「全仏オープン」という表記は、どう読めばいいのだろうか。
もうすぐ、テニスのフレンチ・オープンが開幕する。
通を気取りたい人は、ウィンブルドンのように会場名をとって
「ローラン・ギャロス」
と呼称することもあり、実際、英語嫌いのフランス人はそう呼んでほしいらしいけど、日本では「全仏」が、一番通りがよいだろう。
ではこの「全仏」を、どう発音するのが正しいのかと問うならば、これはもうほとんどの方が、
「決まってるやん。『ぜんふつ』でしょ」
そう答えることであり、あっさりいえば、それが正解でもある。
「ぜんふつおーぷん」
これ以上の解答など、日本語には存在するはずもないのだが、ここにその「常識」に果敢に挑んだ男がいたのである。
友人エビス君と、電話で話していたときのこと。
ちょうどこの時期、フレンチ・オープンの放送がはじまる時間だった。
そこで、
「ゴメン、テニス見たいから、そろそろ切るわ」
と伝えると、エビス君は、
「え? 今、テニスなんかやってるの? テレビ欄に、そんなん載ってたかなあ」
エビス君は、あまりスポーツを見ないタイプの男子なのだ。
そこで、地上波やなくてWOWOWやで、と教えてあげると、
「あー、これか。たしかに、やってるなあ」
納得していただけたところで、友は続けて、
「へえ、奈良に、こんな大会あったんや」
唐突に、珍妙なことを言い出すのである。
奈良。
いったいどこから、そんな単語が出てきたのか。
フレンチ・オープンって書いてあるんだから、フランスに決まってるだろうが。
なぜそれが奈良なのか、地理弱すぎだろうと問うならば、
「だって、『全仏オープン』って書いてあるやん」
これには、受話器を持ったまま、スココココーンとコケそうになった。
字面で書くと、なぜにて私がスッ転んだか伝わりにくいが、そのからくりをここに解くならば、彼は「全仏オープン」を「ぜんふつ」ではなく、
「ぜんぶつおーぷん」
と読んだのである。
なんで「ぶつ」なのか、「仏」といえば奈良に関係あるんかいなと、勝手に「超解釈」したのであった。
ちがーう! それは仏様の「ぶつ」じゃなくて、仏蘭西の「ふつ」やー!
思わず受話器に大声を出してつっこんでしまったが、全ホトケって、そんなぶっ飛んだ読み方されるとは、恐れいった。
6代目バルタン星人ではないが、まさしくお釈迦様でもご存じあるめえ、だ。
なんともアクロバティックな読み方であるが、ここに一応友のよしみでフォローすると、エビス君のカン違いも、理解できるところはある。
漫画家の小田空さんも、中国留学から帰国した際には日本の雑誌を読んで「仏料理」という表記に、
「ホトケ料理ってなんだあ? 精進料理のことか?」
しばし、首をかしげたそうだが、似たような話ではあるのだ(ちなみに中国語でフランスは「法国」)。
「仏」といえば、まあ普通は「ホトケ」であろう。
それ以外だと、「大仏」は「ブツ」。
「仏像」も「ブツ」。
「仏陀」も「ブツ」。
単純に例をあげるだけでも、「ブツ」の方が素直に思い浮かべられる。
「フツ」って、なんか使うところあるっけ?
「仏印」とか「仏文科」とかか。
フランスを仏。あんまし、日常生活で使うことはないなあ。
その流れでいえば「全仏」は「ぜんぶつ」であるよなあ。
なにかこう、「論理的に正しい」気がするではないか。
少なくとも「仏」を「フランス」と読ませるよりは自然だ。
最初はのけぞりそうになった「ぜんぶつ」だが、検討してみるとこっちのほうがむしろ「正解」のような気がしてきた。
言葉の響きも、「オール・ブッダ」となれば、むやみとスケールがでかそうだ。
おお、いいではないか。全仏(ぜんぶつ)オープン。
いつの間にか、すっかりこっちにオルグされてしまった。うん、エビス君、私は君を支持するぞ!
というわけで、冒頭でも述べた通り、大会主催者側は
「英語ではなく、『ローラン・ギャロス』といってほしい」
と望んでいるフレンチ・オープンだが、そんなこと知ったこっちゃなく、かつ「正しい」日本語を愛する私としては断然、
「ぜんぶつオープン」
という呼称で通し、わがままなフランス野郎を、さらに嫌な気持ちに、させてやりたいところである。