テニスの2004年フレンチ・オープン決勝戦ほど、観ていて痛々しさを感じさせられる戦いはなかった。
スポーツにかぎらず、背負ったものが大きいほど、勝者の栄光よりも敗者の悲哀の方が胸を打つものだが、この年のローラン・ギャロス、ギレルモ・コリアとガストン・ガウディオとの決戦がまさにそれだった。
当時の男子テニスは、若い南米の選手が台頭しており、このふたりもアルゼンチンの選手。
1977年のギレルモ・ビラス以来のアルゼンチン人チャンピオン誕生が確実ということで、テニス界も「新時代到来か」と、大いに盛り上がりを見せていたものだった。
この決勝戦、戦前の予想では、コリアが圧倒的に有利といわれていた。
ジュニア時代からその評価は高く、フレンチ・オープンではジュニアの大会に優勝。
また昨年度もベスト4に進出する活躍を見せているという、いわばバリバリのエリートタイプ。
前年度優勝のフアン・カルロス・フェレーロや、同じアルゼンチンの同僚ダビド・ナルバンディアンなどと並ぶ、間違いなく将来のナンバーワン候補のひとりでもあった。
一方のガウディオは、ノーシードから勝ち上がってきた選手。
その実力自体は評価されており、この大会でもレイトン・ヒューイットや盟友ナルバンディアンを破るなど見事な勝ち上がりを見せたが、次期スター候補のコリアとくらべると、やや華の面では見劣りする存在で、この大躍進も周囲の評価としては
「ノーマークだったけど、準優勝なんて、たいしたもんじゃないか」
戦う前から、すでにしてそういうあつかいであったが、それもしょうがないところはあった。
実際、試合もそのように進んだ。経験と実績で勝るギレルモがのびのびとプレーし、完全にゲームを支配。
6-0・6-3と、あっという間に2セットアップしてしまう。
スコア的にも内容的にも圧倒しており、ほとんどギレルモの優勝で決まり。
準備は整って、「あとはソースをかけるだけ」といった状態。
あと数十分で、なにごともなく試合は終わると、観客もギレルモ自身もだれも疑わなかった。
おそらくは、対戦しているガストンでさえも。
ところが、圧倒的優勢のはずのギレルモが、突然おかしくなる。
あれだけ軽やかだったフットワークがなりをひそめ、重くはずむショットに勢いがなくなる。
完勝ペースが一転、ここから試合はおかしな方向に転がりはじめ、ついには大きな悲劇を生むことになるとは、いったいだれが予想しえたであろうか。