【浩介視点】
一緒に東南アジアに行く条件が「好きって言え」だなんて、慶らしくなくて胸が痛んだ。それだけ不安にさせていたということだ。これからは絶対にそんな思いはさせない。
「大好きだよ、慶」
繰り返し言いながら頬に耳に首筋に唇を落とし、シャツに手をかけたところで、
「ちょっと待った」
「え」
いきなり押し返された。
「おれ、当直上がりで風呂入ってなかった。風呂入ってくる」
「え」
アッサリと腕からすり抜けていってしまった慶………
「なんでーー!?」
後ろからついて行って、思わず叫んでしまう。
「久々の再会なのに!お風呂なんて後でもいいじゃんっ!」
「…………久々の再会だから余計に」
お風呂の前で、慶がボソッと言った。
「汚いとか思われるの嫌だから」
「…………」
そんなこと思うわけないのに……
その小さな声に、ますます胸が痛くなる。
以前の慶はそんなこと言わなかった。おれのせいだ。おれが不安にさせてるんだ。
「……じゃあ、一緒に入ろ? 慶の体洗いたーい。髪も洗いたーい」
「…………ん」
こくん、と肯いた慶。
愛しくて、愛しくて、たまらなくて、後ろからぎゅうっと抱きしめた。
もう絶対に離さない。
……とは言っても。
現実問題として、すぐに一緒に暮らせるわけではない。
「うーん……早くて半年後くらいかと」
「…………」
一緒にお風呂に入りながら、ちょっとだけ「イチャイチャ」して、それから軽く昼食を取って、二人でおれの所属する国際ボランティア団体の日本支部の事務局に顔を出した。
そこで、あいかわらず甲高い声の事務局長から、あちらでの勤務先と住居の説明を受けたのだけれども……
「慶君はいつから行けそう?」
という、事務局長の問いかけに、慶は「うーん」と唸ってから「半年後」と答えたわけだ。
事務局長が慶を「慶君」と呼ぶのは、慶がまだ学生だったころに、何度かボランティア教室のイベントを手伝ってくれたことがあるので、その時の名残りだ。
事務局長はニッコリとすると、
「それはちょうどいいわ。今いるうちのスタッフが年内には戻りたいって言ってるから、そことチェンジのつもりであちらの方と調整するわね」
「よろしくお願いします」
慶の爽やかな笑顔に、大学生スタッフの女の子達が「きゃあっ」と声をあげた。今日は日曜日で若い子が多いから余計に華やかだ。
「………事務局長」
慶が女の子達につかまって質問攻めにあっている隙に、そっと事務局長の隣に行くと、彼女も察してくれて、慶達を背にして小さく言った。
「シーナから聞いてる。その件については大丈夫よ」
「………ありがとうございます。ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「別にたいした手間じゃないわよ」
ヒラヒラと手を振ってくれる事務局長。シーナも快くおれの頼みを聞いてくれた。有り難い……。
おれの母親は、おれに対して異常な支配欲を持っている。日本を離れた理由の一つには、母の束縛から逃れるため、ということもあった。
だから、慶と一緒に東南アジアに赴任することは、母には絶対に絶対に絶対に隠さなくてはならないのだ。そんなことを知られたら何をされるか分からない。
そこで、考えに考えて、シーナとも相談した結果、おれは引き続きケニアにいることにさせてもらった。
カモフラージュは万全に、と言って、ちょうど新版を発行する予定だった紹介冊子のケニア支部の写真に、おれが写っているものを選んでくれたシーナ。
『これ、お母さんに送っておいたら?』
出来上がった冊子を渡しながら言ってくれたのだけれども、さすがに母に送る気にはなれなくて、父の事務所の庄司さん宛に郵送しておいた。
『冊子が新しくなるときに、また遊びにいらっしゃい。それでまた写真に写ればいいわ』
シーナはそういって、おおらかに笑ってくれた。
慶には東南アジア地区に新たに出来る団体に直で所属してもらうことにした。辿っていけば連盟先は同じだけれども、一応別団体となっているので、目眩ましにはなるはずだ。
そこまでするのは大袈裟かもしれない。けれども、万全を期したかった。
「眼鏡、似合うじゃん」
「え、そう?」
夕方、マンションに帰ってきてから眼鏡を外すと、慶がそう言ってくれた。外出時、眼鏡とマスクを着用していたのは、本当は母親対策だけれども、慶には「花粉症対策」と言ってある。
「大人っぽくみえる」
「大人っぽく?」
もう31だ。大人っぽくって、もう充分大人だろう。少し笑ってしまう。
でも、慶は「あーああ」とため息をつきながらソファに座ると、
「おれも眼鏡かけたら大人っぽくみえるかなあ」
「………気にしてるの?」
今日、事務局で遭遇した大学生の子たちに、学生と間違えられたのだ。やっぱり慶は若くみえる。慶はぶつぶつと、
「ただでさえ日本人は若く見られるっていうのに、日本でも若く見られるおれって、あっち行ったら、いったいいくつに見えんだよ……」
「……………」
あっち行ったら、だって。
本当に一緒に行ってくれるんだ、とあらためて嬉しくなる。
「慶」
隣に座って、腰を引き寄せ、こめかみにキスをする。
「東洋人はみんな若く見えるから大丈夫だよ」
「でも、働くメンバーには色々な国の人がいるって言ってたな」
