【哲成視点】
「ただいまー……」
シンとした家の中に自分の声が響き渡る。もう何年もそうしてきているのに、全然慣れない。
廊下にカバンを放り投げてから、手を洗う。うがいをする。それから、リビングに入って、母の写真に手を合わせる。
「ただいま」
写真の中の母は、いつものように優しく微笑んでいるだけだ。
『オレ、中3の合唱大会で絶対この曲歌うから! 母ちゃん見に来てよ?』
『流浪の民』のカセットテープを繰り返し聴いている病床の母に、そう約束したのは、小学5年生の今頃のことだった。母は嬉しそうに笑って、「それは楽しみ」と言ってくれて………
「母ちゃん、オレ、約束……」
と、写真の母に話そうと思った時だった。
ピンポンピンポンピンポン!
玄関のチャイムが連呼した。こんな風に鳴らすなんて、宅配便とかでは絶対ない。
「何………」
訝しく思いながらも、ドアを開けると……
「キョーゴ?」
村上亨吾が怒ったような顔をして立っていて驚いた。
なんだなんだ?
「どうし………」
「もう、謝ったか?」
「え?」
ムスッとしたまま言った村上亨吾。
「何……」
「謝るのちょっと待て」
「は?」
ちょっと待て? って?
「何言って………」
「お前んち、ピアノあるか?」
「え?」
ピアノ……
「ある………けど」
「貸してくれ」
「え!?」
村上亨吾はそう言うと、靴を脱いで勝手に家の中に入ってきた。
「どこ?」
「あ………こっち」
意味が分からないまま、リビングに通すと、村上亨吾は、カバンの中からプリントを出してきた。『流浪の民』の楽譜だ……
「弾いていいか?」
「え? あ、うん……」
促され、ピアノの蓋を開ける
母が亡くなって4年。弾く人はいないのに、父は毎年、調律を頼んでいるので、音が狂っていることはない。
「キョーゴ……弾くって、やっぱりピアノ弾けんのか?」
「分からない」
村上亨吾は真面目な顔で楽譜を並べ、椅子に座った。
「分からないって……」
「1年半、一度も弾いてないから、指がどこまで動くか」
「………………え」
言いながら始まった、前奏。
タンターン、タンターン………
「!」
息をのんでしまった。
なんて………なんて響く音!
(音が………違う)
伴奏者の西本も、けっして下手ではない。でも、こんな深みのある音ではなかった。母もそうだ。記憶の中にある母のピアノの音は、上の方でキラキラしているみたいな音だった。でも、村上亨吾は………
(……大地)
そう、しっかりと大地に立っているような……安心して、身を委ねられるような……
(すごい)
村上亨吾の体が、ぼわっと光に包まれて見える。この音、ずっと聴いていたい……
と、思ったのに。突然、ピアノの音が止んだ。そして、村上亨吾がボソッと言った。
「………全然ダメだな」
「は!?」
ムッとしている村上亨吾に思わず掴みかかってしまう。
「何がダメ?どこがダメ?お前すげーじゃん!」
「すごくない」
冷静にベリベリと手を剥がされた。
「ミス多すぎ。久しぶりで指も回ってない」
「全然分かんなかったんだけど………」
ミス? どこか間違ってたか?
でも、村上亨吾は軽く肩をすくめた。
「適当に誤魔化してたからな。でも、本番ではそうはいかない。キチンと音拾い直して練習しないと……」
「……………」
「……………」
「………………え」
本番ではって……………それじゃ!
「キョーゴ、弾いてくれるのか!?」
「……………。あと一ヶ月あるし、これなら何とかなりそうだから……」
椅子に座ったまま、こちらを見上げてきた村上亨吾。真っ直ぐの視線……球技大会の時に「勝つぞ?」って言った時と同じだ。
「村上」
「うん」
綺麗な……瞳。
「オレ、伴奏やるから。そしたら、お前、お母さんとの約束守れるよな?」
「!」
約束守れるって………、守れるって!
