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高校二年生の初日……
「これ、君の?」
机の横からスッと出されたオレの栞。白い手。その先を見上げて………
「………!」
あまりにも驚き過ぎると、人は息をすることすら忘れるんだ、ということを、身をもって知った。
凛とした目元、白い肌、1つに結われた長い髪、透明感のある雰囲気……オレが思い描いていた理想の女の子を体現したような……
「違うの?」
「あ…………、いや……」
「落ちてたよ?」
にっこりとしてくれたその瞳があまりにも綺麗で……オレはこの一瞬で恋に落ちた。
中学時代も高校1年の時も、彼女がいたことはあった。でもそのいずれも、それなりに好意を持っていた子から告白されて付き合って……という感じだったので、こんな風に、心全部持って行かれるような恋愛感情を抱いたのは初めてのことだった。
川本沙織は、控えめだけれども芯のあるしっかりした女の子で、バトン部の副部長として頑張っていて、何より笑顔が可愛くて……、きっかけは一目惚れだったけれど、知れば知るほど、その内面にも惹かれていった。
それから約2年間片想いをして、卒業旅行で行ったスキー場で告白して、付き合うようになって……
高2の出会いから14年。今も変わらず、沙織のことが好きだ。好き………だけれども。
「少し距離を置きたい」
そう言われて「分かった」とアッサリ肯いてしまった。
沙織が望んでいたのは、その言葉ではない。それは分かっていたのに……
この14年の間で、こうして距離を置くのは二度目のことだ。
……いや、一度目は「距離を置く」ではなく「別れた」。あれもちょうど『全員25歳になった記念同窓会』の直後のことだった。
あの頃、『ミレニアム婚』ブームにのって、周りの友人が何人も結婚したからか、沙織も結婚を強く意識するようになっていた。親の意向もあったようだ。でも、オレは一浪したせいもあり、まだ就職して3年目。短大卒で、働きはじめて6年目の沙織とは、結婚に対して温度差があった。
(いや、それだけじゃなくて……)
就職してから3年目。自分の中の「これでいいのか」という思いは日に日に強くなっていくばかりだった。名の知れた会社であることと給料がいいことだけを理由に選んだ会社だったので、誇りを持って仕事をしている友人達が眩しく見えた。
仕事はそつなくこなしてはいたけれど、漠然とした不安は募るばかりで……「会社を辞めたい」と言ったオレに、沙織が別れを切り出したのも、至極当然のことだったと思う。無職の男と結婚はのぞめない。
オレは沙織と別れてすぐに仕事をやめ、一人旅に出た。色々な国を旅しながら何か掴めるかと思ったけれど、そんなものはどこにもなくて……。
そんな時に思い出すのが、修学旅行の松陰神社の境内でのことだった。
「オレ達にはどんな将来が待ち受けてるんだろうなー?」
そう叫んだ時に一緒にいた桜井は、親の跡を継いで弁護士にならないといけない、と言っていたのに、自らの夢を優先して学校の先生になった。あの時は何もないと言っていた渋谷は、医者になるという夢を見つけて叶えている。二人のことが羨ましかった。
何かしなくては、何かなさなくては、という気持ちのまま、帰国後、大学時代の友人が立ち上げたシステム開発会社を手伝うことにした。でも、その会社もすぐに立ち行かなくなり、1年ほどで潰れてしまった。
結局、今は、その時のツテで紹介してもらった、とある学校法人の事務室で働いている。
沙織とは、その後、高校の文化祭で再会した。
オレと別れてから2年半の間に、沙織には恋人がいた時期もあったらしい。結婚までは行きつかなかったそうだけど……
「章人君は? 彼女は?」
変わらない黒目がちの瞳に見つめられ、ゆっくりと首を振った。
「オレには沙織しかいないから」
「…………そっか」
沙織はふっと笑って……
「章人君、変わってないね」
そう言って、また笑った。変わらない笑顔……。思わず引き寄せて抱きしめたら、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。愛しくて愛しくて二度と手放したくないと思った。
それからオレ達は、オレの一人暮らししていたアパートで、同棲生活をはじめた。
「章人君と一緒にいると安心する」
沙織はよくそう言って、隣に並んで座っているオレの肩に頭を預けてくれた。二度と得られないと思っていた笑顔がここにある。沙織と一緒に過ごせることが、ただ幸せで、幸せすぎて、ただぼんやりと、漠然と、こんな日が毎日続けばいい、と思っていた。仕事の忙しさを言い訳に、深く考えることを放棄していたともいえる。深く考えることが怖かったのかもしれない。
でも、そんな日々も終わりを告げる。親や職場や友人からの圧力が、このままでいることを許さなかった。
アクションを起こすならば、今年の3月の、沙織の30歳の誕生日がチャンスだった。そのことにはオレも気が付いていたのに、気が付かないふりをした。
(手放したくない。……けれども)
自分が何をなせるのかもわからないのに、人一人の人生を負う自信がない……