とりあえず英語は必須だな、と言いながら、慶、大きなアクビ……
「慶、眠い?」
「あー……昨日寝てないこと忘れてた」
「え!?」
そういえば、当直明けだと言ってた。当直の時は、何もなければ仮眠を取れるけれど、忙しいと夜通しになる、と以前言っていたことを思い出す。
「少し寝る?その間に夜ご飯作るよ?できたら起こそうか?」
「…………」
「…………慶?」
慶が無言でもぞもぞと体をずらして、おれの腿の上に頭をのせてきた。膝枕、だ。
「慶……」
懐かしくて嬉しくなる。昔していたように頭を撫ではじめると、ふいにその手ををつかまれた。
「慶?」
「眠いけど……」
小さく言いながら、おれの手を口元に引き寄せ、きゅっと握った慶。
「寝たくない。夢から覚めそうで……」
「え」
「目、覚めたらお前いなくなってそうで……」
「慶………」
ぐっと心臓が押されたように痛くなる。
「……いなくならないよ」
握られていない方の手で、慶の頭をゆっくり撫でる。
「ずっと一緒にいるよ」
「……………」
「慶?」
「………………ん」
小さくうなずいてから、慶は瞳を閉じた。
(慶………)
3年前………
慶には仕事もあるし、友人もたくさんいるし、おれなんかいなくなっても大丈夫だと思った。あの頃は「愛されている」実感はあっても、「必要とされている」とは思えなかった。一緒にいる自信がなかった。
でも、今なら……今のおれなら…………
しばらくしてから、慶は眠りに落ちたようで、膝にのった頭が微妙に重くなり、握られていた手の力が少し緩んだ。
(……良かった)
そっと手を引き抜き、置いてあった膝掛けを体にかけてあげる。
せっかく食材も買ってきたことだし、本当は、慶を膝から下ろして、夕食を作りに行った方がいいのだけれども……、目が覚めた時におれが近くにいなかったら不安になってしまうかもしれない。目が覚めるまで、このまま膝枕を続けよう。
おれは5日後には出国するので、また半年会えなくなってしまう。この5日間、たくさん甘やかして、慶の中の不安を全部愛に変えたい。変えられるかな……
(……うん。きっと大丈夫)
今度の別離は終わりが見えている。次に再会してからは、ずっとずっと一緒にいられる。だからきっと大丈夫。
「慶、大好きだよ」
愛しい人がこの手にいる喜びをかみしめながら、小さく小さくささやいた。
----
お読みくださりありがとうございました。
弱気慶君❤勝手に半年後とか言ってますけど、まだ職場にも親にも話してません(^-^;
次回、金曜日の後日談その2では、そこらへんのお話しを……
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当に本当にありがとうこざいます!!こんな真面目な話なのにご理解くださる方がいらっしゃること本当に心強いです。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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***
「だから一緒にきて。慶。おれと一緒に生きて」
浩介の真っ直ぐな瞳。
心臓が直接握られたかのように痛い。苦しい。
(一緒に生きて)
その言葉、どれだけ待ち望んだことだろう。どれだけ……
でも……
(一緒にきて)
それは………
『海外なんて問題外!』
眉を寄せた母の顔が、真っ先に思い浮かぶ。浩介との交際も、医学部進学も、文句を言いつつも認めてくれた母。その母にさらに心配をかけることになる……
『渋谷先生のビシッと注意は効果的なので助かります!』
先ほど、ニコニコでそう言ってくれた早坂さん。3年前、おれが浩介の背中を押せたのは、彼女のおかげでもあった。
そして………
『一緒に頑張ろう』
『一緒に乗り越えましょう』
毎日毎日、病院にいる子供達、親御さん達にそう言っているのは、おれ自身だ。
(一緒に生きて)
おれだって、浩介と一緒に生きたい。離れては生きていけない。そんなことはこの三年間で嫌と言うほど思い知った。だから、もちろん、浩介と共に日本を離れることだって、何度も考えた。浩介がそれを望んでくれるのなら、と。
でも……でも。
恋人と一緒にいたい、なんていう理由で日本を離れる。ついていって、向こうで職を探す。そんなこと………
「…………そんなの無理だ」
絞りだすように何とか言葉にのせて、浩介をおしのける。
「おれにだって仕事があるし、おれを頼ってくれている人たちもいる。そんな人たちを置いていけると思うか?」
「うん」
え? というくらい、アッサリと、浩介が肯定した。
「全部捨ててよ」
「………」
…………。なんだそりゃ。
「………なんでだよ。お前が日本に残ればいいだろ」
「やだ」
浩介は短くいった。
「慶、日本なんか捨てて」
「……お前な」
なんなんだ……
浩介、絶対に譲らないって顔してる。こんな浩介、久しぶりに見た。昔はバスケの試合中とか、ケンカしたときとか、こういう表情をよくしていた。何だか少し懐かしい……
浩介は、その顔のまま言葉をついだ。
「だって慶、日本に住むなら、この病院で働くんでしょ?」
「まあ……そうだけど……」
「そしたら一緒に暮らせないじゃん」
は?
