おれが自転車をとばして慶のうちにたどり着くと、慶の妹の南ちゃんが玄関前で待っていてくれた。
「ちょうど今、うちのお父さんにも絵の教室から戻ってきてもらったところなんだー」
慶のお父さんは趣味で絵をならっていて、日曜の午前中は教室に行っているのだ。わざわざ戻ってきてもらったなんて申し訳ない……
「今また、浩介さんのお母さんがお父さんに説明してるとこ。昨日、キスしてるとこ見られちゃったんだってね~。いいなあ私も見たかった」
ニヤニヤしている南ちゃん。でもそんなことには構っていられない。
「慶はどうしてる?」
一番聞きたいことを聞くと、南ちゃんは両手をヒラヒラと振った。
「お兄ちゃんは現在、黙秘権を行使中です」
黙秘権? なんだそれは……
わからないまま、中に入れてもらい………
(………慶)
開いていたリビングのドアから見えた光景に立ちすくんでしまう。
まるで石像のように、その美しい顔をピクリともさせていない慶……。こんな時にもかかわらず、その完璧な美しさに見惚れてしまう。
そして、その斜め前には………延々と喋り続けているおれの母……。その前に、軽くうなずきながら聞いてくれている慶のお父さん。眉間に皺がよっている慶のお母さん。
(異物が混入している……)
いつもの居心地のいい、慶のうちのリビングじゃない。異物が一つあるだけでこんなに変わるなんて……
「あら、浩介君」
「椿さん」
コーヒーがのったお盆を手にした慶のお姉さんの椿さんが、おれを見てにっこりと笑ってくれた。慶とよく似た笑顔。そういえば椿さんは、お正月は旦那さんの実家に行っていたので、昨日の夜から今日まではこちらに帰ってくると昨日いっていた。
「浩介!」
おれの姿を認めた慶が驚きの声をあげた。途端に石像に血が通い、力強い生命力が溢れだす。
「なんでお前……って、南!お前か!」
「本人いた方が話しやすいかな、と思って」
えへと笑った南ちゃんに、慶は苦虫潰したような顔をしてから、おれに自分の隣に座るように合図を送ってきた。
「浩介……なんであなた」
「………」
驚いた顔をした母に一瞥をくれてから、慶の隣に座る。
(………慶)
泣きそうになってしまう。
慶がさりげなく座り直して、膝をおれにくっつけてくれたのだ。
『何があっても嫌いになったりしない』
信じられるぬくもり……。慶は、おれを嫌いになったりしない……
『お前はおれが守る』
慶の思いに包まれていることを実感できる……
慶にうなずきかけてから、慶のご両親に視線を向ける。
「おはようございます。朝早くから、母がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
頭を下げると、ご両親が何か言う前に母がカッとなったようにおれに向かって叫んだ。
「何言ってるの! お母さんはあなたのためにわざわざお話をしにきたっていうのに!」
「………」
我が母ながら、本当に嫌気がさす。あなたのため、あなたのため……そういってこの人はさんざんおれを苦しめてきた。
「おれのためってなんですか。おれは何も」
「何もって、あんなことしておいて!」
「だから……っ」
「まあまあ」
慶のお父さんの飄々とした声に遮られた。見返すと、さっきの南ちゃんみたいに両手を振っている。顔もだけれど、飄々としたところもお父さんと南ちゃんはよく似ている。
「お話はよく分かりました。ま、桜井さんのご心配もわかりますが、そんな大した問題じゃないんじゃないですか?」
「は?!」
母の顔色がザッと赤から青に変わった。
「何をおっしゃってるんですか?! 男の子同士であんな……」
「興味本位でしてみた、ってことでしょう? 子供の頃にはありがちですよ。むしろ、女の子相手でなくて良かったとも言えますね。女の子相手にそれ以上のことにまで興味を持ってしまって、万が一のことがあったりしたほうが問題でしょう」
「…………」
母が、ハッとしたように黙った。「女の子相手で万が一のことがあったら」という言葉はかなり効果的だったようだ。
「ご主人はこのことご存じなんですか?」
「え、ええ……」
慶のお母さんの問いかけに、母が軽く肯く。
「昨日話したので……」
「……」
話してたんだ! ちょっと驚いてしまう。
「ご主人はなんて?」
「…………。一過性のものだから放っておけ、と……」
放っておけ、か。いいそうなことだ。あの人はおれの成績にしか興味はない。有り難いといえば有り難い。
「でも、私は心配で。これでもし、息子があらぬ道にそれてしまったらと思ったら……」
「あらぬ道?」
「だってそうでしょう? これで女の子じゃなくて、お、男の子に興味を持つようになったら困ります」
困る? 何が困るんだ?
