【慶視点】
2022年9月10日土曜日。
今年の浩介の誕生日は、浩介のお母さんが手料理をごちそうしてくれることになった。コロナ禍の影響で、会えても荷物の受け渡し程度だったので、一緒に食事をするということ自体、久しぶりだ。しかも誕生日当日を一緒に過ごすことも、ものすごく久しぶりだ。
「せっかく今年は土曜日なのに。私もお父さんも、あと何回、あなたの誕生日をお祝いできるか分からないのに……」
と、お母さんに泣きつかれたそうで、浩介も渋々行くことを了承したらしい。
「二人とも長寿家系なんだからまだまだ大丈夫でしょって思うんだけどね……」
そんなことを言いながらも、昔ほどの拒否反応が出ていないことにホッとする。せっかく築き上げてきたご両親との良好な関係、保っていきたい。
「おれもなるべく早く行くから」
おれは職場から電車で直接、浩介は夕方到着予定で車で実家に向かうことになった。
今日はとにかく残業しないですぐに帰ろうと、思ったのに、定時を過ぎてもなお……
「渋谷先生、薬局から問い合わせの電話が来てるんですけど」
「渋谷先生、これ確認してください」
「渋谷先生、ユカリちゃんのママがいらしてます」
「渋谷先生、今度の会議の資料、できてます?」
…………。
…………。
…………。
「なあ、渋…………」
「…………っっ」
夜7時半過ぎ。何とか全部片づけて、慌てて荷物を持って廊下に出たところで、後ろから声をかけられ、
「だーーーーー!!」
………って叫びそうになったところを寸前で飲みこんだ。確かに飲み込んだ。……けれども、誤魔化しきれていなかったようで、
「おー、なんだよ。こええなあ」
「…………院長」
声をかけてきた峰先生にバレて、苦笑されてしまった。
「お疲れ。帰るところか?」
「はい。って、今日は用事があるので定時で帰るつもりだったんですけど!」
思わず本音を言うと、峰先生は「そりゃ申し訳ない」と、片手をあげてから、「あー、じゃあダメかぁ」とガッカリしたように息をついた。
「今日は中秋の名月な上に満月だっつーから、月見酒でも……と思ったんだけど」
「あ……そうなんすか」
中秋の名月で満月。それは知らなかった。けど、そんなことより大切なことがおれにはある!
「すみません、また今度」
「おー、お疲れー。……誰か暇なやついねーかなー……」
峰先生は院長らしくないフランクさでスタッフと接してくれる。今年還暦だけれども、とても若々しくて、でも、貫禄はあって……
(いいなあ…)
12年経ったところで、自分がああなれるとはとても思えない。
(浩介も……)
ああはならないだろう。でも……
12年後の浩介も、今と変わらない優しい瞳をしていることだけは、分かっている。
結局、予定よりも2時間遅れで、浩介実家の最寄り駅に到着した。浩介は予定通りに実家に行けたそうで、夕飯は3人で先に食べたと連絡があった。
『これから行くと遅くなるから、おれは行くのやめようか?』
と、聞いたけれど、
『来てほしい』
と、短い文章が送られてきたので、行くことにした。の、だけれども……
(大丈夫かな……)
久しぶりの両親との対面。心配だ……。
なんて思いながら改札を出た先に、浩介が立っているから驚いた。ひらひらとコチラに手を振っている。
やっぱり何かあったのか!?
と、思ったのも束の間、
「母が迎えにいけって……」
「あ……そうなんだ」
浩介の恥ずかしそうな、くすぐったそうな表情に、ものすごく嬉しくなったけれど、なるべく普通の顔で肯くに留める。
(そう言ってもらえるのって、おれの存在を認めて、大事にしてくれてるって感じがして嬉しいよな?)
そんな本音を言葉に出して、意識させてしまうのは嫌なので、あえてそのことには触れずにおく。
「遅くなってホントごめんな。メシ先に食ったんだよな?」
「うん。あとはケーキだけど……、慶、ケーキ先でもいい?」
「もちろん。何ケーキ?」
「分かんない。けど、なんか小さめのホールケーキを買ったらしいよ」
「へー楽しみだな」
浩介の実家は駅から徒歩数分。大きな人道橋を渡る。並んで話しながら歩いていたけれど……
「?」
橋の途中で、浩介がいきなり立ち止まった。
「どうした?」
「慶」
振り返ると、浩介が、ふいっと空を指差した。その先には……
「ああ……、月」
丸い黄色い月が、空にぽっかりと浮かんでいる。
「中秋の名月で満月、なんだっけ?」
「うん。中秋の名月と満月が重なることって結構珍しいんだって」
「へえ、そうなんだ」
二人で満月を見上げる。
「慶……」
「あ?」
すっと腰のあたりに手を置かれ、浩介に視線を移すと、その優しい瞳がふっと和らいだ。
「あの……」
「なんだ」
「うん。あのね」
「おお」
「……月が」
浩介が、静かに言葉を継いだ。
「月が、綺麗だね」
…………。
…………。
…………。
「なんだそりゃ」
ぷっと思わず吹き出すと、浩介も照れたように笑いだした。
「うん。ちょっと言ってみた」
「言ってみたって」
「慶も言って言ってー」
「なんだそりゃ」
笑いながら歩き出す。……と、
「あれ?お父さんとお母さんじゃね?」
「あ、ホントだ。何してるんだろ……」
橋の向こうに、浩介のお父さんとお母さんが立っていた。二人で月を見上げている。
二人で一つの老夫婦……
「なんか……すごいよな」
自然と言葉が出てきてしまう。
「ああやって、長年寄り添って生きてきたんだよな、お前のお父さんとお母さん」
「…………」
浩介はなんともいえない複雑な表情で、両親を見ている。浩介の中では、父親の支配下にいる母親、という印象がいまだに拭いきれていない。子供時代の印象というのはどうしても強過ぎるのだろう。
(お父さんはお父さんなりに、お母さんを大事にしているってことは、理解はしているけれど、感情が追いつかない……ってところなんだろうな)
「浩介」
とん、と腕を叩いてやる。
「あ……うん」
我に返った浩介の瞳を真っ直ぐに見上げ、小さく、ささやく。
「……月が、綺麗だな」
「……慶」
ふっと表情を崩した浩介の腰のあたりに手をあてる。
「おれたちもさ」
満月を見上げ、誓うように言う。
「おれたちも、何年たってもずっと一緒に月を見上げような」
「…………うん」
肯いた浩介の横顔に、あらためて告げる。
「誕生日、おめでとう」
こうして今年も「おめでとう」と言えることに心から幸せを感じる。
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お読みくださりありがとうございました!
たまには写真を載せよう!と思って、9月10日の夜に、ここの橋に満月の写真を撮りに行ったのですが、あまりにも下手過ぎて載せるのは断念⤵
と、いうことで、浩介誕生日でした!
あいかわらず、なんのひねりもない日常話でm(__)m
本当は「渋谷先生は早く帰りたい」ってサブタイトルの話を書こうと思っていたのですが(なんだそりゃ)、中秋の名月で満月だということを知り、そりゃー二人で月を見上げるでしょーってことになり、落ち着きました。はい。
ということで、読みにきてくださった方、クリックしてくださった方、本当にありがとうございます!おかげで書けました!!
また落ち着いたら書かせていただきますー。