「だからっ。おれはもう慶と一日だって一晩だって離れていたくないのっ。一緒に暮らしたいのっ。一緒に起きて一緒に朝ごはん食べるのっ」
「へ?」
呆気にとられたおれを置いて、浩介は駄々っ子のように繰り返す。
「だから行こうよ。誰も何も言わないところで一緒に暮らそう。ね?」
「……………」
この病院では、独身の医師は病院から徒歩5分のところにあるこのマンションに住むことが暗黙の了解となっている。
でも、おれもいい加減いい歳なので、そろそろここを出ても大丈夫かな……とは思っていた。でも、浩介と一緒に暮らすことについて、誰も何も言わないかというと………
浩介は、嫌と言わせない強い意思を持って、こちらを見ている。
「………嫌だといったら?」
聞くと、浩介、ビシッと指をさして、
「無理やり連れてくっ」
即答。
そんなこと言われたら………
おれが頭を抱え込むと、浩介も「あ、しまった……」と頭を抱え込んだ。
「違った……本音ばっかり言っちゃった……アマラに注意されてたのに……」
そして「ちょっと待って」といって、大きなカバンから冊子を取り出した。
「これ、アマラから」
「アマラから?」
それは浩介が所属している国際ボランティア団体(アマラの母シーナがケニア支部代表をつとめている)の紹介の冊子だった。
世界各地の教育を受ける場のない子供たち……医者にかかれず苦しんでいる人々……
「あ、これお前じゃん」
子供たちに囲まれて笑っている浩介の写真もある。見覚えのある白い校舎……
「えー、こほん」
浩介はわざとらしく咳をすると、背筋を伸ばした。
「我々はこの度、東南アジア地域における医療、教育の発展のため……」
「ちょ、ちょっと待て」
何やら演説を始めようとするのをあわててやめさせる。
「それは……医師としてのおれをスカウトするって話か?」
「そうです。ぜひ我々とともに世界の子供たちに笑顔を」
「………」
浩介はよそいきの顔で澄ましている。
アマラに注意されたってさっき言ったな……これはアマラの演出か……
「………医者なら誰でもいいのか?」
「誰でもいいわけないでしょっ」
途端に、またいつもの浩介の顔に戻る。
「だーかーらーおれが一分一秒でも慶と離れたくないから一緒に来てほしいってのが本音! 医者云々は後付……っていうか、アマラが、大人の慶には大人の理由が必要だろうからって」
「アマラ……」
浩介を連れて帰らない、といったおれに『慶って大人ね』と言ったアマラ。そして彼女は言ったのだ。『我慢することが大人になるってことなら、私は大人になんかなりたくないわ』と。
大人……大人、か。
自分の望みだけを追求できないのが大人。できない理由をたくさん持っているのが大人。
(無理やり連れてくっ)
今、そう言った浩介は、まるで学生時代のような純粋な感情の塊で……
「……あ」
冊子の一番最後に、マジックで落書きがしてあることに気が付いた。崩れた平仮名。
<しあわせになれ ばか>
「アマラ……」
その字をゆっくりなぞる。
『みんなから彼を取り上げるなんて許さない』
そう言っていた彼女が浩介の跡を継いで先生になり、浩介のことを送りだしてくれたという。彼女の中でどんな葛藤があっただろう。どんな思いで浩介の背中を押してくれたんだろう……
(しあわせになれ……)
写真に写っている笑顔の浩介の横に……おれの居場所はあるのか? おれはそこにいていいのか……?
よくない、としても……
(浩介と、一緒にいたい)
その抑えきれない思いを優先してもいいだろうか。
色々な人に迷惑や心配をかけるけれど……それでも、そちらの道を選択してもいいだろうか。
(しあわせになれ……)
大人の理由……使わせてもらうよ、アマラ。
浩介の顔をゆっくり見上げる。愛しい浩介。離れたくない。もう二度と離れたくない。おれもお前と一緒に翼を広げたい。
「慶……お願いっ」
何もいわないおれに、不安になったように、浩介がパチンっと手を合わせてきた。
「お願いだから、これだけわがまま聞いて。ついてきてくれたらもう一生わがまま言わないからっ。何でも言うこと聞くからっ」
必死な様子で拝んでいる浩介……
お前もおれと一緒にいたいって思ってくれてる。それが何よりも嬉しい。信じてたけど……それでも、聞きたくなってしまう。
本当に……本当にいいのか?
もう、置いていったりしないか……?
「……………。条件がある」
「じょ、条件……?」
真面目な顔で言うと、「何でも」と言ったくせに浩介の顔がこわばった。
「なに?」
「………浩介」
心配そうなその頬にそっと触れる。
愛しい愛しいその瞳に、本当の望みを告げる。
「好きって言え」
「え?」
きょとんとした浩介をまっすぐに見上げて、もう一度言う。
「好きって言えって言ってんだよ。毎日、毎日、死ぬまで、さ」
「え、そんなことならおれ、毎日百回だって二百回だっていうよっ」
ぱあっと顔を明るくした浩介の頬をむにっと掴む。
「へー……絶対だな」
「え……?」
声色を変えて言うと、浩介は何か悪いことでもいった?とでもいうようにおれを見返してきた。
「な、なに……」
「絶対だな?!百回いうな?!お前っ」
「う……、言ったら一緒にきてくれる?」
浩介のすがるような目に、ニッと笑う。
「百回いったらな。あ、今日は一回もいってないな。これから百回な」
「ホントにきてくれる?」
「だから一日百回いったらな」
「百回……。今、何時?」
「まだ昼ま……、うわっ」
時計を見ようと立ち上がりかけたのをいきなり引っ張られソファに倒れこんでしまった。
「何すんだよっ」
「だって……」
言いながら、唇が重なってくる。優しく、柔らかく……
「大好き。大好きだよ、慶。大好き……」
「こ……」
言葉にならない想いが溢れてくる。
「まだ3回……あと97……」
「ん……大好きだよ……慶……」
「浩介……」
これからはずっと一緒だ。ずっと……
----
<完>
……って感じですが、もう少し続けさせてください。
「旧作・翼を広げて」(←私が高校時代に書いた話を要約したもの)は、慶視点のみで書かれていて本編はここで終わり、エピローグが2012年の話でした。でもリメイク版の今回は他視点もあることですし、もう少し補足していきたいと思います。
今回も前回同様、「旧作・翼を広げて」のセリフをほぼ移行したため、そのやり取り前に読んだよ!という方には申し訳ありませんでした。高校時代に書いたセリフなので、めっちゃこそばゆい~~っっ。
こんなこそばゆい話、最後までお読みくださりありがとうございました。
次回、火曜日は後日談その1。
こんな真面目な話にクリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当に本当にありがとうこざいます!!
