【真木視点】
『真木さん、何だか辛そうだけど、大丈夫、ですか?』
ビー玉みたいな目でこちらを見上げてきたチヒロ。初めて出会ったときには、そのビー玉には何も映っていなかったけれど、今では綺麗な色が煌めいている。
(この子には嘘をつけないな……)
思い返せば、チヒロには素の自分をさらけ出してしまうことが多かった。そばにいることが当然のような、温かい優しいぬくもり。この子と離れるなんて考えられない。
だから……だから。おれはこの道を行く。
***
両家顔合わせ。
俺の方は、両親と兄2人が出席する。母と仲の良い次兄が大阪から母のことは連れてきてくれるそうで、父と長兄は東京での仕事が終わり次第、こちらにくると言っていた。
環の方は、父親だけだそうだ。母親は数年前に亡くなり、兄弟もいないらしい。環は父親を苦手だと言っていたけれど、父一人子一人ではなおのこと逃げ場がなくて大変だろう。環が結婚したい理由は、父の元から逃げ出したい、ということなのかもしれない。
待ち合わせの30分前に店に着いたところ、環はすでに来ていて、オレンジジュースを飲んでいた。いつでもアルコールを摂取している彼女が珍しい。
「飲まないんですか?」
「さすがにまだ飲まないわよ」
苦笑いした環。緊張しているのか顔が固い。
「こんな個室があったなんて知らなかったです」
初めて通された店の奥の個室。広めで白基調ではあるけれど、3方壁に囲まれた空間は少し息苦しい。座る気にもなれず、意味もなく、壁に飾られた絵を一つずつ見ていたところ、
「失礼します」
扉が開き、フロアマネージャーのミツルが入ってきた。手には俺が店に入った時に注文したシャンパンがある。
ミツルは無言でテーブルの上にシャンパンのグラスを置くと、
「……環さん」
すっと、環の真横に立って、静かに言った。「環様」ではなく「環さん」と。
「なに?」
驚いた様子もなく、ミツルを見上げた環。
しばらく無言で見つめあっていた二人。先に口を開けたのはミツルだった。
「何でオレじゃダメなんですか?」
切羽詰まった声。そしてミツルは俺を指さすと、
「環さん、こんな人のこと別に好きじゃないでしょ? だったらオレでもいいじゃないですか」
「………」
こんな人、とはずいぶん失礼な言い様だ。すっかりフロアマネージャーではなく、一人の男になっている。
ミツルは真剣な表情のまま環に一歩近づいた。
「医者じゃなくちゃダメだっていうなら、オレ、これから医者になりますよ」
「なにそれオモシローイ」
真面目なミツルに反して、環はあくまでヘラヘラとしている。
「面白くないです。本気です。医学部って6年でしたっけ? だからあと7年くらい待っててください」
「7年……私49になるわねえ」
「それが何か」
「…………」
「…………」
また、無言になった二人。でもすぐに、環が「ダメダメ」とふざけたように手を振った。
「ダメだね。とにかくダメ。ダメダメ。ミツルは絶対にダメ」
「なんでっ」
「理由は簡単」
環がピッと指さした。
「ミツルは私のこと好きだから」
「え」
「だから、ダメ」
「なんで……っ」
「なんでって」
すっと真面目な顔になった環。
「幸せになれないから。私はミツルを抱くことも抱かれることもできない。だからダメ」
「じゃあ、嫌いになればいいですか?」
「…………」
「…………」
三度目の無言の見つめ合い……
今度も環が沈黙を破った。
「そんなの、無理なくせに」
「……っ」
「ミツルは一生私のことが好き。でしょ?」
「………」
ぐっと唇をかみしめたミツル。
環はオレンジジュースを飲み干すと、真っ直ぐにミツルを見上げている。
「じゃあ、オレはどうすればいい? あなたが他の男と結婚するのを黙ってみてろと?」
「何言ってんの? 男の子は紹介するのに、結婚は嫌なわけ?」
環からの問いかけに、ミツルは眉を寄せた。
