おれと浩介が『別れた』ことになってから、2年3ヶ月が過ぎた。
浩介は先週無事に大学を卒業し、来月から私立高校の教員になる。(おれは大学4年生になる)
今日は朝から引っ越し作業に追われていて、ようやくめどがついたところだった。
「これ! 合鍵~~っ」
語尾に思いっきりハートマークをつけて、浩介が言う。
「いつでも来てね。っていうか、毎日来てね。っていうか、大学ここから近いんだから、ここに住めばいいじゃん!」
「はいはい」
朝からずっとテンション高すぎる浩介を適当にあしらうと、残りのダンボールをまとめて縛り上げた。結構なゴミの量になってしまった。
「ゴミは明日の朝、8時までにゴミ捨て場に出せってさ。ちょっと運ぶの一回じゃ無理そうだな。頑張って往復しろよ」
「え、手伝ってくれないの?」
「手伝うって、朝8時だぞ? 何時に来いってんだよ?」
「え!? 当然、今日は泊まってくでしょ?!」
「え?」
それは思いつかなかった……。
「なんで!普通思いつくでしょ!っていうか、そうとしか思わないでしょ!当然そうだと思ったからわざわざ言わなかったのに!」
「あー………」
「とにかく泊まっていってね! 着替えも何でもどうにでもするから!」
なんなんだろう。こいつのこのテンションの高さ……。浩介は興奮したように続ける。
「おれね、ほんとにほんとにほんとーに、この日がくるのをずっとずっとずーーーーーーーーーーーっと待ってたんだよ。誰にも邪魔されずに一緒にいられる時間。空間。おれたちの城! そのために、2年以上もあかねサンと恋人のフリをしたりして……ああ、苦痛の日々だった……」
「わーるーかったわねーっ」
がこっと音がして、浩介が前につんのめった。あかねさんの長い足が浩介の背中にヒットしたのだ。
「苦痛の日々って失礼しちゃうー。慶君もなんとか言ってやってよ」
あかねさんが仁王立ちしている。浩介が背中をさすりさすり、あかねさんを振り返る。
「……今、マジで痛かった……。ってか、なに? あかねサン、帰ったんじゃなかったの? もう慶と二人きりになりたいんだけど」
「ほんっと、失礼よね? 浩介センセー。人に引っ越しの手伝いさせておきながら……」
怒った風を装いながら、あかねさんの目は笑っている。この2人はいつもそうだ。言葉遊びを楽しんでいる感じ。
なんだか入れない空気があって、少し、というか、結構、というか、かなり……嫉妬してしまう。
おれがいないところでは「あかね」「浩介」と呼び合っていることもおれは知っている。知っているけど知らないことにしている。たぶん二人ともおれに気を遣っておれの前では「あかねサン」「浩介先生」と呼び合うようにしているんだろうから、その気遣いをくみ取ることにしている。
あかねさんは同性愛者だ。だから浩介が恋愛対象になることはない。と、分かっていてもモヤモヤしてしまうのが本音だ。これだけの美人だし。でも、その嫉妬心は表にださないよう心掛けている。
なぜなら、あかねさんは浩介にとって初めて心を許すことのできた「友達」だからだ。浩介はつらい小中学校時代を過ごしてきて、友達らしい友達はいない。せっかくできた「友達」。おれが取り上げるようなことはしたくない。……「親友」の座を譲るつもりはないけど。
「で、どうしたの? 忘れ物?」
「そうそう。引っ越し祝いを渡すの忘れてたのよ。はいこれ!」
シンプルな包みの中に入っていたのは、写真立て。
「おお! 写真立て! 持ってない!」
「でしょ? 男子ってこういうの持ってないだろうな~と思ってね~。飾りたい写真あるでしょ?」
「あるある! わーありがとー。さすが、あかねサン!」
あかねさんは満足したようににっこりと笑うと、颯爽と帰っていった。これからデートだそうだ。
あかねさんは2年前に超本気だった年上の女性に振られて以来、とっかえひっかえ相手を変えているらしい。その女性とヨリを戻せればよかったのだけども、残念ながら彼女は別れてすぐに結婚してしまったそうで……。恋愛って難しい。
おれ達も、気が付いたら、もう付き合いはじめて5年3ヶ月だ。高校入学後に出会ってからは7年。長いような短いような……一緒にいるのが当然、のような。
「これこれこの写真♪ お気に入りなんだ~」
浩介が鼻歌まじりに飾っているのは、妹の南が卒業式の帰りに校門の前で撮ってくれた写真だ。
この写真のこと……おれは立ち聞きしてしまった。
あれはおれと浩介が『別れた』ことになった、数日後。
おれが出かける用意をして下に降りようとしたところ、浩介が玄関先で南と話していることに気がついた。立ち聞きするつもりはなかったのだけれど、浩介が真剣な顔をして、南に頭を下げていたからつい下りそびれてしまったのだ。
「全然いいよー? あれでしょ? 校門の前で浩介さんがお兄ちゃんの肩抱いてる写真でしょ? あげるあげる。たぶんあまりあるから、今持ってくるよ」
「ありがとう。南ちゃん。ホント助かる」
浩介が南を拝んでいる。校門の前って、あの写真のことか? 浩介、なくしたのか?
