水色の空を真横に見ながら、ウォークマンを胸に抱き、再生ボタンを押した。
『あの夏の約束をおぼえてるだろう』
切ないギターのイントロのあとジェイクのやわらかい歌声がはじまった。
美音子さんは、どういう気持ちで息子に名前をつけたのだろう。どういう気持ちで息子の名前を呼んでいるのだろう。
『愛してる。ただそれだけを伝えたい』
愛してるから? そうなの? 美音子さん。ジェイクへの愛を昇華した上で今の幸せをつかんだってことなの?
『お前の笑顔を守りたい』
さみしいギターの音色と切ないボーカルが一面の空に広がっていく。鳥のさえずりさえも別の世界の音のようだ。
「でも、悲しいね。そばにいられないなんて」
『しょうがないさ。死んじまったんだから。でもオレは美音子の心の中で生き続ける。そうだろ?』
ジェイクが答えてくれる。
『お嬢、簡単に「死にたい」なんて言うな。死んだら何もできねえぞ』
死んだ人間が言うと、説得力がありすぎる。
でも。
「でも、つらい気持ちが押し寄せてくるの。どうしようもなくて気が狂いそうになる。気持ちが体から離れてて、生きてる実感がしないんだよ」
「それは……。あ』
ジェイクの驚きの声に顔をあげると、ヒロキさんが立っていた。ヒロキさんもびっくりしたようにこちらを見ている。
「お墓まで来てくれるなんて、君、実は兄貴のファンだったの?」
「いや、その……はい」
しょうがなく肯く。でもまんざら嘘ではない。ジェイクの歌声は悲しいほど心に響いた。
「さっき君と話をしたら、急に兄貴に会いたくなっちゃってね。早々に店じまいして墓参りにきたんだよ」
ヒロキさんは慣れた手つきで線香をつけた。
「この花、君がいけてくれたんだよね? ありがとう。これ、兄貴の彼女が好きだった花なんだ。さすがファン。知ってたんだ?」
「ええ、まあ……」
「彼女もね、兄貴が亡くなった時には、後を追ってしまうんじゃないかっていうくらい落ち込んでたんだけど、半年くらいしてからかなあ、いい人が出来たらしくて。その後はオレも会ってないから知らないけど、今頃どうしてるかなあ。子供でも産まれてたりするのかな。幸せならいいんだけど」
この兄弟、同じようなこと言ってる。思わず、意地悪が口に出た。
「彼女、何で後を追わなかったのかな。私だったら辛くて後を追ってしまいそう」
「え」
驚いたようにヒロキさんが私を見返した。優しい瞳。ジェイクもこんな瞳をしているんだろうか。
「後を追うなんてとんでもないよ。そんなこと兄貴は望んでないし。彼女の幸せを一番に願っていた人だからね」
「でも……」
「もしかして、君も今、あの時の彼女と同じような思いをしているの?」
「………」
「魂がここにないって感じするよ?」
そっと頭に手を乗せられた。涙が出そうになる。
『お嬢、ちょっとこのウォークマン、ヒロキに渡して。ヘッドフォンさせて』
「え? うん。あの、これ……聞いてみてください」
意味もわからずウォークマンを差し出すと、「何?……え? うわ!」
受け取ってヘッドフォンを耳にしたヒロキさんが、ビクビクビクっと痙攣をした。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫。なあ、お嬢」
「!」
顔を上げたヒロキさんの表情が、先ほどとまったく変わっている。優しさで満ちあふれていたヒロキさんの瞳が、情熱と猛々しさの色に染まっていた。
「……ジェイクなの?」
「ああ。ちょっとだけ体拝借。たぶんあんまりもたないから手短に」
「え? 何?」
いきなり腕をつかまれ、墓地のさらに奥にある森に連れてこられた。意味が分からない。
「何? いきなり……痛っ」
森を少し入ったところで、大きな木の幹に体を押しつけられた。
「生きてる実感ってやつだよ」
「何を言って……っ」
いきなり、噛みつかれるように唇を重ねられた。痛い。痛い。痛い。〈彼〉はこんなこと絶対しない。〈彼〉のキスはいつだって優しくて、とろけるほど幸せで……。
「あ……」
涙が出てきた。〈彼〉のキスを思い出そうとしても、それを上書きする力強さで、ジェイクの荒々しい唇がすべてを奪っていく。
「自分の指なんかじゃ実感できないだろ?」
「!」
昨夜の自慰行為、見られていたんだ!