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2006年4月2日
【慶視点】
あいかわらず元気いっぱいの早坂さんが、帰り際のおれに声をかけてくれた。
「渋谷先生、昨日大変だったんですって? 子供達の間でエイプリルフール合戦があって」
「そうそう」
昨日のことを思い出して、肩をすくめながら報告する。
「拓海君の死んだフリはシャレにならないから、ちょっと強めに注意したよ。だからまだ元気ないかも」
「りょーかいでーす。渋谷先生のビシッと注意は効果的なので助かります!」
早坂さんはおれに告白してきたことなんてなかったのかのように、以前とまったく変わりがない。あれこそ嘘だったのではないかと思ってしまうくらいだ。
彼女の笑顔には本当に助けられている。彼女が病室に入ると子供達もみんな明るくなる。
「じゃ、お疲れ様でしたー」
「うん。よろしくね」
手を振って、早々に帰宅の途につく。昨晩の当直ではトラブルが重なって横になることすらできなかったのだ。早く帰って眠りたい……
「昨日はエイプリルフールだったんだよなあ……」
午前の太陽の下を歩きながら一人ごちる。
3年前の4月1日、浩介の教え子の泉君達から、浩介が学校を辞めてアフリカに行こうとしてる、と聞かされた時には、はじめはエイプリルフールの嘘だと思った。嘘だったらどれだけ良かっただろう……
あれから3年。
いまだに浩介のいない日常に慣れない。
待ち合わせに使っていたベンチに行く度、マンションのドアを開ける度、そこに浩介がいるような気がしてしまう……
そんなことを思いながら、マンションが見えてきたところで、
(…………?)
3階のおれの部屋の前の廊下で人影が動いていることに気が付いた。宅急便の人とかではなさそうな、あきらかに不自然な動き……
(………空き巣?)
最近ここらへんで空き巣被害が頻発しているという張り紙が掲示板にあったことを思い出す。
(まさかなあ……)
そう思いながら、マンションの真下について、上を見上げて……
「……………!!!」
心臓が、止まるかと思った。
手すりから身を乗り出して、おれの部屋の方をのぞこうとしている、その人は……
「浩介………」
浩介だ。絶対に、浩介だ。
階段をのぼりながら、心臓を落ちつかせる。
浩介がいる。浩介がいる。浩介がいる……
苦しくて息ができなくて、大きく深呼吸を繰り返しながら3階の廊下にでる。……と。
(………いた)
おれの部屋の前、なぜか廊下の手すりにへばりついている……
(夢、じゃ、ない……)
もう一度、深呼吸をして……愛しいその名を呼ぶ。
「浩介?」
「!!」
ビックリしたように、浩介が振り返った。
日本にいたときよりも日に焼けて、少し痩せて……でも、その優しい瞳は少しも変わらない。
少しも変わらない……
3年も日本にいなかった、なんて嘘みたいだ。つい昨日も、こうしてここにいたみたいで……
「慶………」
つぶやくように言った浩介の声が耳に入ったとき、その思いはさらに強くなった。
浩介が、ここにいる。当然、みたいに、ここにいる。
だから……
「何やってんだ? お前」
昨日も会っていた、みたいな感覚で、浩介に問いかけた。
「泥棒かと思ったじゃねーかよ」
呆れたように言うと、浩介は3秒ほどの沈黙のあと、
「もーーー!!第一声がそれーーー?!」
と言って、ぶーっと口を尖らせた。その顔が可愛くて可愛くて、ケタケタと笑いだしてしまう。
浩介が、ここにいる……。
***
「前から言ってるけどさー、慶はムードがなさすぎるんだよっ」
「あー分かった分かった。お前、ホントそれ前から言ってるよなあ」
洗面台で手を洗いながら、浩介がブツブツ文句をいってくるのに、適当に返事をするのも、以前と少しも変わらない。3年もいなかった期間があったなんて思えない。おれの部屋に馴染んでいる浩介の姿……。
「本当はさ」
浩介が眉間にシワをよせながら、こちらに戻ってきた。
「もっと感動的な再会をしようと思ってたのに、泥棒って……」
「しょうがないだろーすげー怪しかったからお前」
「怪しいって……」
「…………」
ムッとしたままの浩介の頬にそっと触れる。途端に、怒っていたはずの顔が泣きそうな顔に変わった。
「慶……」
「浩介」
そして、どちらからともなく唇を合わせる。愛しい柔らかい感触。もつれあうようにソファに倒れこむ。
ぎゅううっと抱きしめて存在を確かめあう。ここにいる……ここにいる。
「お前……学校大丈夫なのか?」
温かい腕の中でたずねると、浩介はアッサリと言った。
「アマラが先生になったからやめたんだ」
「え、じゃあ……」
思わず浩介を押しのけて起き上がる。と、浩介は頬をふくらませた。
「なに慶、せっかく……」
「それどころじゃないっ。じゃあお前、これからは日本で暮らすんだな?!」
がっついて聞いたのだけれども、
