「攻め駒を責める」手が、守備に有効なときがある。
前回(→こちら)は藤井猛九段の語る、振り飛車の魅力を紹介したが、今回はちょっと変化球な手筋を見ていただきたい。
将棋の「受け」は、自陣に駒を埋めたり、中段玉でかわしたりすることが多いが、そこにもうひとつ、相手の武器庫を直接破壊して、戦力を半減させる手というのが存在するのだ。
俗に「B面攻撃」とか「駒のマッサージ」なんて呼ばれたりもして、字面だけだと迫力に欠けるが、さにあらず。
かの羽生善治九段も、△92や△12に居る敵の飛車を、「▲83銀」とか「▲23金」と攻めるのを得意としている。
これが「羽生ゾーン」と恐れられたりしているから、なかなかにあなどれない手筋なのだ。
ここが「羽生ゾーン」。▲17飛に△28角成として、先手の攻め駒を封じこめる。
私が感心した「攻め駒つぶし」といえば、島朗九段の見せてくれた、ある一手。
舞台は1989年の第2期竜王戦。
「天才」羽生善治が、満を持して、タイトル戦に初登場したときのことだ。
開幕2連敗を喫したが、そこから力を出して3連勝し、羽生が3勝2敗と王手をかける。
流れ的には、そのまま羽生の初タイトルかと思われたが、第7局(持将棋の引き分けが、ひとつあるため実質は第6局)の島竜王の戦い方が見事だった。
相矢倉でむかえた、終盤の入口ともいえる中盤戦。
後手の羽生は、飛車角に桂と香をズラリと並べ、先手の玉頭にねらいをさだめている。
攻め合うなら、先手も▲24歩や▲33への打ちこみなどが見えるが、△86歩の一点集中のほうが、明らかに破壊力がありそう。
後手成功かに見える局面だが、ここで島は意表の一手を放ち、流れを引き寄せる。
▲71銀と打つのが「攻め駒を責める」手。
まだ子供で、アマ4級程度の棋力しかなかった当時の私には、サッパリ意味がわからなかったが、今見ると「なるほど」と感心することしきりの1手だ。
この銀は一見、△72飛とされてタダで取られそうだが、それは先手の思うツボ。
先手のねらいは、とにかく攻めの総大将である飛車を、玉頭からどかせること。
そうすれば、△86歩からの攻めは、まったくの威力半減になってしまう。
大駒のいなくなった8筋突破陣は、いかにも頼りなく、主砲が使えなくなった戦車も同然。
ましてや、つづけて△71飛と銀を欲張った日には、後手の飛車は完全に使えなくなってしまう。
つまり、先手の放った▲71銀は、ふつうならタダ取りだが、飛車の威力を半減させるだけでなく、「取らせる」ことによって1手稼ぐこともできる。
終盤の攻め合いで、この2つの効果があるというのは、ものすごい得であって、これで払いが銀1枚なら、メチャクチャに安い買い物なのだ。
△72飛では勝てないと見て、羽生は△92飛とせめて端に利かせるが、先手も▲24歩とここで攻め合い。
後手は待望の△86歩だが、いったん▲23歩成と玉型を乱して、△同金に▲86歩と戻す。
以下、△同桂に▲87歩と打てば、▲71銀のすばらしい効果が理解できるだろう。
飛車が△82にあれば、△78桂成、▲同玉に△87香成で崩壊だが、この形だと、それ以上の攻めがまったく無い。
それもこれも、▲71銀の一発で、攻守所を変えたせいなのだ。
完全に攻めが頓挫した羽生は、△78桂成、▲同玉に△34金右と取る。
▲98歩の受けに、△36歩、▲同飛、△25金打と、上部脱出含みの寝技に転じるが、こういう形は「入玉のスペシャリスト」島朗の土俵。
後手が上部を厚くする間を縫って、▲82金がまた「らしい」一撃。
上部を開拓しながら、せまい場所で渋滞している大駒を取りに行く、いわゆる「5点攻め」を披露。
大駒を取ってしまえば、後手が入玉しても点数で勝てない。
もちろん、取った駒はそのまま寄せにも使えるわけで、飛車を捕獲した先手は、それを好所に打ちこんで、後手玉を攻略。
最後は、8筋と9筋に入玉用の脱出ルートを確定させながら攻め、まさに「負けない将棋」を見せつけた。
いかがであろうか、この▲71銀。
これが無筋のようで、なかなか使える手筋で、△72飛なら、形によってはさらに▲62銀打として、ムリヤリ飛車を取りにいくこともある。
1992年の第50期C級1組順位戦。有森浩三六段と丸山忠久四段の一戦。
昇級のかかった大一番で、丸山は△39銀と飛車取りに打って、▲58飛に△48銀打の珍型を披露。
これでムリヤリに飛車を奪って、強敵に圧勝し、見事にC1昇級を決める。
また、後手玉が△31とか△41にいるなら、左右挟撃にもなり、
「玉はつつむように寄せよ」
の格言通り。
私も実戦で指したことがあるけど、意外なほど使い出があります。
「攻め駒を責める」▲71銀、おぼえておいて損はない筋です。
(中田功の三間飛車編に続く→こちら)
(羽生の竜王挑戦への道は→こちら)