「み、みてたの?」
「みてた。こんな風に手を入れて……」
「あ」
男の人のごつごつした大きな手。ぎゅっと強く、痛さと快楽の間の絶妙な強さで、胸をもみほぐされる。シャツをたくしあげられ、乳首に歯を立てられる。思わずのけぞると、体の向きを変えられ、後ろから腰をしっかり抱きかかえられた。そのまま上半身を木に押しつけられる。頬と胸に木の幹の冷たさが伝わってくる。
「生きている実感って、何かと触れあうことで得られるんだよ」
耳元でささやかれる甘い声。そのまま耳朶を噛まれ、膝がくだけそうになる。スカートをまくられ、素早く下着を剥ぎ取られる。
「ほら、こんなに出てる」
太い指が繁みの中に侵入してきた。自分でも溢れていることがわかる。太股に生暖かいものが伝ってくる。
「お前、生きてるんだよ」
膨らんでいくふくらみをぐりぐりといじられ、頭が朦朧としてきた。崩れ落ちそうだ。
崩れ落ちる寸前、もう一度、腰を抱え上げられた。
「……ああっ」
我慢できなくて、声を漏らす。後ろから熱いモノが中に入ってきた。大きな左手が胸をきつく揉みあげ、太い右の指が敏感な場所を刺激し続ける。熱いモノが中心を突くたび、体中に電流が走る。自分の体を支えるために、木の幹にしがみつく。木の青い匂いが口の中にまで入ってくる。
「周りを見ろ、お嬢」
突き上げながら、ジェイクが言う。
「お前の周りには美しいものがたくさんある。木の緑。空の青。鳥の声。感動する歌。前の男以外の人間。ちゃんと触れあってみろ。お前はこんなに感じてる。生きてるんだよ」
「あ……」
空が……青い。木の幹が、冷たい。ジェイクの命が……熱い。
「ああ……っ」
快楽の頂点に達したとき、声にならない声が体の中からほとばしった。次の瞬間、ジェイクのモノが中でドクリと動いたのを感じた。力が抜けて、ジェイクの腕の中に倒れ込む。
「……気持ちいい」
ジェイクの腕は大きくて、たくましい。安心できる胸に頬を寄せると、鼓動が伝わってきた。反対の頬を心地よい風が撫でてくれる。森の澄んだ空気が黒い気持ちを浄化してくれるようだ。こんなに穏やかな気持ちになったのはいつ以来だろう。
あの日から、体と心がバラバラになっていた。でも今は、指の先まで自分の体だと思える。感覚がある。魂が、戻ってきた。
「……愛してる。ただそれだけを伝えたい」
並んで木の根元に座り込むと、ジェイクが小さく歌いはじめた。涙が出るほど優しい声。
目をつむると〈彼〉とのたくさんの思い出が瞼に浮かんでくる。不思議と別れた頃のつらい記憶は浮かんでこない。
このまま、昇華できるのだろうか。私のこの気持ち。昇華して、前に進めるのだろうか。
メロディが少しずつ小さくなり曲が終わりを告げた。私は空に向かって腕を広げた。ジェイクの歌が美音子さんに届きますように。
涙がこぼれ落ちた。でも、今までのようなつらい涙ではない。清々しい涙だ。
「お嬢、ありがとな」
涙を手でぬぐってくれながら、ジェイクが言った。
「オレ、あの世でお前の幸せ祈ってるよ」
「え?」
それって?