「お宅は、他にお嬢さんが二人もいらして、しかももうすぐお孫さんまで生まれるからいいですよ。でもうちはこの子しかいないんです。ここでこの子が変な方向に進んで、孫の顔も見れなくなったら……」
「……なんだそりゃ」
慶が小さくつぶやいた。ほんと、なんだそりゃ、だ。おれは母に孫の顔をみせるための道具か。
慶のお父さんは「なるほどなるほど」と肯いてから、
「でもまあ、ご主人もおっしゃる通り、放っておいていいんじゃないですか? なあ。二人とも」
「え」
いきなりニコニコと話を振られ、ドキマギしてしまう。
「ようはあれだろう? 練習、だろ?」
「え……」
「そうなの? 浩介」
ここで「はい」と肯いてしまえば、一件落着だ。母も納得するだろう。
おれ達は仲の良い友人でしかない。あれはただの練習。そう言えばいい。そう言えば……
だけど……だけど。
(………慶)
慶の方を見ると、慶の透明な瞳と目が合った。……たぶん、おれと同じこと考えてる……
「浩介」
慶の手がそっとおれの手に重なる。
「慶」
絡めるように繋ぎ直すと、ぎゅっぎゅっぎゅっと温かい手で包みこんでくれた。繋いだ手から気持ちが伝わってくる。
「慶……いいかな」
「………」
こっくりと肯いてくれた慶。愛しい慶……
「ちょっと、あなたたち、そんな風に手をつなぐなんて……」
「お母さん」
目ざとくおれ達の手に気が付いて眉を寄せた母をまっすぐに見る。
「おれ……渋谷君のことが好きなんです」
「は?!」
呆気にとられた顔をした母。
今度は慶が、慶のご両親に向かってきっぱりと言ってくれた。
「今ここで、練習だったって言えば、この場が丸く収まるってことは分かってるんだけど………おれ、お父さんとお母さんにまでウソつきたくない」
繋いだ手にぎゅっと力がこもる。
「おれ達、つき合ってる。興味本位とかそういうことじゃなくて、普通に、真剣に」
慶の瞳に情熱のオーラが灯っている。
「それが悪いことだとは思ってない。世間的にはあまり認められないことかもしれないけど、お父さんとお母さんには分かってほしい」
「……………」
シンッとその場の空気が止まる。
そのままの状態で、何秒……何十秒たった時だっただろうか……
「………ふざけないで」
「!」
地の底から聞こえてくるような低い声。まずい……っ
「お母さん……っ」
「冗談じゃないわよっ」
勢いよく母が立ち上がった。テーブルに膝があたり、のっていたコーヒーカップが揺れ、カチャカチャと音がなる。
「男の子が好きなんて許されるわけがないでしょう!」
母のヒステリックな叫び声が響き渡る。
「ああああ!男の子同士なんてありえない!ありえない!ありえない! やっぱり渋谷君がこんな可愛い顔してるから惑わされてるのよっ。そうじゃなかったら……っ」
「お母さん!」
おれも立ち上がり母の両肩を思いきり上から押さえつけた。
「やめてください!」
「何するのっ」
母の手がおれの手を剥がそうとする。でも、剥がさせない。力任せにもう一度ソファーに座らせる。
「ちょっと浩介……っ」
「………っ」
(黙れ……黙れ魔女っ)
憎しみが募って、押さえつけた肩をギリギリと握り潰したくなる。
(粉々になってしまえばいい……っ)
「痛……っ」
母の顔が苦痛に歪んだ、その時。
「浩介」
「!」
慶に手をつかまれ、ハッとする。
「慶……」
おれは、何を………
「まあまあまあ」
この重苦しい空気を一掃するかのように、ポヤンとした女性の声が響き渡った。
「とりあえず、様子見ってことでいいんじゃないですか?」
「え……」
おれと母のやりとりに呆気に取られていた風の慶のご両親も、我に返って声の主を見上げる。
声の主、椿お姉さんは、おれの母に向かってニッコリと笑った。
「ここで無理に別れさせようとしたって、同じ学校なんだし無理ですよ」
「でも……っ」
「ご主人は、放っておけっておっしゃったんですよね? だったら、奥様はそれに従うべき、では?」
「………」
すごい。あの母が黙ってしまった。追い打ちをかけるように椿さんが言う。
「ご主人は、今日奥様がここにいらっしゃることご存じなんですか?」
「!」
痛いところを突かれた、という顔をした母。そして、はっとしたように時計を見た。父に帰ると約束した時間なのだろう。
「……わかりました」
母は不承不承という顔を隠しもせず肯くと、
「それでは、とりあえずは様子見としますが……」
「…………」
「許すことは絶対にできません」
言い放ち、挨拶もせずに部屋を出て言ってしまった。見送りに南ちゃんが追いかけて行ってくれる。
「………」
「………」
「………」
「………」
嵐の去った後の静けさ、とでもいったような長い沈黙の後、慶のお父さんが「あーああ」と茶化すような口調でため息をついた。
「二人ともバカだなあ。あそこで肯いておけば、全部丸くおさまったのに」
「え………」
「お父さん……」
わかっていて、ああ言ってくれてたのか……?