「ううん。違うよ」
「え……?」
一瞬浮かんだ希望の光がすーっと薄れていく。
「慶、聞いて」
呆然としたおれの前で、浩介はきちんと座りなおすと、きっぱりと言いきった。
「今度は東南アジアの方にいくんだ」
「と……うなんアジア……?」
呆気にとられて浩介を見上げる。
「また……いくのか……」
「うん。それで慶に言いたいことがあって……」
「いいたいこと……?」
目の前が暗くなってきて浩介の顔もよく見えない……。浩介のあいかわらずの冷たくて気持ちのよい手に頬を囲われる。
「あのね、慶」
浩介の真剣な声。
「おれ、本当にこの三年間で死ぬほど思い知った」
「……何を?」
「慶のことが大好きで大好きで離れていられないってことを」
「そ……それなら……」
どうしてまた遠くに行くんだよ?!そう言いかけたのを、制された。
「慶、聞いて」
「…………」
真剣な表情の浩介。
「一緒に、きてほしい」
「え……」
言葉が脳にまで達せず、ぼんやりと見つめ返す。
「なんだって……?」
「三年前、やっぱり一緒に来てもらえばよかったってずっと思ってた」
「………」
「一昨年の夏、次の日いなくなってることに気がついた時、すごく後悔した」
「………」
浩介の真摯な瞳。吸い込まれそうだ。
「アマラにきいたよ。慶、おれは村の人たちがいるから大丈夫って言ったんでしょ?」
「あ……」
「おれ、全然平気じゃないよ。言ったでしょ。慶がいなくちゃ生きていけないって」
浩介はスッと一回息を吸い込むと……意を決したように、はっきりと、言った。
「だから一緒にきて。慶。おれと一緒に生きて」
----
お読みくださりありがとうございました!
途中なのですが、ここで切ります。
数ヵ月前まで載せていた「旧作・翼を広げて」(←私が高校時代に書いた話を要約したもの)のセリフをそのまま移行したため、そのやり取り前に読んだよ!という方には申し訳ありませんでしたっ。
次回、金曜日はこの続き。3年目その8.2。
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2006年4月2日(日)
【浩介視点】
アフリカを離れることを決めてからも、慶に連絡はしなかった。なぜなら、
「次は東南アジアに行く。慶も一緒にきてほしい」
なんて話を電話でするのは難しいと思ったからだ。やはり、目をみて、顔色を見ながら話をすすめたい。
そうアマラに話したところ、
『だったら、サプライズで感動的に再会して、その勢いで説得すればいいのよ!』
と、提案され………
今日がその決行日だ。
アフリカでの任期は3月末までだったので、日にちは迷いなく、4月2日にした。
4月2日。3年前の今日。
慶に背中を押してもらって、おれは日本から飛び立ったのだ。
***
『謝らないといけないことがあるの』
アマラがそういったのは、3か月前、年明けのこと。
『大人の慶には大人の理由が必要でしょ?』
といって、世界各国にある支援先の資料を渡してくれたあとに続いたセリフがそれだった。
『?? 謝る?』
『あの日、慶が帰っちゃったのは、私のせいだから』
「…………え」
あの日って……慶が来てくれた二年目の夏のことしかない。
『…………ごめんなさい』
眉間にシワを寄せたまま、アマラはポツポツと話してくれた。
慶が来てくれた日……
夕食の後、おれが大人向けの授業のために学校に行っていた間、慶とアマラは二人で話をしたそうなのだ。
慶がおれを日本に連れ帰ろうとしているのではないかと思ったアマラは、
『生徒達も村の人もみんな彼のことを頼っている。みんなから彼を取り上げるなんて許さない』
と、慶に言ったそうで………
その翌朝、慶はおれには別れを告げず、帰国してしまった。
『朝、挨拶にきてくれた時に、一応、とめたっていうか……浩介がさみしがるわって言ったんだけど……』
『……………』
『慶、浩介には生徒達や村の人や私やママがいるから大丈夫だって言って……』
慶………
そんなことあるわけないのに。おれは慶が来てくれてどれだけ嬉しかったか……このまま一緒にいてくれたらって、どれだけ願ったことか……
胸を押さえたおれに、アマラが淡々と言葉を続けた。
『慶って大人だなあって思ったのよね。自分の欲よりも、恋人の夢を応援するなんてね』
「…………。え?」
あまりにもアッサリと言ったので聞き逃してしまうところだった。
今、アマラ、恋人って……
『あの、アマラ、おれの恋人は……』
『あかねじゃなくて、慶でしょ』
『……っ』
断言されて、詰まってしまうと、アマラはふっと笑った。
『大丈夫。誰にも言ってないから。でも、ママも気がついてるけどね』
『……………』
『分かるわよ、そのくらい。あかねの時と態度が全然違ったし』
『……………』
二人とも気がついていたのに、ずっと黙っていてくれたのか……
『それに、慶が帰っちゃった後、浩介、写真を見ながらボーってする時間増えたし』
