永瀬拓矢はデビュー時、意外と苦戦を強いられていた。
前回は、叡王戦の挑戦権を獲得した、豊島将之竜王・名人の四段時代に見せたあざやかな寄せを紹介したが(→こちら)、今回はそれを受けて立つ、永瀬拓矢二冠の若手時代のお話。
将来トップに立つ棋士の、ブレイク時期というのは様々である。
羽生善治九段や、藤井聡太七段のように、期待通りにかけあがっていく人もいるが、実力は認められていても、それなりに苦労している人もいる。
今では二冠を持って、ブイブイ言わしている永瀬拓矢叡王・王座も、またそのひとりだった。
17歳でデビューしたころは、その独特すぎる受けの力もあいまって「大器」と誉高かったが、初年度からの成績は、しばらくの間、勝率5割程度という物足りなすぎるものだった。
理由としては、居飛車穴熊全盛の時代に、受けに特化した三間飛車を多用していたため、いわゆる「勝ちにくい」戦いを強いられていたこと。
また、「大山康晴の再来」と言われたほどの受けの力も、並みいるプロの猛者たちにかかれば、そう簡単に通じないというシビアさもあったのだ。
2010年の第36期棋王戦。
北浜健介七段との一戦。
先手の永瀬が、ノーマル三間飛車に振ると、北浜は平成の将棋らしく、すかさず居飛車穴熊にもぐる。
石田流から中央で角交換が行われて、むかえたこの局面。
△89馬に▲78金と上がって、竜取りを防いだところ。
自陣竜に下段の香、また守りの金を王様の反対側に使うところなど、いかにも力強い「受け将棋」という感じがする。
ただ、後手玉が鉄壁中の鉄壁というか、ほとんど「玉落ち」みたいな形なため、先手は相手の攻めを完璧に受けて、切らしてしまわなければ勝てない。
それにしては美濃囲いも薄く、また▲78の金と▲67の竜の配置が、危なっかしいのが気にかかる。
それになんといっても、相手はシャープかつ、激しい攻めを売りとする北浜健介。
言動は温厚でも、着手は手厳しいのだ。
△45角と打つのが、あざやかな居合切り。
これで先手陣は、一刀両断されている。
次に桂馬を成り捨てる形が、2枚の角で、先手の竜と金を直射することになり、△52にある香の威力もすさまじく、すでに受けがないのだ。
永瀬は▲69竜と、角のにらみから逃げ出すが、かまわず△48桂成が激痛。
▲同金は△78角成で崩壊だから、▲89竜だが、自然に△49成桂と取る。
▲同銀に、△77歩で、完全に網が破れた。
飛車金交換の駒得ながら、話にならないほど玉形に差があり、すでに先手が勝てない形。
なにかもう角道を止める振り飛車が、イビアナにやられる典型的なパターンで、なんとも切なくなる手順だ。
以下、永瀬も▲56歩とがんばるが、△78歩成とボロっと金を取られたうえに、▲同竜に△56角と取られて、受けになっていない。
そこで角に当てて、▲67金は根性のねばりだが、一回△77歩を入れて、▲68竜に、ゆうゆう△47角成。
▲56歩と、再度香の利きを止めて、必死の防戦だが、そこで△69金と打つのが、穴熊らしい手。
一段金で筋はとんでもなく悪いが、なにせ自陣は鉄の要塞なので、メチャクチャでも、攻めさえつながってしまえばいいのだ。
とにかく、トン死はないわ、駒をいくら渡してもいいわ、攻め合いの速度計算も必要ないわで、居飛車は笑いが止まらない。
まさに「穴熊の暴力」で、こんな見事な
「固い、攻めてる、切れない」
を喰らっては、いかな永瀬といえどもねばりようがない。
デビュー初年度の永瀬は、受けに特化しすぎていたせいか、こういう将棋でなかなか勝てない日々が続いた。
注目度が高かっただけに、これには、少しばかり心配されたものだったのだ。
ただ、そこからの脱却も、彼の場合は早かった。
プロ相手に「受け切って勝つ」ことの難しさを実感したせいか、攻めにもシフトするようになる。
その棋風のアレンジが成功して、18連勝、新人王戦と加古川清流戦のダブル優勝と大爆発。
また、羽生善治や渡辺明とのタイトル戦での経験や、第2の師匠ともいえる鈴木大介九段のアドバイスを取り入れるなど、着々と将棋をブラッシュアップ。
また、本来なら難しいはずの、居飛車党への転向もスムーズに完了させ、見事に叡王と王座の二冠に輝くのであった。
(永瀬と渡辺明の棋王戦編に続く→こちら)