***
2対3に分かれてのバスケットの試合、オレと戸田さん、それに目黒樹理亜の3人は、途中休憩を入れながらも20分ほどでギブアップした。もう走れない……
「明日、絶対筋肉痛……」
「私も……」
戸田さんと二人、笑いながらベンチに座りこむ。
運動神経抜群な上に体力無尽蔵の渋谷はまだまだ物足りないそうで、桜井を無理矢理誘って1ON1をはじめた。渋谷にドリブルは左手のみというハンデを付けたら、さすがに良い勝負になり(桜井は高校3年間バスケ部だったし、勤務先でバスケ部の顧問をしていた時期もあるのだ)、見ている方はかなり面白かった。
そんな中、樹理亜はオレの母と一緒に翼と遊んであげはじめていた。「小さい子とあまり遊んだことない」と言いながらも、一緒に砂を掘ったり、なかなか上手に遊んでいる。翼も樹理亜のことを気に入ったようで、一生懸命、貢物をしたりして樹理亜の気を引こうとしている。これをやられて、翼を可愛いと思わない大人はいないと思う。我が甥ながら、かなりの人たらしだ。
「樹理ちゃん、良い顔してますね」
「………そうですね」
戸田さん、ふうっと大きくため息みたいな息をついた。
(なんかまずいこと言ったかな……)
戸田さんの微妙な表情にオレが焦ったことに気がついたのか、戸田さんは軽く首を振った。
「いえ、本当に良い顔してると思います。渋谷先生のお宅は、娘さんが2人いらっしゃって、その上樹理ちゃんと同年代のお孫さんまでいらっしゃるので……樹理ちゃんをお願いした自分の判断は間違っていなかった、とあらためて感じでいたところです」
「…………」
そう言いながらも、思い詰めたような表情をしているのはなぜなんだろう……
「あの……」
何か言わなくては……そう思った時だった。
「つーばーさー」
弟のお嫁さん、亜衣ちゃんの声が公園に響き渡った。振り返ると公園の入口に亜衣ちゃんが立っていて、こちらに向かって手を振っている。
「マーマー!」
散々樹理亜にまとわりついていたはずの翼が、亜衣ちゃんを見るなり、あっさりと樹理亜の元を離れ、亜衣ちゃんに向かって駆け出した。その変わり身の早さに、樹理亜は呆気に取られたような顔をしてから、「やっぱり……」と、ボソッとつぶやいた。
「やっぱり、ママが一番なんだね」
「それはそうよ」
笑いながら、オレの母が答える。
「一番近くにいて、ずっと面倒みてあげてるんだもの。母親は特別よね」
「………だよね」
手についた砂をパタパタと払いながら、樹理亜が肯く。
「そのママのお願いきいてあげないあたしは、やっぱり裏切り者だよね。そりゃ、ママちゃんも、樹理亜なんかいらないって言うわけだよね」
「樹理ちゃん……」
暗く沈みこむ樹理亜の横にそっと戸田さんが寄り添った。
「樹理ちゃん、それはママの本心じゃないよ」
背中を撫でる戸田さんに、樹理亜はブンブンと首を振る。
「だって、いらないって言われたもん」
「……………」
母親の言いなりになって、好きでもない男の愛人になる。そんな不幸はない。でも、それを断ることで、大好きな母親から絶縁される……それも樹理亜にとっては地獄だ。
「ママちゃんはあたしが嫌いなんだもん」
「樹理ちゃん……」
戸田さんが樹理亜の肩を抱いて、ベンチに座らせる。樹理亜はうつむいて、ジッと地面を見つめたままだ。
異変に気が付いた渋谷と桜井が心配そうな視線を送ってきたのに、軽く首を振る。
翼のはしゃいだ声だけが公園内に響いている……
「………ねえ」
ふいに樹理亜が顔を上げ、母に向かって言った。
「おばさんはさ、子供いらないって思ったことある?」
「え」
「樹理ちゃん……」
戸田さんが何か言いかけたけれど、樹理亜が母を向いたままなので、迷ったように母に視線を移した。すると、母は戸田さんに軽く会釈して、「そうねえ……」と、言いながら樹理亜の横に座り、樹理亜の顔をのぞきこんだ。
「知ってる? 赤ちゃんがお腹の中にいるときのママってね、本当に幸せなのよ」
「え……」
お母さん、いきなり何を言い出すんだ。
樹理亜も、何言ってんの?このおばさん、って顔をして母を見上げている。でも、母は気にした様子もない。
「つわりっていってすごく気持ち悪くなったり、お腹が大きくて重くて大変だったりもするんだけど……」
「…………」
「自分のお腹の中にもう一つ命がいるってすごく不思議な感じで……ぽこぽこってお腹の中から蹴られたりしてね」
