前回(→こちら)の続き。
善戦むなしく、羽生善治に虎の子の王位をうばわれてしまった広瀬章人。
敗れたこともさることながら、広瀬を悩ませたのは、その看板ともいえる振り飛車穴熊のことだ。
これまでは、経験値と得意の終盤力で、当たるを幸い勝ちまくっていたが、上位になるにつれ研究され、なかなかスッキリ勝てなくなっていった。
いわゆる「目がなれきた」という状態だ。
広瀬によると壁を感じたのは、まず棋王戦の対渡辺明竜王戦。
この局面。広瀬は▲32角成と切って、▲43金と打ちこめば攻めがつながると考えていた。
だが、それには△31銀左と、△22の銀を使うのが妙防で、先手は最高でも千日手にしかならない。
穴熊のハッチを開いて、あえてこちらの銀を引くのが好着想。
以下、▲32金(▲42金も同じ)、△同銀、▲43金の突貫に、△41金で、千日手は後手大歓迎。
やむをえず、▲63歩とするも、完全に攻めを見切られ完敗。
渡辺の正確な速度計算の前に、広瀬は持ち味を、完全に封じられてしまった。
続いては2012年、第5回朝日杯将棋オープン戦の決勝。
ここで再び羽生と相まみえた広瀬は、王位戦最終局と同じ相穴熊を選択。
広瀬自身の解説では、この局面では▲45飛とかわし、△53金、▲64歩、△66歩、▲44歩、△同金。
そこで穴熊らしく▲同飛とぶったぎって、△同歩に▲54銀成としておけば、先手が指せる将棋だったと。
だが広瀬が選んだのは▲76同飛で、△同銀成、▲95角と逃げたところ、△56歩が味の良い突き出し。
▲82飛の反撃に、ここで羽生が、いかにも「らしい」一手で局面を決めてしまう。
フワッと途中下車の△66角が、やわらかい決め手。
香を取らずに、△57の地点をねらうのが、間接的に▲39の金もにらんだ、急所の位置になる。
▲56歩に、△88飛から△57歩のと金攻めで、先手の穴熊はあっという間に崩壊。
「相穴熊は、一度優劣がつくと大差になりやすい」
といわれるが、その典型のような形となった。
この将棋は、単に負けただけでなく、広瀬自身の精神状態にも影響を及ぼしたらしい。
『将棋世界』のインタビューでも、▲45飛は見えていたが、羽生相手に攻めを切らされるかもという恐怖心から、ためらってしまい、
「この敗戦で、もう穴熊は指せなくなってしまったのかなと思いました」
とまで語っているのだから、相当にきびしい敗戦だったのだろう。
羽生に負かされた者は、その後も意識しすぎ、敗戦の残像に苦しめられるという。
当初は結果が出ていたおかげで、そうならなかった広瀬にも、ボディーブローのように、効いてきたのかもしれない。
『将棋世界スペシャル』と銘打った、羽生善治を特集したムック本でも、
よく「羽生さんの対戦相手はよく間違える」という話を聞くが、盤を挟んでみると何となくその悪手を指してしまった諸先輩方の気持ちがわかったような気がする。
2015年、王位戦で羽生への挑戦権を得たときも、
「振り飛車穴熊はやはりなかなか……主に羽生さんにやられすぎていて(笑)」
「だんだん自分の将棋の弱点というか、隙を突かれていったような感じです」
「だんだん自分の将棋の弱点というか、隙を突かれていったような感じです」
など、苦戦を自覚しているようなコメントが散見される。
シリーズも、1勝4敗でタイトル復位はならなかった。
こうして、一度は羽生相手に洗礼を受けることとなった広瀬だが、彼ほどの才能がこのままやられっぱなしであるはずはない。
タイトルはお預けになったが、その間に順位戦では好成績をあげ、20代でA級八段になる。
また勝率も安定して高く、銀河戦と朝日杯でも決勝に進出し存在をアピールした。
棋風も「困ったら振り穴」から居飛車党への転向を試みるなど、試行錯誤の時期でもあったようだ。
最初はなかなか慣れなかったようだが、いまではすっかり本格派の将棋である。
そしてついに、その成果が実るときが来た。
2018年の第31期竜王戦で、羽生善治竜王を破り、ついに棋界の頂点に立つのだ。
(谷川浩司の光速の寄せ編に続く→こちら)