『…………』
手帳に挟んである数枚の写真の中に、高校卒業の時に慶と校門の前で写した写真がある。写真嫌いの慶との唯一のツーショット写真。確かにあれ以来、写真を眺める時間が増えていたかもしれない……
『浩介、日本に帰りたいんじゃないかなって思った』
『そんなこと……っ』
否定しようとしたけれど、『あ、違うか』と、遮られた。
『日本に帰りたい、というより、慶のところに行きたいって感じね』
『…………』
それは……
『そんなあなたをここに縛りつけておくのはいけないって思ったの』
『え?』
アマラの言葉にギクッとなる。
『まさか、アマラ……おれが学校を辞めても大丈夫なように、先生になったんじゃないよね……?』
『…………』
アマラはふっと息をついた。ちょっと笑ってる。
『違うわよ。でも、浩介のせいっていうのは合ってるかな』
『え』
アマラの漆黒の瞳が、こちらをジッと見つめてくる。
『私も浩介みたいになりたいって思ったの』
おれみたいに……
アマラ、こないだもそう言ってくれた……
『私、浩介みたいな先生になる』
アマラは、宣言するように言った。
『浩介みたいに、子供達のこと全部包み込むみたいな、そんな先生になる』
『………っ』
アマラ……
そんな風に思ってくれていたなんて……
子供達を包み込むような先生……おれのなりたかった先生像……
『だからね、浩介』
アマラはニッコリと笑った。
『残りの時間で、たくさん、たくさん、教えて?』
『………うん』
ふわっと温かい気持ちが広がっていく……
おれの思いが繋がれていく。実がなっていく。そんな奇跡みたいなことが、本当になる。
(慶……待ってて)
ようやく、迎えにいける。
***
4月2日。
あれからちょうど3年ぶりの慶のマンション……
少しも変わっていなくて、タイムスリップしてきたような気になってしまう。
慶の部屋は3階の角部屋。階段の近くなので、エレベーターではなく階段を使うことが多かった。
「慶……いるかな」
緊張のまま、インターフォンを鳴らす。
いち……に……さん。
「………いない」
まったく反応なし。
今日は日曜日。仕事の時もあれば休みの時もある。というか、仕事のことの方が多かったな……
「…………。何時に帰ってくるんだろう」
慶に会える、ということに浮かれて、そういうこと何も考えていなかったことに今さら気が付いて自分でも呆れてしまう。
「うーん……」
とりあえず、カバンを玄関の前に下ろす。日本を離れたときと同じ大きなカバン。
『でけーカバンだな』
そう、慶に言われたことを思い出して、グッと胸が痛くなる。
慶……慶。あの時、どんな気持ちでこのカバンをみたことだろう……
(慶……)
そんなことを思いながら、カバンの横にしゃがみこんで一時間経過……
ふと、不安になってきた。
(慶………まだここに住んでるよね……?)
表札が出ていないのは3年前から同じだけど……
3年前から引っ越ししていない、という保証はどこにもない。
(違ったらどうしよう……)
うーんうーん……と唸ってしまう。
(電話してみる……?)
いやいやいや。それじゃ、再会の感動が薄れてしまう!
突然あらわれることに意味があるのであって……
(でも、ここに住んでなかったら意味ないし……)
………。
………。
………。
「あ!そうだ!」
いきなり思いついた。
玄関入って左にお風呂がある。その窓のところに慶はいつもオレンジのボトルのシャンプーを置いていた。行きつけの美容院で売っているシャンプーで、これを使うと髪の毛のまとまりがよくて朝が楽ラクだといって、ずっと使い続けていたので、たぶん今も変わってないはず……
これでオレンジのボトルがなかったら、電話してみよう。そうしよう。
「……見えるかな」
廊下の手すりに乗り出して、お風呂の窓の方をのぞいてみる。
「んーーーーーー?」
窓は見えるけど、シャンプーがあるかどうか……
「……わわわっ」
乗り出しすぎて、落ちそうになり、あわてて戻る。ここは3階。下手すると命にかかわる。
「でも、見たいーーー」
もう一回、手すりに手をかけて、窓をのぞき………
と、その時だった。
「………浩介?」
「!!」
後ろから、愛しい愛しい愛しい声が……
「あ……」
振り返ると、あいかわらずの完璧な美貌のその人が立っていて……。澄んだ湖のような瞳も以前と何も変わっていなくて……。
慶、慶、慶……会いたかった。
思いが溢れて声にならない。
「慶………」
胸に手を当て、ようやく、その愛しい人の名を呼ぶと……
「何やってんだ?お前。泥棒かと思ったじゃねーかよ」
と、心底呆れたように言われた。
「……………」
感動の再会をするはずだったのにーーー!!
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お読みくださりありがとうございました!