「オレ、そろそろいくよ。じゃあな」
「そんな突然……」
文句を言いながら振り仰いだ時には、ジェイクはいなかった。そこにいたのは、優しい瞳をしたジェイクの弟のヒロキさん。
「えーと、あの、その、オレ……」
困ったように頭をかいている。どうやらジェイクに体を支配されていた間の記憶、ばっちり残っているらしい。
「なんといったらいいのか……」
「あ、大丈夫ですよ。今日、安全日なので」
真面目に言うと、吹き出された。
「いや、そういうことじゃなくて! あの、ごめん。オレ、兄貴にのりうつられてたみたいで……まさか、こんなことが現実に……。でもおかげで良い思いしちゃったっていうか……わあああ、ごめん! 初対面なのに! しかもこんな場所で! 兄貴のヤツ!」
黄色い頭をかきむしるヒロキさんを見ていたら、自然に笑いがこみ上げてきた。
「ごめんなさい。こちらこそ。彼女に悪いことしちゃいましたね?」
「いや、彼女なんて何年もいないよ。だから余計に、こんな良い思いしたのなんて、すっげー久しぶりで……って、わあ!ごめん!」
慌てぶりがおかしくて、ゲラゲラ笑っていたら、お腹が空いてきた。お腹が空くなんて、何日ぶりだろう。
「あの、よければ、何か食べに行きませんか? 久しぶりにお腹空いちゃって。今なら何でも食べられそう」
「う、うん。了解! こうして会ったのも何かの縁! お薦めのラーメン屋に連れて行ってあげるよ。ラーメンは何味が好き?」
「んー、豚骨」
「お。気が合うね。オレも豚骨派。ちょうどいい店が近くにあるんだよ」
ヒロキさんが坂を下りはじめるのを、後ろから着いていく。
ジェイクのお墓の前を通り過ぎたとき、ふっと風が吹いた。スイートピーが優しく揺れている。
「ジェイク……」
彼は空にのぼっていったのだろうか。それとも美音子さんのところに?
「……愛してる。ただそれだけを伝えたい」
自然とメロディが口にのぼる。
〈彼〉を愛した気持ちにウソはない。三年間、愛されたことにもウソはない。きっと。だから大丈夫。私は大丈夫。想いを昇華して、歩いていけるようになる。
「大丈夫? 坂きついから下りるのも大変でしょう?」
ヒロキさんが笑顔で手を差し出してくれている。その手をそっと掴む。温かい手。
『がんばれよ、お嬢』
ふいに耳元で、ジェイクの声が聞こえた気がした。
<完>
『あの夏の約束をおぼえてるだろう』
切ないギターのイントロのあとジェイクのやわらかい歌声がはじまった。
美音子さんは、どういう気持ちで息子に名前をつけたのだろう。どういう気持ちで息子の名前を呼んでいるのだろう。
『愛してる。ただそれだけを伝えたい』
愛してるから? そうなの? 美音子さん。ジェイクへの愛を昇華した上で今の幸せをつかんだってことなの?
『お前の笑顔を守りたい』
さみしいギターの音色と切ないボーカルが一面の空に広がっていく。鳥のさえずりさえも別の世界の音のようだ。
「でも、悲しいね。そばにいられないなんて」
『しょうがないさ。死んじまったんだから。でもオレは美音子の心の中で生き続ける。そうだろ?』
ジェイクが答えてくれる。
『お嬢、簡単に「死にたい」なんて言うな。死んだら何もできねえぞ』
死んだ人間が言うと、説得力がありすぎる。
でも。
「でも、つらい気持ちが押し寄せてくるの。どうしようもなくて気が狂いそうになる。気持ちが体から離れてて、生きてる実感がしないんだよ」
「それは……。あ』
ジェイクの驚きの声に顔をあげると、ヒロキさんが立っていた。ヒロキさんもびっくりしたようにこちらを見ている。
「お墓まで来てくれるなんて、君、実は兄貴のファンだったの?」
「いや、その……はい」
しょうがなく肯く。でもまんざら嘘ではない。ジェイクの歌声は悲しいほど心に響いた。
「さっき君と話をしたら、急に兄貴に会いたくなっちゃってね。早々に店じまいして墓参りにきたんだよ」
ヒロキさんは慣れた手つきで線香をつけた。
