前回(→こちら)の続き。
ヴィットリオ・デ・シーカの『ひまわり』は超弩級のホラー映画である。
嫁のソフィア・ローレンを残して東部戦線に出征するも、「ヘタリア軍」のお約束通りソ連軍にボロ負けして、零下40度の地獄の中で死にかけたマルチェロ・マストロヤンニ。
落ち武者狩りに来たマーシャに助けられ、かろうじて一命をとりとめるどころか、記憶喪失なのをいいことに(?)ちゃっかり彼女と結婚して、子供まで作るたくましさ。
ところがどっこい、彼にはナポリに残してきた嫁がいる。
しかもそれが、ある朝目を覚ましたら、どーんと目の前に立っていたのだからビックリである。
私はここで、顔面からサーッと血の気が引く音がした。
まっ青になって、あせりまくるマルチェロに、当然のことソフィア姐さんは怒髪天を衝く大怒り。
「アンタ! 死んだって聞かされて、信じられへんから、はるばるこんなド田舎まで来たのに、生きてるんはええけど、なんやのこのロシア女と子供は! ウチのことバカにしとるんかい!」
鉄火姉ちゃん丸出しで、キレまくる。コ、コワイ、コワすぎる。
ナポリ女は情が深く、怒らせるとコワイというのはビリー・ワイルダーも『お熱い夜をあなたに』でギャグにしてたけど、その激しさがよくわかる。
死の淵から生還して、かわいい嫁も新しくもらいなおして娘もできて、さあこれからというところに、どーんと元嫁が鬼の形相で立っている。
それも、当時鉄のカーテンで阻まれているはずのソ連にまで侵入しての大捕物(どうやって行ったんだろう)。
どうやら冷戦うんぬんなど、悋気した嫁には関係ないらしい。
独身貴族の私が「あわわわわわ!」となったのだから、既婚者ながら別のところでもよろしくやっているような不逞の輩が見れば、これはもう恐怖のあまり、尿をちびるのではないか。
いやはや、こんときのソフィア姐さんの目はホントに怖いのなんの。グーパンチや蹴りくらいでは、すまない勢い。
冗談抜きで、阿部定のごとく股間の「秘剣電光丸」を切り取られそうなくらいの勢いなのである。ひええ、おゆるしを!
まあ、この件に関しては、完全無欠にマルチェロが問題だらけだ。もともと、
「新婚やから、戦場行きたないですわ」
そんなこという主人公もスゴイけど(まあ気持ちは全然わかるけどね)、そこで徴兵審査に通らないための作戦というのが、
「気ちがいのフリをする」
だから、私が上司でもトホホであろう。
せめて、醤油を一気飲みするガッツくらいは、見せてほしいものだ。東部戦線に送りつけた上官も、責められんところであろう。
それでも生きていた、というしぶとさはさすがイタリア人だと感心するが、じゃあそこからどうしたかといえば、現地妻もろうて、
「色々あったけど、今じゃそこそこ幸せッス」
なんておさまってたら、残されたソフィア姐さんも、そら怒りもするであろう。「アンタ、ちょっとそこへ座りなさい」ってなもんだ。
なんてわけで、私にとってこれは「感動の悲恋」などではなく、ほとんどボンクラ男がボケ担当の夫婦コントなのであるが、とにかく全編ソフィア姐さんの悋気が怖ろしいのなんの。
若い恋人とちちくりあってるときに、あんな奥さんに踏みこまれる。なにかもうドタバタ喜劇の基本中の基本です。
下品な言葉なので使用ははばかられるのだが、この表現があまりにもピッタリすぎるので、あえて言いましょう、キンタマもちぢみ上がるのである。おーコワ。
でもって、ラストはあの美しい音楽とともに、ウクライナの大地に咲き誇るひまわりの群れ。
これはもう、息を呑むくらいに美しく、圧倒的な迫力があるのだが、劇中でも説明されるように、その下にはおびただしい数のイタリア兵の死体が埋まっているのだ。
つまり、あざやかなひまわりはすべて戦死者の墓であり、あんなにも美しいのは、死者たちの養分をたっぷりと吸っているという理由なんである。
マルチェロ・マストロヤンニが、しょうもない痴話ゲンカをしている横で、戦場で無念にも犬死にした仲間たちが眠っている。
それを想像すると、これまたコワすぎる。
そんなわけで、この映画は名作かもしらんが、私にとっては浮気現場をソフィア姐さんに踏みこまれた恐怖と、あのとどめの物言わぬ、ひまわりのド迫力に、
「アカン、これはアカンて、ヴィットリオ!」
頭をかかえたくなるような、超弩級のホラー映画なのである。