「そりゃそうですよ。分かってるでしょ? デートクラブは夢の世界。でも結婚は現実です。現実であなたが他の男のものになることに我慢ができない」
「意味分かんなーい。そんなの知らなーい」
また、環の口調がふざけたものに戻ってしまった。
「そんなことより、飲み物持ってきて」
「…………」
ミツルはふっと視線を外すと、「かしこまりました」と丁寧に頭をさげ、空いたグラスを手にとった。その手がわずかに震えていたことは見なかったことにしてやる。
「環さんは、あのフロアマネジャーの子を買ってたってことですか?」
ミツルが出て行ったのを見届けてから言ってみると、環は軽く肯いた。
「10年くらい前かな……あの子がまだ大学生になりたてのころから、2年くらいね」
10年……。なるほど、昨日ミツルは『真木様よりもずっと前から親しくさせていただいてますので』と偉そうに言っていたけれど、本当に『ずっと前』だったんだな。
「あの子、今ではあんなに落ちついちゃってるけど、10年前は田舎から出てきた男の子って感じですごく可愛かったのよ」
「…………」
「でも、まあ……ハタチになるころには、すっかり大人びちゃって。私が無理になっちゃってね」
ミツルは大学在学中はデートクラブにも所属していたけれど、卒業してこの店に就職してからは除籍したそうだ。そして、デートクラブの管理を任されるようになり、今では環に男の子を紹介しているらしい。
(……歪んでるな)
好きな女性に男を紹介する……。どんな心境だそれは。俺なら我慢できない。
「あの子ねえ。一生私のこと好きなんだって。私を満足させるためなら何でもするんだって」
ポツン、と言った環。
「バカよねえ。あの子、今、28よ。いい加減、目覚ませばいいのに」
「…………」
ああ……そうなのか、と思いついた。
この結婚は、父親から離れるため、ということもあるのだろうけれど……、もしかしたら、ミツルから離れるため、でもあるのか? いや、もしくは……
「俺は、当て馬ですか?」
「え?」
キョトン、とした環。無自覚なのか?
「おとなしくあなたに男を差し出してくるあの子に、一歩進ませるための、当て馬かな?と」
「………何言ってるの?」
環の顔がこわばった。
「言ったでしょ? 私は成人男性は無理なんだって。一歩進まれたところで進むことなんてできないの」
「それは性行為の話ですよね? 人生のパートナーとして彼を……」
「綺麗ごと言わないでくれる?」
バンッとテーブルを叩かれた音が室内に響いた。
「求められても応えられない辛さ、あなたに分かる? どんなに好きでも交わることのできない苦しさ、分かる?」
「…………」
「私はもう、その場その場だけの快楽を得られればいいの。そうやって生きてくって決めたの」
涙目の環。
ああ……そうか。前に「私は幸せになれない」と言っていたのはそういうことだったのか。
けれども………
「『どんなに好きでも』って、それ、オレのこと?」
聞こえてきた声にビクッとはね上がった環。俺は振り返って、入り口に立っているミツルに深くうなずいてやる。
「まあ、話の流れからしてそうなるね」
「ですよね」
ミツルは環のために持ってきたオレンジジュースを静かにテーブルに置いた。
「環さん」
「……………」
「オレ、間違ってた? 環さんが満足できるならそれでいいって思ってたんだけど。まあ………ホントは嫌だったけどね」
ミツルは優しい瞳を環に向けている。
「環さん。違う道、探させてよ」
「……………」
「オレ、一生、環さんのこと好きだから」
そして、うつむいたままの環を包み込んだ。
「…………ミツル」
「うん」
「あんた、バカじゃないの?」
「うん」
そして………と、思いきや。
「ええと? これはどういう状況?」
「!」