「あー、もう、どうでもいいわ」
今度は慶のお母さんが、さも面倒くさそうに言うと、勢いよく立ち上がった。
「ようは、すごく仲良しの友達ってことでしょ? いいんじゃないの?」
「だから、友達じゃなくて」
「あーー面倒くさい。聞きたくない聞きたくなーい」
お母さんは耳をふさぎながら行きかけて、
「お腹空いたわね。早めにお昼にしましょうか。浩介君も食べてけば?」
「え」
「お好み焼きにするから。慶、ホットプレート出してきて」
「あ、うん」
慶も立ち上がり、おれを振り返ると、
「食べてけよ?」
「あ……」
「そうしなさい」
返事をする前に、慶のお父さんまでもが声をかけてくれた。それから、お父さんはお母さんに向かって「おーい」というと、
「オレは絵画教室戻るから。それで、帰りに一杯って誘われてて」
「また真っ昼間から!ずるいっ」
ぶーぶーいうお母さんを、お父さんが「君もくればいい」と誘っている。
そこへ、慶が大きなホットプレートを持って戻ってきた。
「ホットプレート、ここにおけばいいー?」
「お母さん、こないだの桜えびどこにしまったのー?」
「私チーズのせたい。とろけるチーズまだある?」
3人の子供達が口々に、お母さんお母さん、と言っていて、あちこちで笑いが起こっていて……。ああ、すごいな……と、感動さえおぼえる。
(これが普通の家……)
おれのうちとは全然違う………
(でも……)
昨日、久しぶりにアルバムをみて気がついた。
おれが3歳になる前くらいまでは、うちの家族も普通に笑って写真に写っていた。どうして今みたいに誰も笑わない家になってしまったんだろうか……
**
お好み焼きをお腹いっぱいいただいてから、帰路についた。慶が「運動がてら」といって着いてきてくれたので、自転車を押して歩く。
「……大丈夫か?」
「うん」
心配げに言ってくれた慶に、笑顔で肯いてみせる。
「父が放っておけ、って言ったっていうから大丈夫だと思う。父の言うことは絶対だから」
「……そっか」
慶の手が、ハンドルを握っているおれの手の上にそっと重なる。温かい手……
慶が下をむいてボソッと言った。
「おれ、何もできなくてごめんな」
「え?」
真剣な声にぎょっとする。何を言って……。
慶はポツポツと続ける。
「守るって言ったのに、何もできなかった」
「慶……」
歩みをとめ、慶が重ねてくれた手の上に、もう片方の手をのせる。
「そんなことないよ。慶、守ってくれたよ」
「守ってないじゃん」
「守ったよ」
ぎゅううっと手に力をこめると、ビックリしたように慶がこちらを見上げた。
愛しい慶。大好きな慶……
「慶は、おれの心を守ってくれてる」
「…………」
慶がいてくれるから、おれは壊れないでいられる……
しばらくの沈黙の後……
「……ばーか」
慶が照れたように言って、重ねていた手にぎゅっと力をこめてくれた。
慶がいてくれるから大丈夫……
おれはずっとずっと、慶と一緒にいたい。それは叶えられない夢なんだろうか……
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お読みくださりありがとうございました!
慶の父は、アメリカに本社のある製薬会社の営業マンです。慶の母は、薬剤師。最寄り駅近くのクリニックにお勤めです。慶の姉は、看護婦(作中92年なので、看護師ではなく看護婦)です。
また明後日よろしくお願いいたします!
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