前回(→こちら)の続き。
藤井猛竜王と羽生善治五冠(王位・王座・棋王・棋聖・王将)の「12番勝負」は、当時の棋界の最強者決定戦ともいえた。
まず王座戦は、羽生が意地を見せた。
今度は竜王戦だが、正念場となったこの防衛戦で藤井は、キャリア最高かもしれないほどの輝きを見せる。
そのことは羽生の戦型選択を見れば、ある程度想像はつき、
第1局・後手番羽生が、飛車先を突かない工夫を見せるも藤井完勝
第2局・▲46銀型急戦で羽生が勝ち
第3局・羽生が地下鉄飛車を目指すも、藤井が玉頭戦を制して勝ち
第4局・羽生が天守閣美濃から四枚銀冠。藤井の仕掛けが機敏で快勝
第5局・後手の羽生が意表の棒銀。藤井に見落としがあり中押し
第6局・急戦対玉頭銀のねじりあいから羽生勝ち。
こうして見ると、羽生が穴熊を志向してないことがよくわかり、つまりは藤井システムとの正面衝突を避けているのが明白なのだ。
好奇心旺盛で、相手の得意形に飛びこむことをいとわない羽生が、これだけハッキリと「勝率9割」(勝又清和七段がはじき出した、振り飛車党には絶望的なデータ)の穴熊を捨てた。
これはかなりの衝撃であり、やはり当時それだけ、藤井の研究が恐れられていたわけだ。
それでも、なんのかのといいながら、カド番を2つしのいで、3勝3敗のタイに持ちこんだのはさすがで、いよいよこの大勝負にも決着のときが来た。
最終局は藤井が先手になった。
後手番では、指す戦法がないのではと懸念された羽生は、とりあえず持久戦にし、第4局同様、天守閣美濃にかまえる。
そうして静かに駒組が進んで、むかえたこの場面。
双方しっかりと堅陣を作り、さあこれからに見えるが、実はこれがすでに先手必勝の局面だといったら、おどろいていただけるだろうか。
んなアホなと笑われそうだが、これが多少大げさではあるものの、決して私のホラというわけではない。
その根拠は、以下の手順でわかる。
後手は玉頭がうすいから、銀冠か、できれば穴熊に組み替えたい。
だが、△12玉から△23銀など、連結がくずれた瞬間に仕掛けられると、一気につぶされる怖れがある。
かといって、これ以上有効な手待ちもなく、ままよと△55歩と仕掛けることに。
▲同角に△54金と出て、中央を制圧しに行ったところで、▲45歩が力強い反撃。
△55金と取るのは、▲同銀で厚みと駒の勢いがちがいすぎるから、△45同歩と取るも、そこで一回▲66角が、機敏なバックステップ。
後手は△44銀と勢力を足すが、先手も▲46歩とドンドン戦力を投入し、パワーで押しつぶしにかかる。
△22角と必死の援軍にも、強く▲45歩。
以下、△55銀、▲同銀、△同金、▲同角、△同角、▲98飛と清算した局面を見ていただきたい。
将棋の形勢を見るには、
「駒の損得」
「玉の固さ」
「駒の働き」
「手番」
この4つを主な判断材料にするが、まず駒の損得は角金交換で後手が駒得。
駒の働きも△55角が中央にさばけて、先手の飛車を押さえている。手番も後手にある。
だがこの局面、すでに先手が大優勢なのだ。
そのカラクリは王様の形。
先手が銀冠の堅陣なのに、後手は玉頭がさびしすぎる。
次、▲25歩と突かれるのが、あまりにもきびしく、後手は手厚い銀冠に玉頭戦で勝ち目はない。
多少の得では、とても釣り合わず、ここですでに後手から攻守とも有効な手がない。
飛車が隠遁し、駒損して手番も失う。
にもかかわらず、これで先手優勢という藤井竜王の構想力がすばらしく、検討していた控室も大絶賛だった。
羽生からすれば、藤井システムによって罠の設置されたジャングルを細心の注意を払って、つま先立ちで歩いて、ひとつひとつ、かわしていったようなもの。
そうして、なんとか森を抜け出したと思ったら、その目の前に敵の大戦車部隊が待っていた。
そんな脱力感だったろう。
そう、あの▲65歩と角道を開けた図は、なんということのないように見えて振り飛車必勝。
これこそが「藤井システムの勝利宣言」ともいえる、まさに藤井猛絶頂期の芸術作品なのだ。
(続く→こちら)