母はその時のことを思いだすかのように、自分のお腹のあたりに手を当てた。
ふっとその光景に、昔みた母の姿が重なる。
(お母さん………)
大きくなったお腹を幸せそうに撫でていた母……。オレはそんな母を見ることがとても好きで……弟が生まれてくることがとても楽しみで……
母は穏やかに微笑みながら続ける。
「一人じゃないって思えるの。心の底から、自分は一人じゃないって。この子と一緒に生きてるんだって。一人じゃない。寂しくないって、感じられるの。」
「一人じゃない………」
樹理亜がポツリと言うのに、母はコクリとうなずいた。
「うん。だからね、生まれてきて……、あ、出産も痛くて痛くて大変なんだけどね」
「うん……」
「それでようやく会えた時は、本当にものすごく嬉しいんだけど……でも、それと同時に、ああ、もう私の中から出て行っちゃったんだなって寂しくもなって……」
「……………」
母はお腹から離した手を、広げて見せた。
「もしかしたら、あなたのママは ずっとあなたをお腹の中に入れたままのつもりでいて……」
「…………」
「ようやく生んだところなのかもしれないわね」
「…………」
母に樹理亜の話をしたことはない。だから、事情も何も知らないので余計に的外れなことを言っている気がする。でも、それなのに、今、樹理亜の瞳の中に、輝きが戻りはじめている。
母が「ああ、そうだ」とポンと手を打った。
「それでね、さっきの質問の答えなんだけど」
「うん」
子供をいらない、と思ったことはあるか? という質問だ。
「いらない、までいかなくても、腹が立って家から追いだしてやろうと思ったことは何度もあるわ」
「へえっそうなんだっ」
樹理亜が嬉しそうに、チラッとこちらをみた。
でも残念ながら、オレは母と喧嘩したことはない。母が言っているのは弟のことだ。……と、思う。
「でもねえ、そんな時、お腹の中にいたことを思いだすと、最終的にはどうしても許しちゃうの。あの時、一人じゃないって気持ちになれたことは本当に幸せだったから」
「ふーん……」
「でも、もうお腹の中に返ってくれるわけないのよね。お腹から出てきて、一人の人間になったんだから、もう私の一部じゃないんだから」
「…………」
「もう、それぞれで生きていかないといけないのよね」
「…………」
それは、樹理亜に言ってるのか……オレに言ってるのか……。母の瞳には何が写っているのだろう……。
長い長い沈黙の後……
「戸田ちゃん……」
樹理亜が、ゆっくりと戸田さんを見上げた。
「戸田ちゃん……あたし、どうすればいい?」
「樹理ちゃん……」
戸田さんは、安心させるような微笑みを浮かべながら、そっと樹理亜の手を取った。
「樹理ちゃんのママ、とっても寂しいんだと思う。だから樹理ちゃんにもひどいこと言うんだと思う」
「…………」
「でも、それを樹理ちゃんが受けとめる必要はないんだよ」
「…………」
うつむく樹理亜に淡々と話す戸田さん……
「あのね、樹理ちゃん。私、これからママには頑張って『子離れ』してもらわないとって思ってるの」
「子離れ?」
「うん。だから、樹理ちゃんにも協力してほしい」
「協力?」
「うん」
戸田さんは肯くと、一瞬の間の後、心を決めたように言い切った。
「ママとは連絡取らないで」
「……………」
それは以前、「自分からは言えない」と言っていたセリフだ。
淡々と言っているけれど、戸田さんの中では激しい葛藤があるのだろう。樹理亜の手を掴む手に力が入っている。
「ママも、樹理ちゃんも、それぞれが一人でも大丈夫になったら……その時がきたら、新しい良い関係が築けるようになるから」
「…………」
「二人とも笑顔で会えるようになるから。だから、その時までは……連絡しないでほしい」
「…………」
樹理亜の顔色がだんだん、だんだん、白くなっていく……
でも、そんな中、その瞳には強い意志の光が灯りはじめて……
「わかった」
こっくりと肯いた樹理亜は、少しだけ大人びてみえた。
***
夕暮れの中の帰り道……
川を渡る橋に差し掛かったところで、母を呼び止めた。
「お母さん」
「ん?」
今まで何度こうして、母に呼びかけただろう。その度に何度、母はこうして笑顔で振り返ってくれただろう……
「オレさ……」
「うん」
樹理亜の大人びた瞳を思い出し……穏やかな母の笑顔に、告げる。
「オレ、近々、家を出て、一人暮らししようと思ってる」
