前に、ハマっていたのだ。
△88角成、▲同銀、△22銀からが、伝説のはじまり。
なんていうと、たいそうなこと言ってるわりには、ただ角を交換しただけじゃん。
しかも、1手損してるし。
そう笑われそうだが、このどうってことない角交換が、まさに升田流の壮大な新手のファンファーレ。
順を追って説明すると、先後とも大模様を張った陣形は、争点が少ない。
棒銀や端攻めのような、わかりやすい攻め筋がないため、局面を打開しにくいのだ。
そこで目をつけるべきは、中央から玉頭の勢力図。
ねらいとしては、▲88(△22)で壁になっている銀を▲77、▲66とくり出して、▲55の地点に「ガッチャン銀」風に勢力を足していく。
そうすれば厚みで押しつぶせるし、▲64に駒を打ちこんだり、7筋の歩を突き捨てたりと、攻めのバリエーションが、広がっていくというわけだ。
その通り、先手の塚田は▲77銀と前進。
後手の升田は△33銀と追従する。
と、ここで
「あれ? 同じ形で銀を出たら、間に合わないんじゃね?」
首をひねった、アナタはスルドイ。
その通り、このまま同じように、銀を▲66(△44)とクライミングしていけば、先に摺鉢山ならぬ、▲55の天王山にたどり着くのは先手なのだ。
△88角成と、手損で角交換したのが、たたっているではないか。
果たして塚田は▲66歩とぶつけ、升田も△44歩。
当然の▲65歩に、またも同じく△45歩。
まるで、相手をからかうような、マネ将棋である。
やはりスピードでは、後手が勝てないのは明白だが、それがまさに升田がねらっていた局面。
そう、この局面。先手が▲66銀とくり出せば、競争は勝ちと思われたが、それが罠だった。
▲66銀には、なんと△44角が、飛車銀両取りで「オワ」。
なにげない▲26飛の手待ちを、見事にとがめたことになるのだ。
まさかの展開に塚田は泣く泣く▲28飛ともどすが、後手は△44銀と進めて、なんとここで、速度が逆転してしまった!
後手番の上に、さらに自分から角交換して1手損しては、同じ手順をなぞっていけば、絶対にスピードで負けるはず。
ところがそれを、一瞬の見切りで体を入れ替える。
まるで、『キン肉マン』に出てきた超人ザ・ニンジャが得意とした、順逆自在の術のようではないか!
先手は遅ればせながら、▲66銀とするが、一度入れ替わったポジションは、もう戻らない。
スコットとアムンゼンの悲劇のようだが、すでに旗は立てられているのだ。
大攻勢の前に、ここで1回△88歩と入れておくのが、ぜひおぼえておきたい手筋の下ごしらえで、▲同金しかないが、そうしてから満を持しての△64歩。
▲同歩に△同金と、ついに中央の競り合いに、金まで参加してきた。
先手は▲78金と戻して、ねばる体制をととのえるしかないが(△88歩のすばらしい効果)、△65歩と打って、▲77銀に、△55金と出る手の気持ちよさよ!
これが見事なスクラムトライで、先手はどうしようもない。
以下、塚田も▲49歩と根性を見せるが、△46歩、▲48金、△66歩、▲68歩、△65桂とメッタ打ちにして升田快勝。
見よ、この駒の勢いを。
いかがであろうか。△88角成から、△65桂までの、流れるような手順。
まさかあんな、手渡しのような角交換の裏に、こんな遠大、かつ精密に計算されたものが、ひそんでいるとは思えないではないか。
この将棋はそのまま、升田の創作した数多い「定跡」のひとつになるのだが、さらにそれを彩るのが、そのネーミング。
その名も「駅馬車定跡」。
元ネタはもちろん、ジョン・フォードの名作西部劇『駅馬車』から。
▲55の地点をめぐる升田と塚田の競争を、主人公たちの乗る馬車とインディアンが苛烈な競り合いをする、物語後半のクライマックスシーンとなぞらえての命名だ。
命名者は「タレ歩」「ダンスの歩」「箱入娘」など、今にも残る将棋用語を数々考えだした加藤治郎名誉九段。
このネーミングが、いかにもシブい。
別にこれが「升田流相掛かり定跡」とか「角交換ななめ銀戦法」なんかでも、その価値が下がることなどない。
とはいえ、やはりこの「駅馬車定跡」という、雰囲気にピッタリの名前をあたえられたことで、ますます升田幸三の「伝説」感が強まったことは間違いないだろう。
加藤先生のセンスが、光りまくっている。さすがですわ。
(升田式石田流編に続く→こちら)