【享吾視点】
村上哲成が、学区一位の白浜高校から二位の花島高校に志望校を変えてくれるという。
『オレ、お前と離れたくない』
そう言ってくれた村上。これ以上に欲しかった言葉なんてあるだろうか。
でも………
『オレも……お前と離れたくない』
その小柄な体を抱きしめながらも、言い様のない絶望感に支配されていくのが分かった。それを払いたくてますます力を込めるけれど、募る一方だ。
花島高校に行けば、母の精神的負担を減らせる。その上、村上も同じ高校に通ってくれるのなら、何も迷うことはない。
でも、村上は、ずっと白浜高校に行くことを目標に頑張っていたはずだ。それをオレのせいで変えるなんて……
それに………
「花島高校で成績上位キープして、大学の指定校推薦取るっていうのも手だしな!」
村上は、オレの気持ちを汲んでくれてか、明るく言ってくれた。が、
(成績上位キープ……)
それは無理だ。ほどほどのところにいないと、また母の負担になってしまう
オレはこうして、ずっと何にも本気を出せないまま、燻り続けるのだ。
「花高って、早慶の指定校もくるらしいぞ。指定校でさっさと決まったら大学受験楽だよな~」
「………そうだな」
「だろ!」
笑った村上哲成。苦しくなるほど、手離したくない、と思う。本当は一緒にいるべきでないことは分かってる。でも……それはもう、譲れない。
***
帰宅すると、兄が台所に立っていた。テーブルにカレーの箱が置いてあるところをみると、今晩もまたカレーにするらしい。
「………ただいま」
「おかえり」
ふわりと笑う兄。二年前、学校に行けなくなってから見せるようになった、儚く消えてしまいそうな微笑み。昔はこんな笑い方しなかったのに。学校に行けるようになった今でも、笑い方が戻ることはない……
「…………。手伝うよ」
「いいよ。受験生は勉強しないと」
「いや大丈夫」
兄の淡々とした言葉に首を振る。
「大丈夫だよ。別に」
「何言ってるんだよ。白浜高校って、学区一番の学校なんだろ? 油断してると……」
「だから大丈夫だって」
言われかけたのを、強めに制した。
「オレ、白高はやめて、花島高校にするから」
「え?」
ボトッと大きな音がして、兄の持っていたジャガイモがシンクの中に転がった。
「何言って……」
「だから、やめたんだって」
「え…………」
兄は大きく瞬きをした後で、絞り出すように、言った。
「それは…………お母さんのためか?」
「……………」
「……………」
「……………」
何も言えず、ただ、見返してしまう。……と、
「亨吾」
妙にキッパリと、兄がオレを呼んだ。
昔の兄の姿とだぶり、戸惑う。
「何………」
「亨吾、お母さんに、会いに行こう」
「え」
会いに行こうって……
母は今、入院中で、オレ達は会いに行ってはいけないと、父が言っていたのに?
「お前はもう、お母さんに遠慮することなんてないんだよ」
兄は揺るぎのない瞳で言いきった。
「お母さんは、オレ達の母親であることを放棄したんだから」
放棄……
意味が分からず……、いや、分かりたくなくて、オレはただ、呆然と兄を見返していた。
***
母の入院している病院には、電車とバスを乗り継いで、ようやく到着した。あまり乗り慣れないため、兄の後をくっついていくのに精一杯で、どうやって着いたのかあまり覚えていない。
「面会時間、もうすぐ終わりだから急ごう」
と、兄は知った風に病院の中にずんずんと入っていく。どう見ても、初めて来た風ではない。
「兄さん……、来たことあるの?」
「ああ、今日も学校の帰りに寄った」
「…………え」
行くなと言われたのは、オレだけだったんだっけ? いや、そんなことは……
「今日、診察日だったから」
「?」
診察日?
オレの疑問に気がついたのか、兄が振り返って、苦笑気味に言った。
「オレも、二年前からこの病院に定期的に通ってるんだよ」
「……………。え?」
定期的に通って……?
「兄さん、どこか悪い……」
言いかけて、ハッと口を閉じた。どこか悪い、も何もない。ここには、精神科しかない。
「お母さんもずっと通ってて……だからここに入院したんだよ」
「え………」
全然、知らなかった。知らなかったのはオレだけってことか……
「ああ、ほら、ここから見える」
「…………え」
人気のない、中庭みたいなところに連れ出され、上を見るように言われた。いくつかある窓の中………
「あ」
すぐに分かった。2階の窓。母がへばりつくみたいにして、外を見ている。ジーッと……
(お母さん……、あ)
今、確実に目が合った。合ったけれども、その瞳には何も写し出されていないようだった。風景の一つとしか思われていない。
『お母さんは、オレ達の母親であることを放棄したんだから』
先ほどの兄の言葉が頭をよぎる。母は、オレを認識していない………
ショック、とか、悲しい、とかそんな感情の前に、「やっぱり」という感想がくる。母の張りつめていた糸が切れてしまったんだ、と思った。オレが色々負担をかけたせいで………
と、思いに沈んでいたところ、
「亨吾」
兄が真剣な様子でオレの肩に手を置き、オレをそちらに向かせた。
「あの日……お母さんが家を出ていったのは、オレのせいなんだよ」
「え?」
兄さんの、せい?
「だから、お前が責任を感じることはない」
「……………」
兄はオレをのぞきこんで、静かに、言った。
「お前はお前らしく生きてほしい」
「……………」
オレらしく………
(………村上)
真っ先に浮かんだのは、村上のくるくるした瞳だった。オレがオレらしくいられるのは、あの瞳の中だけだから……
気がついたら、母の姿は窓辺から消えていた。
「帰ろうか」
兄はこちらに背を向けると、静かに言った。
「あの日、何があったのか……ちゃんと話すよ」
そうして、帰りの道中で、兄は母が家を出ていってしまった日のことを話してくれた。
兄は自分のせいだと言うけれど、兄はオレのために母に意見してくれたのだから、やっぱり母が出ていったのはオレのせいだと思う。
でも………
「お前はお前らしく生きてほしい」
再度、そう言ってくれた兄の言葉に、背中を押された気がした。以前に村上に押された背中………オレはもう一度、前に進めるだろうか。
(村上………)
お前は、何て言うだろう。
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お読みくださりありがとうございました!
こんな真面目な話、誰得? いいの私が読みたいの……といういつもの自問自答をしつつ……
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