次回は、数ヵ月前まで載せていた「旧作・翼を広げて」(←私が高校時代に書いた話を要約したもの)を元にしたものになります。セリフはそのまま移行するので、そのやり取り前に読んだよ!という方には申し訳ありませんっ。
今回の「泥棒かと思ったじゃねーかよ」も、私が高校の時に書いたセリフからの引用でして……。もっとロマンチックな再会させてあげればいいのに~~と自分にツッコミつつ………
次回、火曜日は3年目その8。浩介君の慶説得大作戦、でございます。
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2006年2月
【慶視点】
「はじめは、慶が一緒にいってくれたらって思ったんだよ」
ケニアに旅立つ前日、浩介はそういっていた。
あの時のおれは、まだ卒後丸3年で、先輩方に助けてもらいながら、何とか仕事をやっているような状態で、とても着いていくことなんてできなかった。
あれから3年弱……。少しは経験を積んで、後輩もできて、少しは周りから頼られるようになったけれど……
(理想とする医師からは、まだ遠い……)
おれの理想の島袋先生は、実家の小児科病院を継ぐために、何年も前にこの病院を辞めてしまった。去年の夏に初めて先生の病院に遊びに行ったのだけれど、ビックリするくらい長閑な病院で、入院施設もなくて驚いた。入院手術を要するような病気の場合は、転院することになるそうだ。
「先生の腕がもったいなくないですか?」
思わず、失礼ながら言ってしまったら、先生はニコニコと笑って、
「ここの子供達を守ることが、今のオレの仕事だから」
そう、言い切った。やっぱり島袋先生はかっこいい。昔から変わらない。
島袋先生おすすめの「流れ星スポット」で一人星空を眺めながら、ボーっとしていたら、頭の中は当然、浩介のことでいっぱいになって……
(本当は、浩介と来るはずだったのにな……)
旅行を予定していたのに、直前に浩介が交通事故にあったため、やむなく中止にしたのだ。その翌年は予定が合わず、断念して……
(その次の年は、浩介はもうアフリカで……)
…………。
どうしてもっと一緒にいなかったんだろう。
病院の暗黙の決まりなんか無視して、社宅には入らず、一緒に住めばよかった。浩介は一緒に住みたいって言ってたのに。そうしたらもっと一緒の時間が取れたかもしれないのに。そうしたらあんな風に、浩介が日本を離れることを秘密裏に進めることもなかったかもしれないのに……
後悔ばかりが、頭の中を渦巻く……
本当は心奪われるはずの美しい星空も、今のおれには何の感動も呼んではくれなかった。
***
「わ~~こうすけ君、すごい量のチョコだね!」
「…………っ」
看護師の早坂さんの言葉に、ほんの少し、ドキッとする。
先日入院してきた中学生の男の子。「光輔」という。「こうすけ」という名前自体、別に珍しくはないから、今までも患者にいたことはあったのだけれども、この「光輔」は、わりと背が高くて痩せ気味で、しかもバスケ部で……、どうやっても、おれの「浩介」を連想してしまう子なのだ。でも……
「いや~まだまだ! 本番は明日だから! 明日は女子が行列作っちゃうからね!」
…………。
でも、性格は全然「浩介」とは違う。喋り方も何もかも、笑ってしまうくらい、違う。
「渋谷先生だってたくさんもらうでしょ?」
「いや……」
軽く首を振ると、光輔は楽しそうに言葉を継いだ。
「ウワサ本当なんだ? 別れた彼女をウジウジと思い続けてて、チョコも全部断ってるとかいう……」
「…………」
別れてねーし。しかもウジウジって……誰だ、そんなこと言ってるのは。……って、みんな言ってるんだよなあ……。
「もったいないじゃーん。さっさと次行きなよー」
「…………」
無視して診察をはじめる。が、光輔は黙っていない。
「この病院の看護師さん、結構レベル高いよね? ビックリしちゃったよ。みんなわりと若くて可愛くて」
「シー」
人差し指に手を当てると、ようやく口を閉じた。
が、終わった途端に、「ねえねえねえ!」とおれの腕を叩いて、
「ほら、早坂さんなんてどう? 二人お似合いだよ?」
「ちょ……っ、やだ、光輔君!」
こんな子供の言うことに、早坂さんがアワアワしている。
「そんな渋谷先生に失礼……っ」
「なんでー」
「光輔君」
ピシッと軽くオデコを叩いてやる。
「セクハラ」
「えー」
光輔がぶーっと口を尖らせた。そういう顔はちょっと浩介に似てる……
「だって先生、せっかくカッコいいのにもったいないじゃん。なんでそんな一人の女にこだわってんの?」
「……………」
なんでと言われても……
おれにはあいつしかいなくて……いなくて……
「こうすけ、君」
久しぶりにきちんと声に出して言う「こうすけ」の四文字が、愛しくて愛しくてたまらない。
「明日、行列作られたとしても、あまり無理はしないようにね」
「………はーい」
嫌そうに肯いた光輔の頭を軽く撫でてから、病室を後にする。「こうすけ」という甘美な響きの4文字が、おれの中でグルグルと回る。
(浩介……浩介。お前の名前を呼びたい)
お前の名前を呼んで、お前の頭を撫でて……
(浩介……)
思いきり抱きしめて、それから、それから……
「渋谷先生?」
「!」
早坂さんの声で我に返って立ち止まった。
しまった……早坂さんの存在を忘れて、何も言わずに階段を下りはじめてしまっていたのだ。
「ごめん、考え事してて……。これで終わりだったよね?」
「あ……はい」
「おれこのまま昼行ってもいいかな?」
「はい……」
うなずいてくれた早坂さんに手を挙げ、階段の続きを下り……
「………渋谷先生っ」
「え」
再び呼ばれ、立ち止まった。振り返ると、早坂さんが真剣な表情でこちらに下りてきていて……
(あ、まずい)
その少し紅潮した頬をみて、反射的に思う。
(これ、告白される)
経験上、この雰囲気はそういう流れだと瞬時に気がついた。これは避けなくては。仕事仲間との恋愛のイザコザは絶対に嫌だ。回避。回避。回避。
「ごめん、おれ、いそいでて……」
慌ててその場から逃げ出そうとしたのだけれども………
「渋谷先生!」
逃げる間もなく、早坂さんに詰め寄られてしまった。
「明日、チョコ受け取ってもらえませんか?」
「う」
案の定だ……