「この花、君がいけてくれたんだよね? ありがとう。これ、兄貴の彼女が好きだった花なんだ。さすがファン。知ってたんだ?」
「ええ、まあ……」
「彼女もね、兄貴が亡くなった時には、後を追ってしまうんじゃないかっていうくらい落ち込んでたんだけど、半年くらいしてからかなあ、いい人が出来たらしくて。その後はオレも会ってないから知らないけど、今頃どうしてるかなあ。子供でも産まれてたりするのかな。幸せならいいんだけど」
この兄弟、同じようなこと言ってる。思わず、意地悪が口に出た。
「彼女、何で後を追わなかったのかな。私だったら辛くて後を追ってしまいそう」
「え」
驚いたようにヒロキさんが私を見返した。優しい瞳。ジェイクもこんな瞳をしているんだろうか。
「後を追うなんてとんでもないよ。そんなこと兄貴は望んでないし。彼女の幸せを一番に願っていた人だからね」
「でも……」
「もしかして、君も今、あの時の彼女と同じような思いをしているの?」
「………」
「魂がここにないって感じするよ?」
そっと頭に手を乗せられた。涙が出そうになる。
『お嬢、ちょっとこのウォークマン、ヒロキに渡して。ヘッドフォンさせて』
「え? うん。あの、これ……聞いてみてください」
意味もわからずウォークマンを差し出すと、「何?……え? うわ!」
受け取ってヘッドフォンを耳にしたヒロキさんが、ビクビクビクっと痙攣をした。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫。なあ、お嬢」
「!」
顔を上げたヒロキさんの表情が、先ほどとまったく変わっている。優しさで満ちあふれていたヒロキさんの瞳が、情熱と猛々しさの色に染まっていた。
「……ジェイクなの?」
「ああ。ちょっとだけ体拝借。たぶんあんまりもたないから手短に」
「え? 何?」
いきなり腕をつかまれ、墓地のさらに奥にある森に連れてこられた。意味が分からない。
「何? いきなり……痛っ」
森を少し入ったところで、大きな木の幹に体を押しつけられた。
「生きてる実感ってやつだよ」
「何を言って……っ」
いきなり、噛みつかれるように唇を重ねられた。痛い。痛い。痛い。〈彼〉はこんなこと絶対しない。〈彼〉のキスはいつだって優しくて、とろけるほど幸せで……。
「あ……」
涙が出てきた。〈彼〉のキスを思い出そうとしても、それを上書きする力強さで、ジェイクの荒々しい唇がすべてを奪っていく。
「自分の指なんかじゃ実感できないだろ?」
「!」
昨夜の自慰行為、見られていたんだ!
「み、みてたの?」
「みてた。こんな風に手を入れて……」
「あ」
男の人のごつごつした大きな手。ぎゅっと強く、痛さと快楽の間の絶妙な強さで、胸をもみほぐされる。シャツをたくしあげられ、乳首に歯を立てられる。思わずのけぞると、体の向きを変えられ、後ろから腰をしっかり抱きかかえられた。そのまま上半身を木に押しつけられる。頬と胸に木の幹の冷たさが伝わってくる。
「生きている実感って、何かと触れあうことで得られるんだよ」
耳元でささやかれる甘い声。そのまま耳朶を噛まれ、膝がくだけそうになる。スカートをまくられ、素早く下着を剥ぎ取られる。
「ほら、こんなに出てる」
太い指が繁みの中に侵入してきた。自分でも溢れていることがわかる。太股に生暖かいものが伝ってくる。
「お前、生きてるんだよ」
膨らんでいくふくらみをぐりぐりといじられ、頭が朦朧としてきた。崩れ落ちそうだ。
崩れ落ちる寸前、もう一度、腰を抱え上げられた。
「……ああっ」
我慢できなくて、声を漏らす。後ろから熱いモノが中に入ってきた。大きな左手が胸をきつく揉みあげ、太い右の指が敏感な場所を刺激し続ける。熱いモノが中心を突くたび、体中に電流が走る。自分の体を支えるために、木の幹にしがみつく。木の青い匂いが口の中にまで入ってくる。
「周りを見ろ、お嬢」
突き上げながら、ジェイクが言う。
