「絶対王者」の分岐点 羽生善治vs谷川浩司 1993年 第18期棋王戦 その2

2020年01月31日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の(→こちら)続き。

羽生善治谷川浩司の立場が、入れ替わったのは、おそらく1992年から1993年度であった(第1回は→こちらから)。

 谷川三冠と羽生二冠で争われた、竜王戦棋王戦のダブルタイトル戦。

 ここで、ともに羽生が勝ったことにより、タイトルの数のみならず、谷川に苦手意識のようなものが生まれはじめた。

 それが「羽生時代」を、後押しすることになるのだ。

 ひそかなキーポイントは、竜王戦の後の棋王戦

 ここで谷川が勝っていれば、さほど「羽生時代到来」という空気にもならなかったろうが、2勝1敗とリードしながら、そこから逆転されてしまった。

第4局は終盤の、羽生の勝ち方が見事だった。

 大流行した相矢倉の「森下システム」から、激しい駒の取り合いになって、この局面。





 の利きや、△31が不安定など先手からワザがかかりそうたが、その通りカッコイイ手がある。

 

 



 ▲35桂と中空に放ったのが好手で、後手は受けにくい。

△同歩なら、もちろん▲34桂が激痛。

 谷川は△32金打と入れてねばるが、左辺がになった瞬間に▲15歩の端攻めが、見習いたい呼吸。

 

 

 金で受けるなら△41に打つべきで、羽生もそれを警戒していた。
 
 とはいえ、後手陣は△23玉頭がうすく、そこを補強したくなるのは人情だろう。

 端を△同歩とは取り切れないから、△47飛と攻め合うも、▲14歩△12歩と取りこんでから、落ち着いて▲91角成

 

 

 後手も△69銀▲77金△68成銀とせまって相当に見えるが、そこでじっと▲95歩と伸ばすのが、自玉の安全度を完全に見切った一手。

 

 

 

 これで先手陣に、一手スキがかからない。

藤井システム▲15歩や、最近の角換わり▲95歩のような、

 

「最後に突き越した端歩が生きて勝ち」

 

 という構想につながる読み切りだ。 

 後手は△67銀と打ち、▲87玉△78銀引不成▲同金△同成銀とするが、その瞬間に▲24桂で仕留めた。

 

 

 

▲12桂成詰めろで、2枚の乱舞があざやかすぎる。

 竜王戦に続いて、三冠対決はここでもフルセットに突入。

 そして、すべてが決まるこの一局、羽生は見事な終盤を披露する。

 

 

 この局面。先手玉は詰めろだが、後手玉にまだ詰みはない。

 当初は羽生も谷川も、▲67金打と読んでいたが、それは△45角でむずかしい。

 なにか好手が必要なところで、羽生も悩んだそうだが、ここでいい手を発見できた。

 

 

 

 

 

▲88玉と早逃げするのが、攻守のスピードを入れ替える妙着。

 まさに「玉の早逃げ八手の得」で、これで後手から有効な攻めがない。

 谷川は△79角と打ち、▲98玉△77竜と取る。

 これで先手玉は必至で、一見後手が勝ちのようだが、▲58飛とここで王手を取れる筋がある。

 

 

 

 まるで作ったように、すべての駒がさばけて、まさに「勝ち将棋、鬼のごとし」。

 以下、△57竜▲同飛△同角左成▲54飛で詰み。






 △53合駒しても、▲51金から自然に追っていけば、どの変化もわりと簡単だ。

 こうして頂上決戦を制した羽生は、その後七冠王になり、20年以上も続く「羽生時代」を本格的にスタートさせる。

 一方の谷川は明らかに羽生を苦手とし、1997年に羽生から「竜王名人」を奪い返すまで(その将棋は→こちら)、苦しい戦いを余儀なくされることになるのだ。
 
 
 (大山康晴の驚異的なしのぎ編に続く→こちら
 
 
 
 

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