ハイデガーが「存在と時間」を書くことに至ったのは、第一次世界大戦による惨劇と荒廃した世界を目の当たりにしたからなのかもしれません。
「そういうとき、『存在とは何か』といった、日常的経験のレベルではほとんど無意味としか思われないような単純な問いが発せられ、その問いに人生なり、歴史なりの全体に対する根本的な態度決定が結集されるのであろう」(p.19)
日頃なんら疑うことなく在るものとして認識していた出来事や物事のかたちやありようが消失したとき、その問いは「世界というもの」を考えるきっかけになるような気がします。
「みずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが〈存在者〉としてみえてくる」(p.83)
ひょっとしたら、「世界というもの」は自らの視点を過去・現在・未来のいづれかに定めたときに、その視界に現れる事象を言葉を介して再構築することなのかもしれません。
「ハイデガーの思想とは、結局何だったのであろうか。私は現代を読むための壮大な思考実験だったと思っている」(p.230)
初稿 2022/07/31
出典 木田元, 1993. 「ハイデガーの思想」岩波新書
写真 百年前の英国産煉瓦を再利用した庭園
撮影 2018/04/18(大阪・京橋)
「そういうとき、『存在とは何か』といった、日常的経験のレベルではほとんど無意味としか思われないような単純な問いが発せられ、その問いに人生なり、歴史なりの全体に対する根本的な態度決定が結集されるのであろう」(p.19)
日頃なんら疑うことなく在るものとして認識していた出来事や物事のかたちやありようが消失したとき、その問いは「世界というもの」を考えるきっかけになるような気がします。
「みずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが〈存在者〉としてみえてくる」(p.83)
ひょっとしたら、「世界というもの」は自らの視点を過去・現在・未来のいづれかに定めたときに、その視界に現れる事象を言葉を介して再構築することなのかもしれません。
「ハイデガーの思想とは、結局何だったのであろうか。私は現代を読むための壮大な思考実験だったと思っている」(p.230)
初稿 2022/07/31
出典 木田元, 1993. 「ハイデガーの思想」岩波新書
写真 百年前の英国産煉瓦を再利用した庭園
撮影 2018/04/18(大阪・京橋)
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