大山康晴十五世名人の受けは絶品である。
将棋の棋風は大きく分けると「攻め将棋」「受け将棋」に二分されるが、プロアマ問わず基本的には、前者の方が数が多いのではないか。
やはり、単純に攻める方が楽しいし、受けは神経を使うし、時間がない将棋だと「勝ちやすい」という事情もあって、そうなりやすいのであろう。
そんな中、受けの巨人として君臨する大山の存在感はかなりのもので、「受け将棋萌え」の私はリスペクトするところ大である。
前回は羽生善治九段が若手時代に見せた、暴れ馬のようなラッシュを紹介したが、今回は米長邦雄永世棋聖がその著書『米長の将棋』で
「奇跡的な受けの妙手」
絶賛した大山の妙手を紹介したい。
1978年の名将戦。
大山康晴十五世名人と、米長邦雄八段の一戦。
大山の四間飛車に米長は居飛車穴熊。玉頭戦のねじり合いがあって、この局面。
後手は銀冠の金をはがされ横腹がすずしいが、先手の攻めも薄く、次に▲74の歩を取られると完全に攻めが切れてしまう。
その前になんとかしたいが、ここで妙手の前に手筋講座。
まずは▲73金と打ちこんで△同金に、初心者の方は流れで▲同歩成と取りたくなるかもしれないが、そこをこらえて▲71角成とするのが、ぜひ覚えていただきたい筋。
ハッとする角のタダ捨てだが、「玉は下段に落とせ」がこの際のセオリー。
後手は2枚の銀などで上部が厚く、単に▲73同歩成、△同玉はそれを目一杯働かせてしまうため、そこを無力化させる意味でも有効だ。
整理すると、▲73金、△同金、▲71角成、△同玉、▲73歩成。
頭を押さえられた後手は△82金と受けるが、一回▲78飛と遊び駒を活用し、△76桂とさせ質駒を確保するのが、キメのこまかい手順。
やるだけやってから、▲63金とへばりつく。
先手の攻めもギリギリだが、後手も相当に恐い形。
となれば、△73金、▲同金、△82金、▲63金の千日手も視野に入ってくる。
実際、米長も優勢なのに千日手に逃げられたか、とガックリしていたそうだが、ここで意表の手が飛んできた。
△74金と、上から打つのが、この際の妙手。
米長と逆に、大山もまたこの将棋は自分が優勢と思っていたのだろう、「させるか!」とばかりに打開してきた。
こうなれば、先手も行くしかない。
▲76飛と切札を発動し、△同銀に▲74とは△同銀で攻め切れないから、▲83とと銀の方を取って、△同金に▲86桂。
これで決まったように見える。
△73金引は▲62銀と打ちつけて、△82玉、▲73金、△同金にその金を取らずに▲74歩と打つのが好手で寄り。
ところが「平然と」放たれた次の手を、先手は見えていなかった。
喰らった米長が「歴史に残る手」と絶賛した受けの妙手とは……。
△73飛が「受けの大山」の見せた、すばらしいしのぎ。
▲62銀の王手飛車取りがあるため猛烈に指しづらいが、これが盤上この一手ともいえる見事な切り返しなのだ。
△73飛に▲同金は△同金引で、▲74歩、△63金、▲41飛、△61歩で受け切り。
△73飛に▲74桂と金を取るのは、△63飛と金を取られて攻めにならない。
苦慮の末、結局▲62銀と打つしかなかったが、△82玉、▲73金、△同金引、▲61飛、△72金打、▲73銀成、△同金寄、▲74歩、△63金寄、▲95歩、△62銀、以下後手が勝ち。
△73飛と打った形が巧妙なのは、飛車を取れば△同金引と金に逃げられ、▲74桂と金を取れば△63飛などで飛車が取れない。
なんとも悔しいことになっており、大山も「残念でした」と、笑いをかみ殺していたことだろう。
正確には、この妙手2発で後手有利と言っても、穴熊も健在でまだ先は長かったそうだが、先手にねばりを欠いた手が出てしまい勝負所を失うことに。
これには米長自身が、
「こんな妙手を指されては仕方がない」
認めるように、自分が読んでない手を指され「完全に上を行かれた」ショックがあったわけで、評価の点数以上に勝てない流れになってしまった、ということなのだろう。
(名人挑戦をかけた「大雪の決戦」)
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