久保利明のねばり強さは、一種異常である。
久保と言えば、軽快な振り飛車から「さばきのアーティスト」と呼ばれるが、もうひとつの大きな武器に終盤でも折れない心にある。
必敗の局面でも、土下座のような手で耐え、そのうちにひっくり返してしまうという腕力はまさに
「ねばりもアーティスト」
今回はそういう将棋を見ていただきたい。
2011年、第69期A級順位戦の最終局。
久保利明棋王・王将と森内俊之九段の一戦。
この期の森内は好調で、ここまで2敗をキープ。
この最終戦を勝てば、同じ2敗で並ぶ渡辺明竜王とプレーオフ以上が決まる。
一方の久保は4勝4敗という五分の星だが、ここで敗れたうえに、上位3敗の丸山忠久九段、藤井猛九段の両者ともに勝たれてしまうと落ちてしまう。
どちらも負けられない大一番は久保のゴキゲン中飛車で幕を開け、迎えたこの局面。
双方、大駒をさばき合っての中盤戦だが、馬と竜を作った居飛車がやや指せるように見える。
後手が、どう巻き返していくか注目だったが、ここで久保が渋い手を見せる。
△61歩と先受けするのが、振り飛車の極意。
後手陣は金がはなれているところが、やや薄いが、この底歩で相当に固くなった印象だ。
森内も合わせるように▲68金と締まっておくが、そこで△92玉と寄るのが、また雰囲気の出た手。
この「米長玉」で戦場から一路はなれたことにより、終盤戦で金銀1枚半くらい違う印象だ。
ならばと森内は「端玉には端歩」で▲96歩と突きあげるのが、また腰の据わった手。
いかにも順位戦らしい間合いのはかり方で、思わず
「うーん、玄人の手やなあ」
うなりたくなるが、さすがに次▲95歩とされると圧がすごいので、久保は△85金と局面を動かしに行き、ここからは終盤戦へと一気になだれこんだ。
むかえた最終盤、森内が▲71角と打ったところ。
次に▲82金までの簡単な詰めろだが、▲76にある香の利きが絶大で、後手に受ける手がない。
△82金は▲同角成。
△72金も▲82金から詰み。
テレビの前で私も、こりゃ投了しかないかとさじを投げ、控室の検討でも「森内勝ち」で一致。
このころ、渡辺はすでに敗れており、森内の挑戦権獲得は決定的で、スタッフやカメラマンもインタビューの準備をして待機していたそうだが……。
△68飛、▲78桂、△87金が、「そうはさせじ」のすごい手。
といっても、これだけ見ても意味は分からない。
△68飛はまあ、形づくりというか、秒に追われての「思い出王手」みたいなものだろうけど、この△87金って何?
なんだか、将棋ソフトのやる「水平効果」のムダな王手みたいだけど、これを人間がやるということは、なにか意味があるということか。
くらいは私でも予想はつくけど、とはいえその後の手順などまったく見えない。
どないすんねんと森内は▲87同玉だが、△67飛成と王手して、▲77金に△76竜(!)と香を取る。
▲同金に△72金と埋めて、なんとこれで後手玉にかかっていたはずの必至がほどけているではないか!
これにはテレビの前で私も「すげー!」とひっくり返ったが、森内もおどろいたことだろう。
解説の棋士が、
「角を打って、森内さんは投げてくれると思ったでしょうけど、そこにこんなことされたらパニックですよ!」
頭をかかえていたが、さもあろう。
森内と言えば決して浮ついたところのないタイプだが、それでもヒーローインタビューの文言を考えているところに、こんなねばりを食らったら、私だった「マジか」と声も出ますよ。
しかし、土壇場でこういう手を食らっても、落ち着いていられるということにかけて、森内俊之という男の右に出る者はいない。
▲61飛と打って、△82香のさらなる抵抗に、じっと▲65金右としたのが冷静な手。
取られそうな金を活用しながら、中央を厚くするという大人の対応。
この状況で、ようこんな手させるなとあきれるが、こういうところがトップクラスの凄味だ。
こうして手を渡されてみると、大きな駒損をかかえている久保が劣勢なのは明確だった。
△67銀不成と活用し、▲77金に△68銀不成と懸命にしがみつくが、▲64歩と打たれて、いよいよ受けがない。
だが、執念の久保は△77銀成と一回取り、▲同桂に、△71金、▲同飛成、△72飛(!)。
▲同竜、△同銀、▲76飛の攻防手に△73飛(!)。
連続の自陣飛車で頑強に抵抗する。
しかも、この△73飛は遠く▲13の馬もねらっているという手で油断ならない。
さすがの森内もウンザリしたかもしれないが、ここで馬取りを放置して▲74銀と打つのが決め手。
△13飛と辺境の馬を取らせてから、▲71金と打って今度こそ決まった。
いかがであろうか、この久保のねばり。
敗れたとはいえ、その「アーティスト」ぶりを十二分に発揮し、見ているこちらは大興奮であった。
この結果、森内は羽生善治名人への挑戦権を獲得。
久保は藤井が敗れたことにより、からくも降級を逃れたのであった。
(他の久保による強靭なねばりこちら)
(久保と言えば、やっぱり「さばき」でこちら)
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