将棋の「受け」というのは、大変な作業である。
前回は羽生善治九段の見せた、あざやかな振り飛車のさばきを紹介したが(→こちら)、今回は受けのワザをいろいろ。
攻めというのは、失敗してもリカバーがきくことが多いが、受けは守備陣や玉の近くが食い破られると、その瞬間どうしようもなくなることがある。
私もたまに自分で指すと、受け将棋というか、正確には
「策もなく漫然と駒組をしていたら、いいタイミングで仕掛けられて、いきなりつぶされそうになって大あわて」
という棋風なので(←そんな棋風はない!)、耐えて、ねばって、ようやっと光明が見えたと思ったらミスが出て、一瞬ですべてが水の泡という経験は枚挙に暇がない。
私がショボいのは別としても、受けが神経を使うのはトッププロでも同じようで、今回はそういう将棋を。
1984年、第43期昇降級リーグ2組(現在のB級2組順位戦)。
中村修六段と、脇謙二六段の一戦。
このとき脇は23歳で、中村は21歳。
開幕戦から昇級候補同士の対戦で、なかなかきびしい当たりだが、将棋のほうもその通りの大激戦になる。
中村修の著書である『不思議流実戦集』(私が初めて買った現役プロの本でもある)にも収録されたこの一局は、相矢倉から後手の中村が、穴熊にもぐる展開に。
脇が先手番らしく攻めかかると、中村はそれをめんどう見ながら、着々とカウンターの態勢を整えていく。
むかえた、この局面。
中村が△67銀と設置したところ。
激しい攻め合いで、形勢は難解だが、後手がやや有利。
先手はピッタリした受けが見当たらないため、攻め合いに活路を見い出したいが、こういうときまず確認しておきたいのは、ここから自陣がどれだけ耐えられるか。
放っておけば後手は、△78銀打とつないでくるが、この瞬間がなんでもない。
次に△79銀不成と取られても、▲97玉と上がると、△88銀打や△88角と打たれないかぎり絶対詰まない、俗に「ななめゼット」と呼ばれる形にできる。
つまり先手玉は「三手スキ」になっているわけで、その間に後手玉を仕留めてしまえば勝ちだが、角と銀を渡せないという制約もある。
そういったことを頭に入れたうえで、脇は▲34歩と攻めかかる。
△同金なら▲23銀と放りこんで寄りそうだが、中村は△24金と拠点の歩をはらう。
これが金を犠牲に、攻めのスピードダウンを図る終盤の手筋。
▲24同角は△64角が、質駒の金を取りながらの、詰めろ飛車取りで先手負け。
かといって、▲同飛は攻めの手掛かりがなくなり、後手陣にせまる手が思いのほか見えない。
まさに「終盤は駒の損得よりもスピード」だ。
そこで脇は▲36桂と打つ。
金を取れないのはくやしいが、とにかく後手玉に王手がかかる形を、作りたいということだ。
後手は△34金と逃げるが、▲12歩と追撃。
玉を危険地帯に誘い出して、王手のかかる形にする思想の継続だ。
△12同玉に、▲35銀とからみつく。
中村はここで、切り札の△64角を発動。
金を補充しながら、▲同角と角の利きを玉頭からそらし、さらには△92にいる飛車の横利きも通ってくるという、一石三鳥の手。
▲64同角に、ここで満を持しての△78銀打が入った。
設置されていた時限爆弾の針が、ついに動き出す。
盤面左下から、警告音が鳴りまくる中、必死の脇は▲34銀と取る。
これが▲24桂からの詰めろで、先手玉に詰みはないとなれば、勝てそうにも見える
対して中村は、一回△79銀不成と取って▲97玉に、次の手がまた好手だった。
△23金打が、ふたたび終盤の手筋。
詰めろを防ぎながら
「ナナメ駒をください」
という催促で、先手が困っている。
▲同銀成には△同歩で、自動的に先手玉が詰めろになって、受けても一手一手。
銀を渡せない先手は金を取らず、単に▲45角と、きわどくつなぐ。
どこかで▲24桂の一発をねらうが、やはり△33金打と強引にチャージをかけられて、いよいよ手がなくなった。
玉頭戦で怖い形だが「受ける青春」中村修にかかれば、なんのこれしき、といったところだろう。
やむを得ない▲33同銀成、△同金直で、とうとう受け切りが見えてきた。
先手玉は△88銀打に、▲98玉でまだギリギリ耐えているが、もう一枚も駒を渡せない。
歩があれば▲24歩だが、あいにくの歩切れで、まさに「歩のない将棋は負け将棋」。
手段に窮した脇は、▲14香と特攻をかける。
虎の子の一歩を取りに行って、部分的には筋だが、△34歩と受けて後続手がない。
そこで▲24歩が、詰めろでもなんでもないのだから。
ところが、ここまで完璧な受けを見せていたはずの中村が、まさかのミスを犯してしまう。
「最後のお願い」に△14同香と取ったのが大悪手。
すかさず、▲13歩とたたいて、なんと後手玉は詰んでいるのだ!
△同桂に▲23飛成と飛びこんで、△同歩に▲24桂と捨てるのが、詰将棋のような華麗な一着。
△同金に、▲21銀まで中村が投了。
以下、△同玉に、▲54角と出る手があって、ピッタリ詰んでいる。
たしかに、▲14香、△同香に▲24歩なら、そこで△34歩と打てば香が手に入るから、より明快なように見える。
それが罠だったのだ。
中村は終始、▲36の桂を使わせない作りで、受けていたはずなのに、最後の最後でカッコよく、▲24桂と跳ねられて詰まされるとは……。
まさに受けのむずかしさを表わす将棋で、中村修ほどの達人でも、こういうことがあるのである。
(近藤誠也と羽生善治の詰むや詰まざるや編に続く→こちら)
(脇謙二の米長邦雄との名局は→こちら)