なぜ「渡辺明時代」が来なかったのか 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦

2023年08月27日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 王座戦がいよいよ開幕する。

 前人未到の「八冠王」を目指す藤井聡太竜王名人王位叡王棋王王将棋聖(すげー)が、最後に残った王座のタイトルを取りに5番勝負へと上がってきた。

 挑戦者決定トーナメントでは、村田顕弘六段や挑戦者決定戦の豊島将之九段戦など、負けてしまってもおかしくない綱渡りもあったが、終わってしまえばしっかりと結果を出すのだから、さすがとしか言いようがない。

 ここまでくれば、もうどうあがいたって世間は「八冠王」を期待するわけで、永瀬拓矢王座も相当やりにいことであろうが、どうなるのだろうか。

 というわけで、今回からはそんな王座戦にまつわるエトセトラ。

 個人的にもっとも盛り上がった王座戦と言えば、羽生善治王座中村太地七段が戦った2013年第61期王座戦五番勝負だけど、将棋史的に重要なのはその前年のシリーズかもしれない。

 

 


 

 2012年の第60期王座戦は、渡辺明王座竜王羽生善治王位棋聖が挑んだ。

 将棋の世界には、その時代ごとの「覇者」というのが厳然と存在して、戦前なら「常勝将軍」こと木村義雄十四世名人

 長く無敵の存在として君臨し、69歳で死去するまでA級を張り続けた「大巨人」大山康晴十五世名人

 名人15期の「若き太陽」中原誠十六世名人に、21歳で名人になり将棋界に「フィーバー」を起こした谷川浩司九段

 平成の世はもちろん、羽生善治九段

 「タイトル99期」「永世七冠」をはじめ、その偉業は数え上げたらきりがなく、そのあとは藤井聡太七冠がそれを塗り替えられるか挑んでいく。

 なんてズラズラっと並べていくと、少し気になるのが渡辺明の存在だ。

 渡辺は2000年に「中学生棋士」としてデビューしてこのかた、ずっと「羽生世代」を倒しての「渡辺時代」を期待されていた。

 四段になって数年こそ、そこそこの成績だったが、2003年王座戦の挑戦者になり殻を破ると、2004年20歳竜王を獲得。

 その後は竜王こそ9連覇するも次のタイトルがなかなか取れず大爆発がなかったが、2008年の「永世竜王シリーズでは、羽生の永世七冠を3連敗からの4連勝という劇的な内容で阻止して存在をアピール。

 これが自信になったか、渡辺は羽生に対して竜王戦の4連勝なども足せば、6連勝をふくむ15勝5敗と、トリプルスコアで勝ち越していた時期もあった。

 さらに2年後に羽生が、ふたたび「永世七冠」を目指して挑戦者になったときも返り討ちにし、その勢いに乗って2011年の第59期王座戦では、またも羽生を下して二冠を獲得。

 これは3タテというスコアに加えて、羽生の王座連覇19(!)でストップさせた意味でも、大きなインパクトを残した結果となった。

 

 

 

2011年、第59期王座戦。渡辺の2連勝でむかえた第3局は、横歩取りから熱戦に。
図の▲35金は詰めろではなく、渡辺も自信はなかったらしいが、△78金に▲87竜から受けに回ったのが冷静で、羽生の20連覇を阻止。

 

 

 

 となれば、もうこれは「渡辺時代」待ったなしであり、このときは、

 

 「純粋な棋力だけなら、もはや渡辺の方が上」

 

 とまで言われたものだが、ではその後、将棋界はどうなったか。

 それこそ今、渡辺自身が藤井聡太から喰らわされたように、羽生からどんどんタイトルをはぎ取り、三冠四冠とのし上がっていったのかといえば、それがそうはならなかったのが不思議なところ。

 数字だけ見れば、渡辺が羽生を完全に「カモ」にしている結果であり、

 

 大山康晴vs升田幸三

 中原誠vs大山康晴

 羽生善治vs谷川浩司

 

 今では藤井聡太に渡辺明、豊島将之永瀬拓矢がボコられているよう、一度「格付け」が決まってしまうと、追い抜かれた方がなかなか勝てなくなるという、典型的なパターンに見えた。

 ところが、そこでゆずらなかったのが羽生の底力を見せたところ。

 一度は抜かれても、その後に差をつけさせないどころか、下手すると抜き返したりして、その強さがすさまじいと感じ入ったものだ。

 将棋の世界では、世代に奪われたタイトルを取り返すのは、至難と言われていたからだ。

 その後、将棋界は平成の間ずっとそうであったよう「羽生世代」に谷川浩司渡辺、あとは久保利明深浦康市三浦弘行木村一基がからむという安定期が相変わらず続くことになり、

 

 「流れ的には、もうちょっと渡辺が王者っぽくなっても、おかしくないのになあ」

 

 という感じでもあったのだ。

 いやもちろん、タイトル獲得31期に棋戦優勝11回三冠王名人獲得と文句なしの大棋士ではあるのだが、平成における羽生善治や今の藤井聡太のような、ちょっとシャレになってない「独裁」感までは、まだ行ってないというか。

 ともかくも、そんな、あったかもしれない「渡辺時代」にストップをかけたのが羽生の圧倒的な精神力で、失冠の翌年になる2012年、第60期王座戦五番勝負にまたも登場。

 このシリーズの結果が、この後「渡辺一強時代」をなかなか作らせなかった、大きな原因となったのである。


 (続く

 


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