【哲成視点】
2000年の8月は、小学2年生の、妹の梨華にかかりきりで終わった。
夏休みの宿題は学童でもみてくれたけど、やはり、自由研究と苦手な算数の勉強はうちでやらなくてはならず、それに、海とプールと花火大会と、千葉に旅行にも行ったので、土日とオレの短い夏休みは全部つぶれた。
でも、梨華に関わる時間を増やすために子会社に出向した甲斐もあり、夏休みの終わりには、学童の先生から「梨華ちゃん、ずいぶん落ち着きましたね」とお褒めの言葉をいただけたくらい、梨華の荒れた言動は治まってくれた。
そうして夏休み期間はあっという間に過ぎて、ようやくホッとした9月の土曜日……
亨吾がピアニストをしているレストランに、夜10時前に着いたところ、常連の一人であるトオルさんに話しかけられた。トオルさんは近所の楽器屋の店長で、自らもアマチュアバンドでドラムを叩いている。ちょっと太めだけど、カッコいいオジサンだ。
トオルさんは、白髪混じりの髭を撫でながら、ニコニコと言った。
「哲成君はもちろん来るよね? 23日」
「23日?」
何のことだ? 3週間後の土曜日だけど……
「ええと……」
「歌子ちゃんと亨吾君の結婚パーティーだよ」
「………………。え?」
なんだって?
「パーティー?」
「あれ?聞いてない? あ、そっか。哲成君、最近来てなかったもんね? 忙しかったの?」
「あー……はい」
うなずきながらも、頭の中にはハテナしかない。
(結婚パーティー?)
って、なんだそれ? 何も聞いてないぞ。確かに8月は亨吾に会えてはいないけど、メールでやり取りは頻繁にしていた。まあ、くだらない話しかしてないけど……。でも、結婚、なんて。そもそも亨吾と歌子さん、付き合ってもいないだろ。
なんだ? どういうことだ? トオルさんの勘違い?
「あ、歌子ちゃん!」
「!」
トオルさんのよく通る声にビクッとしてしまった。歌子さんが呼び止められている。トオルさんがニヤニヤと言った。
「歌子ちゃん、夫婦連弾してよ」
「まだ夫婦じゃないですよ」
小さく笑った歌子さん。……否定しないんだ……
(ってことは……)
本当、なのか?
トオルさんのよく通る声にビクッとしてしまった。歌子さんが呼び止められている。トオルさんがニヤニヤと言った。
「歌子ちゃん、夫婦連弾してよ」
「まだ夫婦じゃないですよ」
小さく笑った歌子さん。……否定しないんだ……
(ってことは……)
本当、なのか?
「閉店してからみんなで飲もうよ。前祝い前祝い。そこで連弾聴かせて?」
「トオルさんのおごり?」
「いいよー。哲成君もね。一緒に前祝いしよ?」
「え」
トオルさんに言われたけど、反応できなかった。前祝い……
「あの……」
「あ、時間だね」
「あ」
スッと、あいかわらずのスマートさで、亨吾がピアノの椅子に座った。何事もなかったように、いつものように、チラリ、とこちらを見てから弾きはじめたのは……
(…………月の光)
ドビュッシーの『月の光』。オレのお気に入りの曲だ。オレがいると必ず弾いてくれる。いつものように、綺麗な音色が切々と訴えかけてくる……
(……好きだよって)
亨吾のピアノの音色は、いつも「好きだよ」と言ってくれる。愛で包んでくれる。
こんなにオレのことが「好き」なのに、結婚……?
まあ、お母さんのためにしたらどうだ?と勧めたのはオレだけど……
歌子さんならいい、とも思ってたけど……
でも……。本当に、結婚?