「そう……」
いいわね、と、ゆっくりと肯く母……
何を考えているのかは分からない……
「お母さん……」
言っていいだろうか……と、躊躇しながらも、30年心の中で燻り続けていた言葉をとうとう口にした。
「オレが10歳の時に言ったこと、覚えてる?」
「………」
『僕が守るから……』
『僕が、ずっと、そばにいるから……』
泣いている母に誓った言葉……
「……覚えてるに決まってるじゃない」
母は、苦しいかのように胸の前に手をあて、ゆっくりと息を吐いた。
「ごめんね。お母さん、あんたのこと縛りつけてたよね」
「…………」
「ごめんね……」
「…………」
ああ、違う……謝ってほしいわけじゃない……
「お母さん」
一歩、母に近づく。
「そんなことないよ。オレはオレの意思で、ここにいたくていたんだよ」
「でも………」
母の腕に、そっと触れる。ずいぶんと小さくなった母……
「お母さん、樹理ちゃんに、それぞれで生きていかないといけないって言ってたけど……」
「………」
「オレもそう思うけど……」
「………」
「でも、オレ、守るよ」
「……え?」
こちらを見上げた母に、肯く。
「10歳の時、約束した通り、オレ……お母さんのこと、守るから。住む場所は離れても……でも、そばにいるって気持ちは変わらないから」
「卓也………」
母は目を瞠り……、そして、あわてたように首を振った。
「何言ってんの。あなた、これから、結婚するんでしょ?」
「うん。時期がきたらプロポーズしようと思ってる」
「だったら」
「でも」
強く、言いきる。
「彼女のことは彼女のこと。お母さんのことはお母さんのこと」
「…………」
「離れてても、守るから。何かあったら頼ってよ」
「…………」
言うだけ言ったら、なんだか……すっきりした。
「卓也………」
母は母で、呆けたような表情をして……
「あんた、馬鹿じゃないの?」
そういって、顔を背けて目じりをぬぐった。
「ホント、真面目ね……」
「うん。彼女にも言われたことある」
真面目だなあ、と笑いながら言った戸田さんの声がよみがってきて胸の奥が温かくなる。
オレはどうしたって、母のことを見離せない。もし、戸田さんが嫌だと言ったら……認めてもらえるように何度でも話しをしよう。
10年前の彼女の時にははじめから諦めることしか思いつかなかった。でも、今は違う。オレは戸田さんのことも、母のことも手放したくない。今のオレには、戸田さんのことも母のことも守る覚悟がある。
それに、10年前とは違うことがもう一つ……
「こないだ、誠人から、お母さんのことは自分がいるから心配しないで、とか言われたんだよ」
結婚して父となり、すっかり逞しくなった弟……
「誠人が? 一丁前に?」
「そう。一丁前に」
顔を見合わせ笑ってしまう。
「だから……まあ、頼りないけど近くに誠人もいるし……」
「うん」
「とりあえず家を出るけど……心配しないで」
「………うん」
母は笑いながら肯き……そして、小さく、言った。
「今まで、ありがとうね。卓也」
「…………」
それはこっちのセリフだよ、お母さん。
「……ありがとう、お母さん」
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お読みくださりありがとうございました!
「たずさえて」
この作品、私の中では二つの「たずさえて」がありました。
一つは菜美子のヒロ兄への想い。そしてもう一つは、山崎の母への想い。
結婚するには、お互いの家族ごと、お互いの過去ごと、受け入れる覚悟が必要だと思います。そこがただの恋人とかとは違うところ。
そして、樹理亜。一年ほど前からママとは住居を別にしていたものの、頻繁に連絡を取り合っていたため、利用されたりしていました。やはり一度きちんと離れて、生活を立て直してもらおうと思います。まだ20歳。これから何にでもなれます。そして、樹理ママも、実はまだ40歳(今年41)。人生これからです。
どんだけ真面目なテーマだって自分でも思います(^_^;)
そんな中、クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
残すところあと2回(たぶん)よろしければ、どうぞお願いいたします!
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