【慶視点】
昔、先輩医師に言われたことがある。
幼少期の辛い思い出を、消すことはできない。
でも……
『白い記憶でいっぱいにすれば、黒い記憶は薄くなっていく』
『君が白でいっぱいにしてあげればいいんじゃない?』
だからおれは、白く白く白く……浩介の記憶を、光で埋め尽くしたい。
***
1月の第2日曜日、浩介と二人で、浩介の父親の友人『滝さん』を車で迎えにいった。
滝さんは、86歳とは思えない、生命力に溢れたオーラの持ち主だった。浩介は滝さんと会うのは大学生の時以来だけれども「その時と全然変わってない」らしい。
今まで滝さんと会うときは、必ず両親や滝さんのご家族と一緒だったため、こうして一対一で向き合うのは初めてで、緊張するから慶と一緒で助かった、と言っている。
今回の滝さん来訪に際して、おれも浩介の実家に行っていいのか迷った。でも、浩介のお父さんが「渋谷君も」と言ってくれたそうで、お邪魔することになったのだ。
ただし、あくまで浩介の『親友』としての紹介になる、とは、浩介の母親にキツく釘を刺された。
浩介の母親はおれのことを受け入れてくれてはいるけれど、周りには知られたくない、と思っている。
そのことについて、浩介がサバサバとした口調で言っていた。
「あの人ね、周りの人には、『息子は海外赴任が原因で別れた彼女のことが忘れられないから結婚しない』って言ってるらしいよ」
その『彼女』というのは、浩介の友人のあかねさんのことだ。20代の頃、恋人のフリをしてもらっていたことがあるのだ。もちろんご両親にはいまだに「フリ」だったことは言っていない。
「今も後生大事にあかねの写真持ち歩いててさ、『息子さん結婚しないの?』の質問には、『この子を超える美人じゃないと』って言って写真見せるんだって」
そうするとみんな「それは難しい」となる、らしい。そりゃそうだ。あかねさんを超える美人なんて、おれも今まで会ったことがない。
「滝さんにも同じこと言ってるみたいで……」
「そっか。じゃあ話合わせないとな」
「ごめんね」
「気にすんな」
なんて話をしていたけれど、滝さんの口からは、あかねさんについてなんの言及もなかった。それどころか、
「去年会った時に桜井と言ってたんだよ」
3人きりの車の中で、滝さんにケロリと言われた。
「僕が結婚してなかったら、僕たちも今の君たちみたいに、一緒に暮らしてたかもしれないな〜ってさ」
「!?」
一瞬、『一緒に暮らす』って、『そういう』意味かと思って息が止まってしまった。でももちろん『そういう』意味ではないと気がついて我に返った。
浩介も同じだったようで、「ええ!?」と叫んでから、慌てて口を押さえている。(おれが運転していて良かった……)
「わ、わー、滝さんと浩介のお父さんって、本当に仲良しなんですねー?!」
浩介の叫びを誤魔化すためにも、大袈裟に大声で言うと、滝さんは「まあね」と朗らかに笑った。
「でも、桜井のやつ、はじめは僕のことも邪魔にしてたんだよ」
あいつ、人付き合い苦手だからね。
そういいながら滝さんは、浩介のことを振り返った。
「浩介は友達できるようになって良かったよなー」
「え」
キョトンとした浩介に、滝さんがニコニコと続ける。
「渋谷君のおかげだったんだろうって桜井は言ってたけど」
「え」
「え」
おれのおかげ? そんなことはない気がするけど……
という、おれの疑問の「え」と、浩介の「え」は違う「え」だった。
「父が僕の話をしたんですか?」
「よくしてるよ?」
滝さんは、当たり前だろ?という感じに肩をすくめた。
「友達が出来たって話は……何十年前だ? 浩介が高校生の時だよな。桜井が嬉しそうに話してたから良く覚えてるよ」
「え……」
浩介、固まってしまった。
浩介が前に言っていたことがある。「父は無関心、母は過干渉」と。でも、お父さん、浩介の話を嬉しそうに、してたんじゃん……
「桜井、浩介は自分に似て友達が出来ないんだって、ずっと心配してたからなあ」
「え……」
「でも、顔は母親似だから良かったって」
「でも、顔は母親似だから良かったって」
「…………」
「桜井だって別に顔が悪いわけじゃないんだけどな。むしろハンサムっていえる部類だし。ただ、いつも仏頂面してるから勘違いされやすいんだよな」
「…………」
浩介、固まったままだ。
代わりにおれが話を繋いでみる。
「滝さんと浩介のお父さんって、大学時代のお友達なんですよね?」
「そうそう。たまたま同じ講義を取ってて……」
「…………」
浩介、固まったままだ。
代わりにおれが話を繋いでみる。
「滝さんと浩介のお父さんって、大学時代のお友達なんですよね?」
「そうそう。たまたま同じ講義を取ってて……」
遠い目をした滝さんの瞳に優しい色が灯っている。
「『頭は良いけど、取っつきにくくて嫌な奴』って、噂は聞いてたけれど、話しかけてみたら、本当に取っつきにくい奴でね」
「………」
なんとなく想像できる。お父さんの仏頂面……
「でも、嫌な奴ではなかったよ。講義で分からなかったところを親切に教えてくれたりして」
ニッコリとした滝さん。
それから、滝さんがお父さんの下宿先に入り浸るようになるのに時間はかからなかったそうだ。お父さんははじめは疎ましげにしていたけれど、そのうち「観念した」といって、就職後の一人暮らしのアパート住まいの時には「面倒くさいから」と、合鍵までくれたそうだ。
「僕達、ずっと一緒にいたから、恋人なんじゃないかって、周りにからかわれたりしてね」
君達もそうだったんじゃない? と振られ、「あはは」と笑って誤魔化す。本当に「恋人」だとは、言えない……
「あれから何十年経ったんだ?」
「…………」