「そのかわりー」
南がニヤーッと笑う。
「今持ってる方の写真、私にちょうだい! どうせお母さんに破かれたとかそういうことでしょ?!」
……破かれた?
「え?! なんで分かったの?!」
浩介が慌てたように言うと、南は、人差し指を左右にゆらし、
「浩介さん、私にウソは通用しないわよ。浩介さんが大事な写真をなくしたり傷つけたりするわけないじゃなーい。バレバレだわよ。それよりその写真、本当にちょうだいよ?」
「……なんで?」
ほんと。なんでだ?
南は、両手を前で組むと、「当たり前じゃないの~」と目をキラキラさせて叫んだ。
「だーって、嫉妬?憎しみ?から傷つけられてしまった写真の実物!なんて手に入れようとしても入らないでしょ~。見たーい。みんなにも見せたーい! めっちゃ参考になりまーす!」
「…………」
南………我が妹ながら………意味がわからん。
「うん………今度持ってくるね………」
浩介も戸惑ったようにうなずいている。
南の趣味は本当に意味がわからないけれど、でも、この申し出は有り難い。その破られたんだか傷つけられたんだかした写真、手元に残っていたら、ずっと嫌な思いを引きずってしまう。そんな思いを浩介にさせるくらいなら、南の参考にでもなんでもしてほしいもんだ。
「この写真撮ってから……4年だね」
「ああ……色々あったなあ……」
2年3ヶ月前のクリスマスイブに思いをはせる。
あの日、バイトを上がったところで、あかねさんにお茶に誘われ、そこで提案されたのだ。
「浩介先生は慶君と別れて、私と付き合うってことにした……って台本はいかがかしら?」と。
あの頃、浩介が追い詰められていることは分かっていた。なんとか打開策がないものか考えてもいた。
でも、もう、限界だった。
とうとう、浩介がおれとの別れを口にした。ありえない。本当にありえない。
ここまできてしまったら、浩介の両親を騙すしか方法はない。
おれ達はあかねさんの案にのることにした。
後から、浩介がおれに聞こえないように、あかねさんに、
「おれ、『慶には体調不良って言って』っていったよね?」
と、ブツブツ言っているのを聞いてしまった。するとあかねさんは、
「私、『慶君にはうまいこと言っておくから任せて』っていったじゃな~い」
だからうまいこといったでしょ?とにっこり笑っていた。この人にはかなわない。
こんなことに協力してくれる理由は「花束のお礼」だそうだ。
だからというわけではないが、次のあかねさんの公演の時には、2人でもっと大きな花束をプレゼントした。
あかねさんは本物の女優さんだった。舞台でも、浩介の両親の前でも。
あかねさんは、少しずつ浩介の親に存在をアピールしていき、疑われない流れを作ってくれた。
浩介曰く、浩介の家にやってくるあかねさんは、いつもとは別人らしい(それはもう気持ち悪いくらい……と言って、あかねさんに後ろからはたかれていた)。
清楚でおとなしくてでも芯が強くて……という、浩介の両親が好きそうな女性像を演じ続け、ご両親もすっかりあかねさんを気に入り、そして、春になって「あかねサンと付き合うことになった。渋谷君とはずっと前から友達の関係でしかない」と浩介が報告すると、お母さんは泣いて喜んだそうだ(それもそれでフクザツな気持ちもするけど、しょうがないか……)。
浩介の両親にバレないように連絡を取らなくてはならなかったので、はじめは苦労したが、その年の夏に浩介がPHSを買ってからはそれも解消された。文明の発達にこれほど感謝したことはない。
それでどうにか2年3ヶ月耐え切り、浩介の就職も無事に決まり、一人暮らしも許され、今日の引っ越しまでこぎつけたわけだ。
「お母さん……突然来たりするんじゃないか?」
「大丈夫。合鍵渡してないし、住所は一応教えたけど、ここすっごく分かりにくいところにあるし」
このアパート、場所も入口も分かりにくい。そういうところをわざと選んだのだ。
「それになにより、父が母に『干渉するな』って言ってたし。落ちついたら招待する~って誤魔化してあるから大丈夫」
浩介がにっこりとVサインを作る。
「だから安心して、あんなことやこんなことやこーーんなこと、しようねっ」
「なんだそりゃ」
「だから~~~~」
「まてまてまてっ」
ベッドに押し倒されそうになるのを、両手で止める。
「お前、こんな昼間っから」
「もう夕方だよー」
「じゃあ、もう夕飯の用意しなくちゃだろっ。何食べる?」
「んー慶を食べたーい」
「あほかっ」
げしげしと足で攻撃するが、めげる様子もない。
「それに、アパート壁薄そうだしっ」
「隣、まだ空き部屋って言ったでしょ~。だからちょっとくらい大きい声出しても大丈夫だからねっ」