事態が理解できないまま、その日の享吾のステージは終わった。
オレが固い表情をしていることに気が付いたのか、享吾が慌てたようにオレのところに来て、スイッと顔を近づけてきた。
「もしかして……聞いた、のか?」
「……」
まっすぐに見返すと、「ごめん」と謝られた。
「会った時に話そうと思ってたんだけど、今日まで会えなかったから……」
「…………」
「ごめんな」
「…………」
それは何のごめんだ。報告が遅れたことに対する「ごめん」? それとも、結婚することに対する「ごめん」? 聞きたかったけど、聞けなかった。その代わり、できる限り明るく、言った。
「いや~~~ビックリした」
「だよな」
「うん」
「………」
「………」
「………」
「………」
微妙な沈黙が流れる………、と、少し離れたところに座っているトオルさんが、ちょいちょい、と手で合図を送ってきた。閉店後に前祝いすることを言え、ということらしい。
「あの……トオルさんが閉店後、みんなで飲もうって。奢ってくれるってさ」
オレが固い表情をしていることに気が付いたのか、享吾が慌てたようにオレのところに来て、スイッと顔を近づけてきた。
「もしかして……聞いた、のか?」
「……」
まっすぐに見返すと、「ごめん」と謝られた。
「会った時に話そうと思ってたんだけど、今日まで会えなかったから……」
「…………」
「ごめんな」
「…………」
それは何のごめんだ。報告が遅れたことに対する「ごめん」? それとも、結婚することに対する「ごめん」? 聞きたかったけど、聞けなかった。その代わり、できる限り明るく、言った。
「いや~~~ビックリした」
「だよな」
「うん」
「………」
「………」
「………」
「………」
微妙な沈黙が流れる………、と、少し離れたところに座っているトオルさんが、ちょいちょい、と手で合図を送ってきた。閉店後に前祝いすることを言え、ということらしい。
「あの……トオルさんが閉店後、みんなで飲もうって。奢ってくれるってさ」
「え、なんで」
「結婚の前祝いだって」
「ああ……」
「………」
「………」
「………」
「結婚の前祝いだって」
「ああ……」
「………」
「………」
「………」
「………」
再び訪れた沈黙……。
再び訪れた沈黙……。
耐えきれず、何とか口を開く。
「で、連弾聴かせろって、トオルさんが」
「連弾?」
「うん」
「………」
「………」
「………」
「………」
会話が続かない……
享吾も気まずくなったのか、スッと立ち上がった。
「じゃ……後でな」
「あ……うん」
オレの元を離れた享吾が向かった先は……歌子さんのところ。
(………っ)
胸が、痛い……
結婚を勧めたのも、歌子さんを薦めたのも、オレだ。
でも、二人が一緒にいるところを見るのは、こんなにも……痛い。
(キョウ……)
オレはこんなに痛いのに……なんでお前は平気な顔してんだよ。
「で、連弾聴かせろって、トオルさんが」
「連弾?」
「うん」
「………」
「………」
「………」
「………」
会話が続かない……
享吾も気まずくなったのか、スッと立ち上がった。
「じゃ……後でな」
「あ……うん」
オレの元を離れた享吾が向かった先は……歌子さんのところ。
(………っ)
胸が、痛い……
結婚を勧めたのも、歌子さんを薦めたのも、オレだ。
でも、二人が一緒にいるところを見るのは、こんなにも……痛い。
(キョウ……)
オレはこんなに痛いのに……なんでお前は平気な顔してんだよ。
歌子さんに楽譜を見せながら真剣に話をしている亨吾の横顔をジッと見つめる。お似合いだな……。
と、いつの間に隣にいたトオルさんに声をかけられた。
「あの二人、ホントお似合いだよね」
「……そうですね」
コクンとうなずく。笑顔を張り付けるのがやっとだ。
オレは想像力が無さすぎる。
お前が誰かのものになることが、こんなに体がはち切れるほど辛いなんて、思いもしなかった。
でも……でも。
お前も、本当は辛かったんだよな……?
その日の夜、悪酔いしたオレは、終電に間に合わなくなり、亨吾と一緒に店の控室に泊まらせてもらうことになった。
翌朝、オレは「酔ってて何も覚えてない」と、享吾には言ったけど、本当は、全部覚えてる。
『哲成……哲成』
切ない声で何度もオレの名を呼びながら、オレのものを口と手で包み込んだ亨吾……
その日の夜、悪酔いしたオレは、終電に間に合わなくなり、亨吾と一緒に店の控室に泊まらせてもらうことになった。
翌朝、オレは「酔ってて何も覚えてない」と、享吾には言ったけど、本当は、全部覚えてる。
『哲成……哲成』
切ない声で何度もオレの名を呼びながら、オレのものを口と手で包み込んだ亨吾……
『哲成……』
好きとは言わない、という約束だから、言われてないけれど……、でも、その声は「好き」以外の何物でもなくて……その愛撫には愛しさが詰まっていて……
どうして結婚しようと決めたのかは分からない。たぶん、お母さんのことが関係しているんだろう。でも……
(キョウはオレのことが『好き』)
それに変わりはない。少しも変わりはない。
だから……
「結婚、おめでとう」
翌朝、目が覚めた享吾に、一番にそう告げた。
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お読みくださりありがとうございました!
次回、火曜日更新のつもりでいます。
好きとは言わない、という約束だから、言われてないけれど……、でも、その声は「好き」以外の何物でもなくて……その愛撫には愛しさが詰まっていて……
どうして結婚しようと決めたのかは分からない。たぶん、お母さんのことが関係しているんだろう。でも……
(キョウはオレのことが『好き』)
それに変わりはない。少しも変わりはない。
だから……
「結婚、おめでとう」
翌朝、目が覚めた享吾に、一番にそう告げた。
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