「でも別に何も変わってないな……」
滝さんは独り言のように付け足して、窓の外に目をやった。
「ここらへんは変わったね」
「そう……ですね」
新しい道路が出来た。新しい店が出来た。おれ達が住んでいた頃からもずいぶんと変わった。
でも、おれは……おれ達は、あの頃と同じように……いや、あの頃よりもたくさん、一緒にいる。
でも、浩介とご両親の関係は、変わっていける……
でも、浩介とご両親の関係は、変わっていける……
そんなことを思って、ミラー越しに浩介を見ると、泣きそうな瞳と目が合った。
それぞれの思いを乗せて、静かなまま車は進んでいたのだけれども、
「あー、佐和子さんの料理、楽しみだなー」
もうじき浩介の実家に着く、ということろで、雰囲気を変えるためか滝さんがはしゃいだように言った。
「佐和子さん、ホント料理上手だもんな。桜井が結婚したがった意味も分かるよ」
「え?」
浩介がキョトン、とした。
「父はお見合いで断りきれなくて……みたいな話を親戚から聞きましたけど……」
戸惑ったような浩介のセリフに、滝さんはまた朗らかに笑った。
「違う違う。あいつ、佐和子さんの料理に惚れ込んで、この料理を毎日食べたいって言ってプロポーズしたんだよ」
「え」
「佐和子さんの長所は料理が上手いところだって未だに自慢してるからね。僕に家に遊びに来いっていうのも、手料理を食べさせたいからだからね」
「………」
長所、料理が上手い。って、おれが浩介の長所を上げろと言われたときに書いたセリフだな……
浩介、また固まっている。
「あ、桜井だ」
道路の先、浩介の実家の前に浩介のお父さんが立っているのを見つけて、滝さんが笑いだした。
「あいかわらずせっかちだなあ」
「せっかちは昔からですか?」
聞くと、滝さんはコクコクうなずいた。
「もー、せっかちせっかち。本当にせっかち。すぐ怒るし。大変だよな? 浩介」
「え、あ……」
「あいつ、あれだよ、庭の自慢したくてあそこで待ってるんだよ絶対。佐和子さんと一緒に花壇……、おー、桜井ー」
ニコニコしながら、滝さんが窓を開けて手を振ると、お父さんは庭の方を指さして、大きな声で言い返した。
「庭の案内を先にしようと思って!」
「だと思った!」
滝さんは、あはは、と笑うと、おれと浩介を振り返った。
「ホント、80過ぎても変わらないよな」
優しい……瞳。
「じゃ、迎えにきてくれてありがとう」
「いえ、あ、荷物、持っていきますので、先に……」
「そうさせてもらうよ。せっかち桜井が待ちわびてるからさ」
86とは思えない身軽さで、滝さんはさっと車から降りると、お父さんのところへ歩み寄った。
手を広げて待っているお父さん。滝さんと同じ、優しい優しい瞳……
「疲れてないか?」
「ちょっとな。迎えにきてもらえて助かったよ」
「そうか」
並んで歩く、親友二人の後ろ姿は、何だか胸を打つものがある……
さて、車庫入れ……と思ったら、すでに車庫の扉が開いていて、少し笑ってしまった。せっかち桜井、か……
「お前の父さん、気が利くなあ。もう扉開けてくれてる」
「…………慶」
「あ?」
車庫入れのピーピーいう音の中、後部座席の浩介が、なんだか複雑な表情でこちらを見ている。
「どうした?」
「うん……」
「…………」
「…………」
大きく息をついてから、浩介は絞り出すように、言った。
「全然、知らなかった。父がおれのこと…………」
「うん」
「それに、父と母が……」
「うん」
手を伸ばし、そっと浩介の頬に触れる。愛しい愛しい感触……
「慶……」
「うん」
「おれ……」
「うん」
「…………慶」
「…………うん」
『白い記憶でいっぱいにすれば、黒い記憶は薄くなっていく』
お前の記憶を白でいっぱいにしたい。その願いは、少しずつ、少しずつ、叶えられていく。
「……行こうか。『せっかち桜井』が待ってるぞ?」
「……うん」
「それに『長所・料理が上手い』のお母さんも待ってる」
「…………それね」
浩介はクスリと笑った。
「おれ、母親似、なんだね?」
「そうだな」
料理上手なところ、そっくりだ。
「慶も、80歳になっても自慢してね?」
「おお。するする」
どんな未来が待ち受けているかなんて誰にも分らないけれども……
白い光で埋め尽くされた中に、二人で一緒にいることだけは確かだ。
「行こう」
「うん」
車を出ると、お父さんと滝さんの笑い声が聞こえてきた。
料理上手なところ、そっくりだ。
「慶も、80歳になっても自慢してね?」
「おお。するする」
どんな未来が待ち受けているかなんて誰にも分らないけれども……
白い光で埋め尽くされた中に、二人で一緒にいることだけは確かだ。
「行こう」
「うん」
車を出ると、お父さんと滝さんの笑い声が聞こえてきた。
おれ達もあんな風に笑い合っているだろう。80歳を過ぎても。
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お読みくださりありがとうございました!
この半年、80歳オーバーの元気な方々とお話しする機会が増えた関係で、滝さんの話を書く勇気をもらいまして、ついに書くことができました。少しずつ、新たな関係を築いていく浩介とご両親。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!おかげでここまで辿りつくことができました。感謝してもしたりません。
不安な日々が続いておりますが、皆様、どうぞくれぐれもご自愛ください。
お読みくださり本当にありがとうございました。
不安な日々が続いておりますが、皆様、どうぞくれぐれもご自愛ください。
お読みくださり本当にありがとうございました。