<浩介視点・4月26日>
慶の誕生日は4月28日。今日は26日火曜日。慶はあと2日で42歳になる。
火曜日が休みの慶に合わせて、おれも午後休みを取って、一緒に誕生日のプレゼントを買いにいくことにした。プレゼントは前から決めてあった。それは……眼鏡。
「くそー……屈辱……」
慶が悔しそうに言うのがおかしくてケタケタ笑っていたら、「笑うなっ」と蹴られた。
ここは都内にある眼鏡店。その店頭で「とにかく一回かけてみて」と無理矢理慶に眼鏡をかけさせたところ、あまりにもくっきり見えるようになったらしく、悔しくてしょうがないらしい。
それもそのはず。その眼鏡というのは……リーディンググラス。つまり、老眼鏡。
「なんで40そこそこで老眼……」
「慶、目がいいからねえ。目が良い人って老眼くるの早いとかいうよね? うちの学校でまだ39なのに使ってる先生もやっぱり目いいんだよね」
「お前だって悪くないだろ」
「悪くはないけど良くもないよ。眼鏡も一応持ってるじゃん」
「でもなー……」
今年のお正月くらいから、慶が「小さい字が読みにくい」と言いはじめた。はじめは疲れ目なのかと思っていたけれど、どうもそうではないようで、「これ8?いや6か?」とかしょっちゅう言っている。
「あー慶、眼鏡似合うねえ。ちょっと大人っぽく見える」
「おれはとっくに大人だ!」
ぷんぷん怒っている慶。まるで子供。可愛すぎる。
店頭で話していたら、店員さんが出てきてくれた。30代前半くらいの結構美人。やたらと愛想がいいのは元々なのか、慶がイケメンだからなのか分からない。防御策として、わざと目の前で「仏頂面しないの」と言って慶の頬を触ったり、お揃いの結婚指輪が目に入るようにしていたら、察してくれた。さすが新宿というべきか。
なんでもいい、という慶にいくつもかけさせて、美人店員とおれとで選んだのは、黒縁の眼鏡。とても老眼鏡には見えない。オシャレ!
タイミング良くすぐに検診もしてもらえて、在庫もあったため40分ほどで出来上がるといわれた。
「お買い物に行かれても、ここでお待ちいただいても、どちらでも」
美人店員に言われて、遠慮なくここで待たせてもらうことにする。40分なんて慶と一緒にいたらすぐに過ぎてしまう。
カウンターの隅に二人で並んで座って、とりとめもない話をしている最中、そこに置いてあった卓上カレンダーを見ていたら、ふと思いだした。
「今年、5月10日火曜日なんだよね。おれこの日も早退するから、どっかおいしいもの食べに行こうね?」
「5月10日……は、なんだっけ?」
「だーかーらー」
この人、本当に全然覚えてない。
「5月10日は高校入学して初めておれたちが話した日!」
「あー、そっかそっか。そうだったな」
「もー!」
ふくれてみせると、慶は「まあまあ」と手を振り、
「お前ホントよく覚えてるよな」
「覚えてるよ! 本当はもっと色々あるけど言うの我慢してるんだからねっ」
「色々?」
首をかしげた慶に人差し指を立ててみせる。
「うん。例えば……、昨日は初めてって、痛っ!」
無言で蹴られた。
「あ、慶も覚えてた?」
「覚えてねえよっ」
慶、顔真っ赤。これは覚えてるな……
そう。昨日はおれ達が初めて一つになった日。あれから何度体を重ねただろう……。
意識がふわ~っと浮いていきそうになったところで、
「あ、5月10日って……2週間後?」
「え?」
誤魔化すためのようにジッと卓上カレンダーを見ていた慶の声に引き戻された。
「うん。そうだね。ちょうど今日から2週間後だね」
「へえ……じゃあ、今日だ」
「え?何が?」
おれが聞くと、慶はニヤッと笑った。
「さあ、何がだろうな」
「えええっ」
何かあったっけ?! えーとえーとえーと……
5月10日は高校入学後、初めて話した日。あの時、おれはバスケの自主練をしていて、それで……
ぐるぐるぐるぐるっと26年前あたりのことを思いだす。
「あ」
そうか……もしかして。
「もしかして、慶が、おれのこと体育館で初めて見た日?」
「正解。さすが」
おおおっと慶が小さく拍手をしてくれる。
そう、前に聞いたことがある。おれと体育館で初めて話した日、よりも前に、おれがシュート練習をしているのを見たことがある、と。その一生懸命さを羨ましいと思った、と。でも、おれが一生懸命だったのは、中学の時に見た憧れの『渋谷慶』のようになりたかったからだ。そう思うと、やっぱりおれ達は出会うべくして出会い、惹かれあったのだと思う。
「おれにとっては、今日がはじまりの日、だな」
「慶……」
あれから26年……色々なことがあった。高校時代の自分は本当に子供だったと思うけれど、じゃあ今、その時と何が違うのかと問われれば、中身はたいして変わっていない気もする。
慶ははあっと大きくため息をつくと、
「まさかあの時にみた、下手っくそなバスケ部員と一緒に老眼鏡を買いに来る日がくるとは……」
「あはは」
慶の言葉に笑ってしまう。
「それを言うなら、おれだって。中3の時に偶然見た、キラキラ眩しいバスケ部員の男子が、老眼鏡をかける日がくるとは……」
「くっそー……」
慶はブツブツ言いながら頬杖をついた。
「お前だってそのうちくるんだからなー老眼」
「そうだねえ」
ふと、先日実家に帰ったときに両親と話したことを思いだす。
「父に聞いたら、父は50になってから作ったって。おれの中で父って眼鏡かけてる印象だったんだけど、あれ、遠近両用だったんだってさ」
「今、お父さん、眼鏡かけてないよな」
「うん。仕事やめてから、老眼鏡だけにしたんだって」
「お母さんは?」
「まだ老眼きてないって言い張ってる」
「あはは。すげーな」
昔と決定的に違うのは、こうして普通に両親の話をしていること。両親とこんな穏やかな関係になれるなんて夢にも思わなかった。それもこれも、すべて慶がいてくれたおかげだ。慶が世界を変えてくれた。
そんな昔と今に思いを馳せていたところ、
「渋谷様、おまたせいたしました」
美人店員が商品をもってやってきた。促されて慶が試しにかける。やっぱりかっこいい!