「お前の周りには美しいものがたくさんある。木の緑。空の青。鳥の声。感動する歌。前の男以外の人間。ちゃんと触れあってみろ。お前はこんなに感じてる。生きてるんだよ」
「あ……」
空が……青い。木の幹が、冷たい。ジェイクの命が……熱い。
「ああ……っ」
快楽の頂点に達したとき、声にならない声が体の中からほとばしった。次の瞬間、ジェイクのモノが中でドクリと動いたのを感じた。力が抜けて、ジェイクの腕の中に倒れ込む。
「……気持ちいい」
ジェイクの腕は大きくて、たくましい。安心できる胸に頬を寄せると、鼓動が伝わってきた。反対の頬を心地よい風が撫でてくれる。森の澄んだ空気が黒い気持ちを浄化してくれるようだ。こんなに穏やかな気持ちになったのはいつ以来だろう。
あの日から、体と心がバラバラになっていた。でも今は、指の先まで自分の体だと思える。感覚がある。魂が、戻ってきた。
「……愛してる。ただそれだけを伝えたい」
並んで木の根元に座り込むと、ジェイクが小さく歌いはじめた。涙が出るほど優しい声。
目をつむると〈彼〉とのたくさんの思い出が瞼に浮かんでくる。不思議と別れた頃のつらい記憶は浮かんでこない。
このまま、昇華できるのだろうか。私のこの気持ち。昇華して、前に進めるのだろうか。
メロディが少しずつ小さくなり曲が終わりを告げた。私は空に向かって腕を広げた。ジェイクの歌が美音子さんに届きますように。
涙がこぼれ落ちた。でも、今までのようなつらい涙ではない。清々しい涙だ。
「お嬢、ありがとな」
涙を手でぬぐってくれながら、ジェイクが言った。
「オレ、あの世でお前の幸せ祈ってるよ」
「え?」
それって?
「オレ、そろそろいくよ。じゃあな」
「そんな突然……」
文句を言いながら振り仰いだ時には、ジェイクはいなかった。そこにいたのは、優しい瞳をしたジェイクの弟のヒロキさん。
「えーと、あの、その、オレ……」
困ったように頭をかいている。どうやらジェイクに体を支配されていた間の記憶、ばっちり残っているらしい。
「なんといったらいいのか……」
「あ、大丈夫ですよ。今日、安全日なので」
真面目に言うと、吹き出された。
「いや、そういうことじゃなくて! あの、ごめん。オレ、兄貴にのりうつられてたみたいで……まさか、こんなことが現実に……。でもおかげで良い思いしちゃったっていうか……わあああ、ごめん! 初対面なのに! しかもこんな場所で! 兄貴のヤツ!」
黄色い頭をかきむしるヒロキさんを見ていたら、自然に笑いがこみ上げてきた。
「ごめんなさい。こちらこそ。彼女に悪いことしちゃいましたね?」
「いや、彼女なんて何年もいないよ。だから余計に、こんな良い思いしたのなんて、すっげー久しぶりで……って、わあ!ごめん!」
慌てぶりがおかしくて、ゲラゲラ笑っていたら、お腹が空いてきた。お腹が空くなんて、何日ぶりだろう。
「あの、よければ、何か食べに行きませんか? 久しぶりにお腹空いちゃって。今なら何でも食べられそう」
「う、うん。了解! こうして会ったのも何かの縁! お薦めのラーメン屋に連れて行ってあげるよ。ラーメンは何味が好き?」
「んー、豚骨」
「お。気が合うね。オレも豚骨派。ちょうどいい店が近くにあるんだよ」
ヒロキさんが坂を下りはじめるのを、後ろから着いていく。
ジェイクのお墓の前を通り過ぎたとき、ふっと風が吹いた。スイートピーが優しく揺れている。
「ジェイク……」
彼は空にのぼっていったのだろうか。それとも美音子さんのところに?
「……愛してる。ただそれだけを伝えたい」
自然とメロディが口にのぼる。
〈彼〉を愛した気持ちにウソはない。三年間、愛されたことにもウソはない。きっと。だから大丈夫。私は大丈夫。想いを昇華して、歩いていけるようになる。
「大丈夫? 坂きついから下りるのも大変でしょう?」
ヒロキさんが笑顔で手を差し出してくれている。その手をそっと掴む。温かい手。
『がんばれよ、お嬢』
ふいに耳元で、ジェイクの声が聞こえた気がした。
<完>