「少し距離を置きたい」
5年前とは違って「別れたい」ではなく「距離を置きたい」と言ってくれた沙織の優しさを思うと胸が痛い。本当はここで覚悟を決めるべきだったのに……
***
全員30歳になった記念同窓会は、盛り上がったままお開きとなった。当然、二次会にもかなりの人数が流れることになったのだけれども……
「渋谷ー?」
「おーい。二次会行くんだろー?」
渋谷慶がテーブルに突っ伏したまま、ピクリとも動かないため、山崎と溝部につつかれている。渋谷はあまり酒が強くない。そういえば10年前の同窓会の時も、最後の方で、トイレで吐いていてしばらく戻ってこられなかったことがあった。あの時は桜井が介抱していたけれど、その桜井も今日はいない……
あの時、「絶対変わらない」って言ってた桜井と渋谷……。やっぱり変わったじゃねえかよ……。
「……オレ残るから、先に二次会行ってくれるか?」
「え、でも」
戸惑った山崎に名簿を押しつける。
「悪い。オレもちょっと休みたくて」
正直、気持ちが落ち込んでいて、カラオケではしゃげる自信がない。
「溝部、仕切り頼んでいいか?」
「いいけど……」
溝部が眉間にシワを寄せながらも肯いてくれた。
「大丈夫か?」
「おお。長谷川で9時から予約してある。一応22人って言ってあるけど、30人まではオッケーの部屋だから、多少増えても大丈夫だって」
「わかった」
文句も言わずに引き受けてくれる存在が有り難い。二人に手を振って、渋谷の隣に座り直す。
「…………」
テーブルに片頬をぺったりとつけたまま熟睡している寝顔を見て、(ホント綺麗な顔してるよな……)と、感心してしまう。
男のわりに長い睫毛。スッと通った鼻梁。何より肌が白く透き通るようで……
頬杖をつきながら、無遠慮にジッと見ていたら、視線に刺激されたのか、渋谷がうっすらと目を開けた。
そして、
「こう……っ」
「え」
いきなり焦ったように頭をあげ、オレの腕をガッと力強く掴んだ。と思ったら……
「なんだ……委員長か」
「…………」
あからさまにガッカリしたように言って、また、テーブルに突っ伏してしまった。
こう、って言ったな……。桜井の下の名前は「こうすけ」か……
「……桜井だと思ったのか?」
聞かなくても分かっているけれども一応聞くと、渋谷は拗ねたようにポツリと言った。
「浩介と委員長、ちょっと似てるんだよな……。背格好もだけど、雰囲気とか……」
「………。そうだな。同じタイプだと思う」
「だよな……」
渋谷、酒のせいか、眠気のせいか、朦朧とした感じだ。
「桜井……いつ帰ってくるんだ?」
「………さあな」
渋谷は半分くらい目をあけてはいるけれど、視線は定まっていない。
「あいつはさあ……自分の可能性を試したいって……」
「…………」
「だから、おれは待ってるんだよ……」
「…………」
可能性を試したい……?
待ってる?
なんだ、それ……
「待ってるって……いつまで?」
「…………」
聞いたけれど、渋谷の目は閉じられてしまった。また寝たのか……?
「なあ、渋……」
「………ずっと」
ポツリとした声……
「……ずっと、ずっと待ってる」
「…………」
何を言って………
「……っ」
途端に、ゾッと背筋に寒気が走った。
渋谷の孤独の影……なんて深くて、なんて寂しくて……
(桜井……っ)
何やってんだよ、桜井。可能性を試すってなんだよそれ。
そんなことのために、なんで渋谷のこと一人にしてんだよ。こんなさみしそうな顔させて……っ
「渋谷はそれでいいのか?」
思わず聞くと、渋谷は再び少しだけ目を開けた。
「……いいんだよ」
ゆっくりと動く長い睫毛……
「応援してる……」
「………」
「おれはおれで頑張って……それで……」
「………」
「でも………」
消え入るような声……
「おれは……一緒にいられるだけでよかったのに……」
「……っ」
スッとまた眠りに引きこまれてしまった渋谷。
何かに押されたように胸が痛い……
(………沙織)
「少し距離を置きたい」
そう言ったときの、沙織を思い出す。ちょうど今の渋谷みたいな……
オレは……自分のことばかりで、沙織が今、何を思って何を感じているのか、本当に理解しようとしたことがあっただろうか……
自分の可能性を試したい、なんて理由で、渋谷を置いていった桜井。
自分が何をなせるのかわからない、なんて理由で、一緒にいる将来に進めないオレ。
(ほんと、似てるよな……)
桜井、オレ達やっぱり似てるよ……
「浩介……」
「!」
ギクッとした。渋谷の寝言……寝言なのに、そんな寂しそうに……
もしかして、今、沙織もこんな風に、孤独の中にいるのだろうか……
***
それから少ししてから、山崎と皆川が迎えに来てくれた。
山崎に熱いおしぼりで目元を覆われ、びっくりしたように目を覚ました渋谷。やはりさっきは寝ぼけていたようで、カラオケまでの移動中に、コソッと、
「おれ、なんか変なこと言ってなかった?」
と、不安げにオレに聞いてきた。覚えていないらしい。ので、オレもしらばっくれてやる。
「別に何も?」
「あ、そう……」
良かった。夢か。とボソッと言った渋谷。
桜井……渋谷……。お前ら、本当にそれでいいのか……?