「慶、かけて帰ったら?!」
「バカ言うな。こんなのかけて歩いたら酔っちまう。視界がぼやけてて」
「あ、そうなんだ……」
そうか。近い物みるの専用の眼鏡なんだもんな。せっかく似合うのにもったいない……。
美人店員がニコニコと伝票を差し出してきた。
「お会計は……」
「あ、おれが。カード切ります」
クレジットカードを取りだすと、美人店員が「やっぱり」と小さくいって更に笑顔になった。
「お誕生日プレゼント、ですね?」
「あ……はい」
カルテを見て、慶の誕生日が明後日だと気が付いたのだろう。
「おめでとうございます」
「もう、おめでとうって歳でもないんですけどね」
慶が苦笑すると、美人店員は「いえいえ」と手を振って、
「お幸せですね。こうしてプレゼントくれる方がいらっしゃることも、プレゼントをする方がいらっしゃることも。羨ましいです」
「…………」
思わず顔を見合わせる。
(お幸せですね)
本当だ。本当に幸せだな、おれ達……
その後、ケーキを買って帰った。慶が前から食べてみたいと言っていた店のケーキだ。
帰宅後、ソファーに並んで座り、さっそくケーキを取りだして、その美しいフォルムに感動する。
「うまそー」
「食べるのもったいないくらいキレイだねえ」
チョコレートのコーティングがキラキラ輝いている。今日の日にふさわしいケーキだ。
「誕生日には二日早いけどな」
「ああ、違う違う」
慶の言葉にブンブン手を振って否定する。
「誕生日はまた別。これは今日の記念日ケーキね」
「記念日?」
首をかしげた慶に、うんうん肯く。
「はじまりの日記念日、でしょ?」
「ああ……」
ちょっと照れたようにうつむいた慶がとてつもなく可愛い。
「そうだな。あの日からはじまったんだもんなあ……」
「うん」
そして長い年月、一緒にいた。これからも一緒にいる。
「これからもずっと、一緒にいような?」
「うん。ずっと……永遠に」
真面目にいったのに、慶に吹き出された。
「永遠に、か。なんか大袈裟だな」
「えーいいじゃん。大袈裟でも」
「……そうだな」
慶がふっと笑って、軽く唇を合わせてくれた。
「じゃあ、今日は、永遠のはじまりの日記念日、だ」
「うん」
再び唇を合わせる。愛おしさが伝わってくる。
過去も現在も未来も、いつでも、慶の隣にはおれがいておれの隣には慶がいる。
永遠に。永遠に一緒にいる。
<慶視点・4月28日>
朝起きたら、隣で寝ていたはずの浩介がいなかった。
「…………こーすけ」
布団にくるまったまま、不安になって小さく呟く。浩介が先に起き出していることなんて珍しくないのに、なんだか心がざわざわするのは、きっと雨のせいだ。
雨は嫌いだ。特に春の雨にはいい思い出がない。
古くは高校二年生の連休明け、雨の中、初めて浩介が美幸さんと並んで歩く姿をみた。いまだに思い出してはムカついてるおれは相当に執念深い。
そして最大の最悪の雨の思い出は、13年前の4月初め。浩介が日本を離れるという話をしにきた夜の翌朝の雨だ。
『自分の可能性を試したい』
そんなカッコいいことを言って、おれを置いて3年間日本を離れた浩介。
本当は、その理由の他に、親の束縛から逃れたかった、とか、おれに対する執着心が異常なものになっていた、とか、色々な理由があったということは後になってから知った。
あの頃のおれは、医師になって4年目に入り、ようやく自分一人で判断させてもらえることが増えてきた時期で、一人前になるために必死だった。だから『可能性を試したい』といった浩介の気持ちが分からないでもなくて、最終的には浩介の背中を押したのだ。
あの時の3年は忙しすぎてあっという間に過ぎ去ったし、浩介のためにもあの3年はあるべくしてあったのだとは思う。
でも。
今、また、3年離れ離れになれ、といわれたら、もう無理だ。おれは生きていけない。
だから、こうして雨が降っていると、あの時のことを思い出して、ストーンと体が落ちていくような感覚にとらわれることがある。また置いていかれたらどうしよう、と、どこまでも落ちていく感覚に恐怖する。でも。
「ま……そうなったら今度は追いかけていくけどな」
思わず一人ごちる。今度は見送ったりしない。どこまででも追いかけていってつかまえてやる。
だから、だから浩介。ずっとずっと一緒に……
「慶? 起きてる?」
「……………」
