将棋の絶妙手は美しい。
前回は広瀬章人竜王の、鮮烈な寄せの数々を紹介したが(→こちら)、今回もそんな妙手を。
テニスの錦織圭選手は、その多彩で才能あふれるプレースタイルから、海外では「ショットメイカー」と呼ばれているが、将棋界でその名がふさわしいのは谷川浩司九段であろう。
1991年の第32期王位戦。
谷川浩司王位に対する挑戦者は、そのクールな風貌と、悪魔的な強さから「デビル中田」と恐れられる中田宏樹五段。
どの世界にも、才能と地位や名誉が、あまり釣り合っていない人というのがいて、屋敷伸之と深浦康市のタイトル3期は少なすぎるとか。
阿久津主税のA級順位戦17連敗なんてありえんやろとか、竜王に挑戦した真田圭一が、いまだC1のままとか数あるけど、その中に
「中田宏樹にA級とタイトルの経験がない」
というのも、あげれらるのではあるまいか。
デビュー初年度にいきなり最高勝率賞を獲得(羽生善治と同時受賞)し、その後も安定した好成績で、プロ間でも力を認められているのに、その実績はかなり物足りないものがある。
その才能にもかかわらず、中田が上位に君臨できていない理由は、戦績の面だけでいえば、まず順位戦で苦労したこと。
C級2組で10年、C級1組で9年も停滞するなど、その実力からは考えられないことで、よほど相性が悪かったのだろうか。
それともうひとつ、初登場したタイトル戦で、いい将棋を指しながらも奪取できなかったことがあるだろう。
それを阻止したのが、谷川浩司の放ったある一手なのだ。
中田の2連勝でむかえた第3局、戦型は谷川得意の角換わり腰掛銀になる。
△37角と打たれて、飛車を逃げるのでは△46角成と取った形が、 が手厚く先手が大変そう。
形は「両取り逃げるべからず」で、▲61銀など後手玉に迫りたいところだが、「妙手メイカー」谷川の思考はその上を行くのだ。
▲35金と出るのが、当時話題になった絶妙手。
意味はむずかしいというか、子供のころ見たときサッパリわからなかったが、正直今でもむずかしすぎて、よくわからない(苦笑)。
手順を追って解説すると、後手は△35同金と取るが、そこで▲61銀、△92飛と利かしたあと、▲24飛と出られるのが自慢。
以下、△23歩に▲29飛と引いたところで、金出のもうひとつの効果がハッキリする。
後手は△35の金が取りになって、△34金と逃げなければならない。
これが、その図。
最初の局面で、普通に▲61銀、△92飛、▲29飛、△46角成、とした場合とくらべていただきたい。
▲35金、△同金の交換をしないで同じように進めた図
金捨てがなければ、後手は△34金と金を逃げる代わりに、△46角成と金を取っていることになるから、馬ができて手厚いし、歩切れの先手は手が作りにくい。
だが本譜の順だと同じ形でも、△37角が、まだほったらかしで働いておらず、さらに先手は▲24飛と取ってるから、一歩多いことになる。
つまり▲35金は、どうせ取られるから無意味に見えて、実はそれで1歩と1手を稼ぐ超絶トリックなのだ。
以下、その得を生かしてあっという間に谷川勝ちに。
……とまあ、全然自信のない解説で、強い人がいたら補完していただきたいですが、ともかくもこの▲35金は「光速の寄せ」にふさわしい一着。
「ダンスの歩」ならぬ「ダンスの金」とでもいった、才能あふれる手なのである。
これで流れが変わったシリーズは、2勝2敗でむかえた第5局で、終盤必勝になりながら、中田がさして難しくない詰みを逃して敗れ、決定的に。
谷川が▲43銀と打ったところだが、これは形作りで、先手玉は△85歩と打って、▲97玉に△86金からの簡単な詰み。
ところが、なぜか中田宏樹は△43同金と取ってしまい、▲32銀、△51玉、▲73角成とされ、これが王手金取りで、先手玉の上が抜けてしまい大逆転。
もしここで「中田王位」が誕生していたら、彼はそのポテンシャルと評価からして、久保利明や深浦康市クラスの戦績を残していた可能性は高い。
それを打ち砕いたこの▲35金というのは、ただの妙手というだけでなく、一人の棋士の人生を大きく変えた、将棋史的にも波紋を呼んだ手だったのかもしれない。
(大道詰将棋のような加來博洋アマの妙手編に続く→こちら)