先崎学の語る藤井猛の「天才性」と、藤井システムの意義

2022年07月14日 | 将棋・雑談
 前回の続き。
 
 升田幸三九段の見せる大ポカの数々について、かつて河口俊彦八段はこう喝破した。
 
 

 「それは升田が天才ゆえに、人と違うことを考えているからだ」

 
 
 すなわち、凡人には思いつかない「新手」「妙手」を繰り出せる才を持つ人は、同時にその同義の裏面である「大ポカ」も披露してしまう。
 
 変な言葉なのを承知で言えば、一種の「職業病」「必要悪」のようであり、「考えられないポカ」を披露する発想こそが、「歴史を変える新戦法」を生み出す源泉になっているのだと。
 
 これと似たようなことを、先崎学九段が、ある棋士を評するときに書いていた。
 
 書かれていたのは藤井猛九段のことだ。
 
 
 
 
 
1990年の第8回三段リーグ1回戦。藤井猛三段と、近藤正和三段の一戦。
終盤、藤井勝勢の局面で、近藤は▲63桂不成と王手。
ほとんど「思い出王手」のような形で、ここは相手にせず△81玉でなんの問題もなかったが、なんと藤井は堂々△49飛(!)。
これを見たコンちゃんは「王様って取ってもいいんだよねぇ?」と▲71桂成。藤井は「あー!」と絶叫。
おもしろいことに、このショッキングな負けにもかかわらず、この後藤井は連勝街道を驀進し四段に昇段。
リーグ終盤、藤井が昇段しそうな時にだれかが「こうなると、王様を取られたのはもったいなかった」と言うと、師匠の西村一義九段は「集中している証拠だからいいんだよ」。
師匠からすれば、なんてことないフォローだったのかもしれないが、つまりは「そういうこと」なのである。
 
 
 
 
 
 これは藤井が王位戦で、羽生善治王位に挑戦したころだから、2012年のものであろう。
 
 先チャンはこの勝負を
 
 

 「真の天才対決」

 
 
 そう呼んでいる。以下、少し長いが紹介したい(改行引用者)
 
 

 藤井システムは将棋界を変えた戦法である。
 
 そして彼がひとりで編み出したのは同業者として奇跡に思えるくらいの独創的な戦法、考え方であった。
 
 将棋界では毎年新手や新戦法が出るが、多くは皆で研究した末の産物であったり、そこで指されなくともいずれ近いうちに別の誰かが考えたろうというものである。
 
 藤井システムは違う。藤井という棋士がいなければ、この戦法は生れなかったし、それにつづく振飛車の技術革新もなかったろう。
 
 ひとりの棋士によって将棋の歴史は数十年の時空を飛び越えることに成功したのである。
 
 褒めてばっかりでは彼もかゆくなってしまうだろうからちょっと辛辣なことを書くと、藤井の弱点は中終盤にある。
 
 狭い部分を攻める能力には凄いものがある(業界ではガジガジ攻めという)が、局面が広くなった時に悪手が出易いのだ。この点で、彼は同世代の英才達に微少なハンディキャップがある。
 
 だが、そのことは、彼の数々の業績を考えた時に、むしろ藤井猛という棋士の天才性を逆説的に証明するものであると私は強く思う。
 
 そしてその天才性は、弱点によって藤井という棋士の生涯勝率が多少他に比べて劣ったとしてもまったく揺らぐものではないと断言できる。
 
 この夏の王位戦こそ、真の天才対決なのである。

 
 
 藤井もまた、終盤などでポカをやりがちで、本人も
 
 「芸術的な逆転負け」
 
 自虐ネタにしていることが多い。
 
 観戦している人は親しみをこめてネタにし、私もケラケラ笑ってはいるが、でもそれは本当の意味で嘲笑しているわけではなく、きっと多くの将棋ファンも、また同じであると思われる。
 
 それは「ヒゲの大先生」と同じく、「王手放置」などそのポカの数々が藤井の持つ、「真の天才性」の発露であるからなのだと、心のどこかで皆わかっているから。
 
 だから、本人が嘆きながら頭をかこうと、動画サイトやコメント欄でどうイジられようと、その価値も評価も「まったく揺らぐものではない」のだ。
 
 
 
 
 ■おまけ
 
 (藤井猛伝説「一歩竜王」のシリーズはこちら
 
 (藤井猛竜王のあざやかな終盤はこちら
 
 (藤井システムに影響を与えた羽生善治についてはこちら
 
 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)
 
 
 
 

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