たじろぐおれに構わず、早坂さんは、真っ赤なまま、叫ぶように、言った。
「私、渋谷先生のことが好きなんです!」
「え……」
ビックリするくらい、清々しい真っ直ぐな告白。
(うわ……)
まるで小学生みたいだ。いつも元気いっぱいの早坂さんらしすぎて………思わず笑いそうになってしまう。
この子、おれと5歳しか変わらないよなあ。なのになんでこんなに若々しいんだ。微笑ましすぎる……
「…………先生、笑ってます?」
「あ」
早坂さんがムッとしている。
「なんで笑うんですかっ。私、真剣に……っ」
「ご、ごめん」
降参、というように両手を軽く上げる。
「若いなあと思って……」
「………それは子供っぽいということですか?」
「………」
苦笑してしまうと、「ひどい」と早坂さんがプウッと頬を膨らませた。
「こんな子供じゃ、恋人候補にはなりませんか?」
「…………」
かわいい。かわいい子だな、と思う。
いつでも一生懸命だし、誰に対しても親切で明るくて、本当に良い子だと思う。
けれども……
「………ごめん」
ゆっくりと頭を下げる……
「早坂さんがどうとかじゃなくて……おれ」
「彼女のことが忘れられない、ですか?」
「…………」
早坂さんの黒目がちな瞳がジッとこちらを見つめてくる。
「私だったら、ずっと先生のそばにいます」
「…………」
「そんなさみしい目させません。絶対」
「…………」
さみしい目……って……
「さみしい目、してる? おれ」
思わず聞くと、
「え? 自覚ないんですか?」
それはビックリ、と早坂さんは口に手を当てた。
「すっごくさみしそうですよ? みんな言ってますよ?」
「…………」
「まあ、そのさみしそうなところが憂いがあっていいって評判なんですけどね」
「………なんだそりゃ」
普通にしているつもりなのになあ……
「でも、先生。私と付き合ったら絶対毎日楽しくなりますよ? おすすめですよ?」
「………………」
毎日楽しく……か。
「そっかあ……」
「そうですよ?」
「そう……」
「そうですよ!」
「……………」
ニコニコの早坂さん。
そうだろうな。こんな子が彼女になったらきっと楽しいだろう。
でも……でも。
「でも………ごめん」
真摯に頭を下げる。
「おれは……」
あいつのことしか愛せない。
***
売店でおにぎりとパンを買って、外のベンチに行く。
行き止まりと勘違いする先にあるため、めったに人がこないベンチ。浩介が日本にいた頃は、時々ここにお弁当を持ってきてもらって一緒に食べたりしていた。
「…………いない、か」
いるわけないのに、ほんの少し期待してしまうアホな自分に毎回笑ってしまう。
今日も寒いけれど、日射しが暖かい。
「さみしい目、だってよ」
ベンチに座っておにぎりを食べながら、先ほど言われた言葉を、空白の隣に報告する。
「そりゃ、さみしいもんなあ……」
お前がいない。
そのさみしさは隠しようがないということだ。
「早く帰ってこねえかなあ」
空に向かって呟く……
『押しかけ女房しちゃえば?』
正月に妹の南に言われた言葉がよみがえってくる。
『浩介の意思を尊重してる』
と、行かない理由を答えたおれに、
『行って拒否されるのがこわいってことでしょ?』
ズバッと言い放った南。
あいかわらず容赦なく、真実をついてくる奴だよな……
一昨年、ほんの少しだけ、アフリカにいる浩介に会いにいった。
浩介は喜んでくれたけど………でも、おれは気がついてしまった。おれは今のお前には必要のない人間だということに……
「……だから、待ってる」
いつか……お前が再びおれと一緒にいたい、と思ってくれる日を。
そんな日は、一生こないのかもしれないけど……でも、待ってる。
その日が来たら、今度こそちゃんと「一緒に」いられるように、今度こそ後悔しないようにする。だから……だから。
「帰ってこい」
帰ってこい。浩介……
ぎゅっと胸を押さえて、強く強く念じる。
帰ってこいよ……
***
翌日のバレンタイン……
『義理』
と、デカデカと書かれた箱を、看護師一同からもらった。
早坂さんは、昨日の告白の後、「明日からは普通の看護師に戻ります」と言ってくれた通り、少しも変わらず、明るく元気。
だけれども、周りはそうではなかった。
「早坂ちゃん、告ったらしいね?」
「そうそう。でも『あいつのことしか愛せない』って振られてたよっ」
昨日の告白の様子、見られていたようで、早坂さん以外のスタッフが噂話をしている……
「うわー渋谷先生、ナルシストっぽーい」
「自分に酔ってる系」
「ありえないわー早坂ちゃんかわいそー」
………………。
一応、皆さん隅でコソコソ話しているけれど、丸聞こえだ。せめて本人のいないところで話してくれ……
「先生、早坂さんのこと振ったんだって?」
「え」
回診の際、光輔にまで言われてビックリする。入院患者にまで知れ渡ってるのか?
「それは……」
「先生、そんなに彼女のこと好きなんだ? すごいねえ一途だねえ」
「……………」
中学生に感心されても………
「オレもそんな相手に出会いたいなあ」
「…………」
夢見るように言う光輔。
おれと浩介の出会いは奇跡だ。でも、偶然じゃなく必然。奇跡だけど、必然。必ず会う運命だったから出会えた。
「こうすけ、君」
おれの運命の相手と同じ名前の彼だからこそ、余計に幸せになってほしい。いつの日かこの子にも運命の相手が現れるといい。おれがお前と出会ったように。
「会えるといいね」
言うと、光輔はエヘヘと笑って、「先生も早くヨリ戻せるといいね」と言った。
………………。
だから、別れてねーっつーの。
と、いう心の声は口に出さないでおこう。
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お読みくださりありがとうございました!
光輔とのやり取りや早坂さんの告白は、私が高校生の時に書いた「翼を広げて」が元になっているため、青臭いのはそのせい!ということでっ
次回、金曜日は3年目その7です。
こんな真面目な話にクリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当に本当にありがとうこざいます!嬉しすぎて震えてます。
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