ひょいっと顔をのぞかせた浩介の姿に安堵する、と同時に無性に腹が立ってきた。
「どうかしたの……って、わあっ」
ベッドに近づいてきた浩介の腕を思いっきり引っ張り、布団の中に引きずりこむ。悲鳴をあげた浩介の頭をぎゅうううっと抱きしめる。
「…………どうしたの?」
「どうしたの、じゃねーよ。なに先起きてんだよ。なんでおれが起きた時いねえんだよ」
「えええっだってもう6時45分だよ? 朝ごはん……」
腕から出ていこうとする浩介を再び羽交い締めにして、耳元でささやく。
「朝食の前にお前食わせろ」
「えええっ」
浩介のわたわたが大きくなる。
「無理無理無理っ時間ないって!」
「時間は作るものだぞ」
「そんなっ、だいたい、昨日の夜したばっかりじゃん!」
「5時間も前の話だ」
「5時間もって………んん……」
文句を言っている口をふさいで、舌を絡めとると、あっという間に甘い息遣いに変わった。浩介の下半身に手を伸ばすと、もうすでに十分な固さにまで成長しつつあって、思わずニヤリとしてしまう。
「よし。すぐすむからじっとしてろ」
「もう、慶……」
浩介の文句を聞き流し、さっさと自分の下着とパジャマの下だけ脱いで、浩介の下着も引き下ろす。
「その誘い方、ほんとムードなさすぎ……」
はあ……とため息をついた割には、浩介のものはすっかりやる気でそり返っている。そのそり返ったものにべったりとジェルを塗ると、浩介が小さく喘いだ。たまらない。早くほしい。
「ムードあってもなくてもやるこた一緒だ。いただきまーす」
「あ……慶、そんな急に……っ」
ゆっくりゆっくり腰を落としていく。
「慶……っ」
「んん……っ」
一つになり、背中に回された手に力をこめられ、おれはようやく安心する。
今、浩介はおれと一緒にいる………
**
いつもは7時15分に家を出るのに、もう20分になろうとしている。朝食も食べ損ねた。だって、おれはさっさと終わらそうとしたのに、浩介が……
「わあっもう間に合わないーっ」
半泣きで浩介が言うのに、「大丈夫大丈夫」と背中をたたいてやる。
「ちょっと走れば間に合うって。荷物持ってやるから」
「うう……ありがと。あ、慶、これ、一口アンパン!」
「お、サンキュー」
お互いアンパンを頬張り、ドアを開けようとしたところで、
「慶、慶!」
「あ?」
呼ばれて振り返ると、ちゅっと軽くキスされた。浩介がニッコニコで言う。
「お誕生日おめでとう!」
「……深夜0時過ぎに聞いたぞ?」
言うと、浩介は首をふった。
「本当のおめでとうは今だよ? 慶が生まれたの朝の7時21分だってお母さん言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
「うん。そうだよ? おめでとう、慶」
もう一度キスをしてくれる浩介。
「生まれてきてくれてありがとう。おれと出会ってくれてありがとう」
「…………」
…………。可愛い過ぎだろ。
くそ、時間があったらこの場で押し倒してやるところだ。でも時間がないっ。
「浩介」
もう一回、ぎゅううっと抱きしめあってから、玄関を開ける。
「行くぞ」
雨の匂い。雨の音。でも、あの時とは違う。
おれ達は二度と離れることはない。
永遠に。
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お読みくださりありがとうございました!
おかげさまで無事にここまでたどり着くことができました。
今から25年前、当時高校2年生だった私の頭の中に突然現れた、慶と浩介。
その二人のことをこうして私以外の方に知っていただけたことが、どれほど嬉しいことか………感謝してもしてもしたりません。
とりあえず、この二人の物語を書くことは今日で休止いたしますが、でも、二人は今日の読み切りのような、何もない平凡な日々を送り続けています。(今、ちょうど駅に向かって走っているところです!)
いつかまたその日常を切り取りたくなったら、このブログに帰ってこようと思います。
今まで本当に本当にありがとうございました!
(→……すみません。早々に帰ってきてしまいました。亀更新になりますが再開しております。どうぞよろしくお願いいたします。(5月11日))
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