こいつ、そのために………っ
「キョーゴー!!」
わー!と、思いきり、抱きついてやる。伝わってくる熱が温かくて余計に嬉しくなって、背中に回した手に更に力をいれてやる。
「ありがとうありがとうありがとう!」
「うわ、離せって」
わたわたと、村上亨吾はオレを引き剥がし、また真剣な顔に戻った。
「ただ、頼みがある。うち、引っ越しの時にピアノ処分したからないんだよ。だから練習……」
「もちろん!毎日弾きに来てくれ!」
みなまで聞かずうなずくと、
「じゃあ、今日もこれから弾かせてくれ。明日までに何とかかっこだけはつくようにしたいから」
「おお。もちろ……」
言い終わる前に、村上亨吾は指を慣らすためなのか、スラスラと音階を弾きはじめた。流れるような音が部屋中に響き渡っている……
(ピアノの音………)
うちにピアノの音がもう一度流れるなんて………
(母ちゃん………)
オレ、母ちゃんとの約束、守れるよ。
【亨吾視点】
次の日、ちょうど音楽室練習があったので、ピアノ伴奏の交代を発表した。とりあえずソロの前までを合わせてみたが、どうにか格好はついて安心した。
「亨吾君上手~」
「これで西本さんが歌えるから安心だね」
「良かったー」
なんて、好意的な声はいいけれど、
「弾けるならさっさと弾けるって言えばいいのに」
「ギリギリで本気出すのが亨吾の専売特許だからな。ほら、バスケ部でもさ……」
なんて、悪意的な声が聞こえてきて、うんざりする。でも……
『そんなの言わせとけばいいんだよ!』
ふ、と、球技大会の練習中に村上が言っていた言葉を思い出した。村上は悪口を言われていてもまったく気にしていなくて………
(そうだな………言わせておけばいい)
実際、オレが伴奏に回る利点はでかい。女子の声量の件もソロの件も全て解決だ。それで充分だろ。
と、思いきや、
「え!?ソロやめたいって!?」
西本ななえのビックリしたような声に振り返った。アルトのソロを引き受けてくれていた女子二人が手を繋いでブンブン首を振っている。
「だって、西本さんの後に歌うのやだよ。比べられちゃうじゃん」
「それにソプラノとテナーとバスは一人ずつなのに私達だけ二人っていうのも変だし」
「じゃあ、どっちか一人が歌えばいいじゃん」
ケロリと言う村上哲成に、女子二人が「やだよ!」と噛みついている。
「ますます比べられちゃうじゃん!」
「誰も比べねえって」
「比べるでしょっ」
キーキー言ってる女子二人。でも、みんなも、二人の気持ちが分かるから何も言えないって感じだ。
(ああ、せっかく問題解決したと思ったのに……)
西本を見ると、西本も困ったように頭に手をやっている。西本が上手だから嫌と言われている手前、何も言えないのだろう。
「いいから頼むよー」
「やだ!」
「お願いお願いお願い!」
「やだ!」
女子二人と村上のやり取りは続いている。
「そんなんいうなら、テツ君がやればいいじゃん!」
「そうだよ!テツがやんなよ!」
「あ!それいい!」
二人の言葉に、周りがわっと囃し立てた。
「いいじゃん。テツやれよー」
「お前が責任とれ!」
「女子の中で歌え!」
あはははは……とみんな笑っているけれど……
「………それ、いいかも」
思わずつぶやいてしまう。
そうだよ。アルトだからって女子にこだわることは全然ないだろ。
「何をキョーゴまで……」
「村上」
文句を言いに寄ってきた村上の首根っこをつかまえて、ピアノの横に立たせる。
「お前、昨日、ソロのところ全部歌ってただろ」
「え、聴こえてたのか!?」
昨日、こいつはピアノに合わせて女声のパートも歌っていた。遠慮してか小さく歌っていたから、よくは聴こえなかったけれど、結構綺麗な声だった。村上は、声変わりしてるんだかしてないんだか分からないくらい、地声が高いのだ。いけるだろ……
「松井、ソロのところやってみないか?」
「あ、うん。そうだな」
指揮者の松井に声をかけると、ソプラノソロの西本、テナーソロの白石、バスソロの滝田が、ピアノの前に集まってきた。
なぜか、シーンとしてしまった教室の中で、
「じゃあ、少しゆっくり目に」
指揮に合わせて、ソロの前の伴奏を弾きはじめる。
はじめはソプラノ、西本。さすがの声量。
短い間奏。
そして………
満場一致で、アルトのソロは村上哲成に決まった。
そのくらい、村上の歌声は、澄んでいて綺麗だったのだ。
ただし、ソプラノとのハモリの部分で不安な箇所があったので、これから特訓が必要になる。
「キョーゴ、特訓よろしくなー」
「………」
ニカッと笑った村上。
(いつもの『ニカッ』だ……)
その笑顔が戻ったことに、ものすごく、ホッとした。
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あいかわらずの普通の青春物語。お読みくださり本当にありがとうございます!
続きは火曜日に。お時間ありましたらお付き合いいただけると嬉しいです。
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