「……っ」
赤面したのが自分でも分かった。それを隠すために、がしっと浩介の両肩をつかむと、
「だーれーがー大きい声だすって?!」
「うわわっ」
思いっきりベットに突き倒した。太腿の上にまたがって、両足で浩介の肩を押さえつける。
「ちょっ、こわいこわいっ。おやめくださいっ天使様っ」
「天使いうなっ」
えいえいっと足で脇の下をくすぐってやる。すると、浩介は笑いながら、
「だって本当に天使みたいだよー。夕暮れのオレンジの光に照らされて……」
「……」
「本当に……綺麗」
おれを見上げる浩介の目。愛おしくてたまらない、という目。
愛されている、と実感できる。
おれはこんなにも愛されている。必要とされている。
そして、おれも、お前が愛おしくてたまらない。
「浩介……」
足をおろして両手を伸ばすと、浩介が起き上がった。ぎゅっと抱き寄せる。その愛しい頭をゆっくりなでる。
すると、浩介は妙に真剣な声でポツリと言った。
「おれ……死ぬのかな?」
「………………………………は?」
浩介の突飛でもない発言に眉を寄せる。
「何言ってんの? お前」
「だって………」
「何だよ?」
「だって………」
浩介はおれの首元に顔を埋めてしばらくじっとしていたが、再びポツリと言った。
「……幸せすぎて、もう死期が近いんじゃないかと思って」
「……なんだそりゃ」
意味がわからん。
「おれが死んだら……キスしてね」
「はあ?」
ますます意味がわからん。
浩介は下を向いたままボソボソと言う。
「白雪姫だよ」
「白雪姫?」
毒りんご食べて死んだお姫様か。確か王子のキスで目覚めるんだったな。
「あの王子、初めて会った死体にキスするなんて、かなりおかしな奴だよな」
「……それ、あかねサンも同じこと言ってた。変態王子だってさ」
「あはは。やっぱり? みんなそう思うよな」
「それで、慶はその変態王子だって」
「おれ?」
なんでおれが?
「どういう…………」
「白雪姫は王子のキスで目を覚まし、母親の呪縛から逃れて、幸せに暮らしました」
「…………」
わずかに震える浩介の声。
「慶は、おれを自由への道に連れ出してくれた」
「………浩介」
浩介の両頬を囲み、正面から見つめる。涙目の浩介。
「浩介……」
そっと、口づける。
お前のことはおれが守る。
「何度でも、してやるよ?」
「慶………」
何度でも。何度でも。お前を救い出す。
ついばむようなキスを繰り返しながら、ゆっくりと押し倒す。
「大きい声、出していいからな?」
にっと笑顔で、浩介のベルトを外しにかかる。
「わあ~~本気の天使~~色っぽ~~い」
「うるさい」
ふざけ返してきた浩介の唇に本気のキスをする。
天使だろうが王子だろうがなんでもかまわない。
「……浩介。一緒にいこう。自由への道を」
「……うん」
おれ達は、自由への道を行く。ずっと一緒に。
<完>
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エピソード全部回収しようと思ったら、長くなっちゃった。
けど、一つ回収できませんでした。
3-1の、綾さんがあかねさんに言った「あかねは誰にも抱かれないわ」ってセリフの件です。
回収できてないこと分かってたんだけど、これについて書くと長く脱線しちゃうからやめたの。
で、綾さんとあかねさんのことをぼや~っと考えていたら、
突然、バタバタバタっと一気に頭の中でいろんな場面が再生されて……
うわーーーどうしようっ書きたい!!ってなってしまいました。
(で、書きました。→ 『光彩』)
慶の通う学部は6年生まであります。忙しいです。
で、浩介のアパートは慶の大学に近いので、今後、半同棲状態になります。
慶は両親共働きで、食事を自分で用意することもあったため、少しは料理できます。
浩介はまったくできませんでした。が、真面目なので真面目に料理の勉強をし、メキメキと上手になっていきます。
性格的に浩介は料理をすることに向いていると思う。黙々と何かを切ったり炒めたりするの好きそう。
そのころのイチャイチャ話、頭の中でたくさん妄想してるので、そのうち我慢できなくなったら吐き出したいと思います。
もっと具体的にベッドシーン書いてもいいんだけど、なんか二人に申し訳ない気がして書けない^^;
そこまでさらさなくてもいいだろって文句いわれそうで、さっきもベルト外すだけで終わらせちゃった^^;
そんな感じで……。落ちついたらまた書きまーす。
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