聞きたいけれど、余計なお世話だろう。
だいたい、オレ。自分だってどうなんだ。
本当にこれでいいのか?
(いいわけがない)
意味の分からない、自分勝手な理由で、大切な人を一人にして……それで良いわけがない。
『おれは……一緒にいられるだけでよかったのに……』
さっきの渋谷の言葉が胸に刺さる。
オレだってそうだ。沙織と一緒にいたい。それだけなのに。高校2年生の教室で出会ったときからずっと、沙織だけなのに……
「お!委員長!ちょうど良かった!」
カラオケの部屋を開けた途端、溝部にマイクで叫ばれた。
「10時で帰る奴が何人かいるから、今、中締めしようとしてたんだよ!」
「あ……、おお」
みんな頬を蒸気させ、興奮したようになっている。溝部がうまいこと盛り上げてくれたんだろう。
「はい!委員長から一言!」
「え」
と、マイクを渡されそうになったところで、オレに続いて入ってきた渋谷の姿に女子から黄色い声が上がった。
「渋谷くーん!こっちこっち!ここ空いてる!」
「飲み物何にする~~?」
「溝部、邪魔!」
「んだよ!渋谷渋谷うるせーんだよお前ら!委員長の話聞け!」
溝部があいかわらずの調子で女子に文句を言っているのが面白い。………と。
(……!!)
その文句を言われている女子の間に……
「沙織……」
沙織の姿があった。1ヶ月ぶりに見る彼女……凛とした目元も透明感のある雰囲気も、高校の頃から全然変わらない。
「……っ」
オレの視線に気がついて少し笑って手を振った沙織。その笑顔が何よりも大切で……
『章人君と一緒にいると安心する』
そういって寄り添ってくれた彼女とずっと一緒にいたくて……
「ほら、委員長」
ざわめきの中、溝部にマイクを渡される。
「何か一言」
一言……?
一言……一言……一言……
それなら、一言だけ、言わせてほしい。
「委員……」
「川本沙織さん!」
溝部にマイクを押し返し、肉声で思いきり叫ぶと、途端に部屋の中がシンとなった。
「え………」
思わず、と言った感じに立ち上がった沙織に向かって、ただ、一言。一言だけ……
「オレと」
精一杯の誠意をこめて……
「オレと、結婚してください」
自信なんて何もないし、オレに何ができるのかも分からないままだけど。だけど、一つだけ、どうしても叶えたいことがあることに気がついた。
「オレと、一生一緒にいてください」
ただ、それだけ。それだけ叶えさせてほしい。
静まりかえった部屋の中で、沙織は、小さく……でもはっきりとした声で、
「はい」
と、うなずいてくれた。
***
みんなにさんざん冷やかされ、飲まされた帰り道。
「待たせてごめん」
繋いだ手にぎゅっと力をこめて言うと、沙織は少し笑って、
「うん。待ってた」
そう言って、オレの肩に額をこんっとぶつけてくれた。
この幸せを守ることが、自分のなすべきこと。それでいい。それだけでいいんだ。
『オレ達にはどんな将来が待ち受けてるんだろうなー?』
高校の時に叫んだオレに答えられるとしたら……
「普通の将来がくるだけだ」
と、言ってやろう。
何も特別なことはない、普通の将来がやってくる。
愛する人と一緒にいられる、幸せな将来が。
(桜井……)
お前も早く、渋谷のところに帰ってきてやれよ。
遠い異国の地にいる同級生に、この思いが届けばいい。
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お読みくださりありがとうございました!
ちなみに
全員20歳になった記念同窓会→「同窓会にて」
全員25歳になった記念同窓会→「同窓会…でもその前に」
全員40歳になった記念同窓会→「カミングアウト・同窓会編」
です。
いつか書きたいと思っていた、長谷川委員長(本名・長谷川章人。あきと、です)と川本沙織さんの話でした。
今から12年前の話なので、今と結婚観も少し違った時代でした。
めっちゃスピンオフ回っっ。そして、「将来の夢が仕事になってる奴なんて、ほんの一握りなんだよ!自分探しの旅!?君いくつだよ!?」と、総ツッコミの回でしたー。
ちなみに松陰神社で叫んだ回は「将来5-2」でした。
でも、現在、長谷川委員長、ちゃんと良いパパ・良い旦那してます♪
「たずさえて3」(←2015年の話)とかでちょこっとそんな話もしています。
次回、火曜日は3年目その2です。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当に本当にありがとうこざいます!
書き続ける勇気をいただいておりますっ。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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