突然聞こえてきた呑気な声に、環とミツルが飛び離れ、俺ものけ反ってしまった。いつの間に次兄が立っている。その上……
「もしかして『卒業』? やだ、英明ってば、花嫁取られちゃう側?」
「お………母さん」
母もいたって呑気にそんなことを言いながら、部屋の中に入ってきた。
***
「なんかおかしいと思ってたのよね……」
母が頬に手をあてながら言った。
兄と環がそれぞれ『両家顔合わせ』中止の連絡の電話をするために、部屋から出ていったため、今、俺と母の二人きりだ。
「お見合いすすめようとしてた矢先に急に結婚する、だなんてタイミング良すぎるなあって……」
「…………」
「結婚に焦った英明が騙されたってこと? それとも、英明も納得の上? 私達を騙してたってこと?」
「…………」
「怒らないから正直に言って?」
「…………」
子供の頃のように優しく言われて……もう、体中の力が抜けてしまいそうになる。
「あなたのことだから、何か理由があるんでしょう?」
「…………」
こうやっていつも俺のことを信じてくれる母……
(嫌いになれたらいいのに……)
でも、そんなことできない。俺は家族の期待を裏切るなんてできない。俺のお菓子の家。なんでも与えてくれた甘い甘い家……
でも……
「俺……、本当は好きな人がいるんです」
言えることだけを言おう。そう思って、なんとか言葉にする。
「そう……なの?」
きょとんとした母にうなずいてみせる。
「でも、その人とは、結婚とかできなくて……それで……」
「不倫、とか、そういうこと?」
「………」
ああ、なるほど。そういう発想になるのか。まさか相手が男だから、なんて思いもしないよな……。
なんて余計に沈みそうになっていたところで、
「あ、もしかして」
母がいきなり、パチンと手を叩いた。
「もしかして、『チヒロ』さん?!」
「!」
心臓が止まるかと思った。何を……っ
「よく電話かかってきた人よね? やっぱりそうなんじゃないの。私言ったわよね?」
「…………」
ああ、そういえば前に言われたな。『チヒロ』は男でも女でもある名前だ。母は当然、女性だと勘違いしていた。
「やっぱりね。あなた自分では普通にしてたつもりだったかもしれないけど、『チヒロ』さんからの電話の時、頬が上がってたわよ?」
「頬?」
「そう」
母が妙に楽しそうにいった。
「あなた、昔から嬉しいことがあると、頬のあたりがあがるのよね。自分では隠してるつもりなんだろうけど、お見通しだから」
「え……」
そう……そうか。さすがお見通し、だな。
でも、その『チヒロ』が男だということまでは見通せないらしい……
「それで、どうするの?」
「どうする?」
母を見返すと、母の真剣な瞳がそこにはあった。
「諦めるの?チヒロさんのこと」
「…………」
諦める? そんなことするわけがない。俺はあの子の温もりを手放したくない。愛しいあの子とずっと一緒にいたい。
でも、それは、この母を騙して隠れて関係を続けるということで……
だから。俺は……俺は。
「俺……」
と、何かを言いかけたときだった。
「失礼します!」
「!」
ドアが勢いよく開き、チヒロ本人が飛び込んできた。
***
仕事着ではない、いつもの可愛らしい私服のチヒロ。ということは、仕事ではないということだ。
「真木さんっ」
チヒロはツカツカとすごい勢いで俺の目の前までくると、
「真木さん。僕と逃げてください」
と、強い口調で言い切った。
(逃げる?)
え? と戸惑っている俺にまた一歩迫ってきたチヒロは、今度は叫ぶように、言った。
「僕が真木さんのグレーテルになりますっ」
「………っ」
グレーテル……
お菓子の家の魔法使いに捕まった兄ヘンゼルを助け出した勇敢な女の子。
チヒロの瞳は今までみたことがないくらいキラキラと輝いている。
(チヒロ……)
その輝きに魅せられて動くこともできない……。
と思っていたら、
「真木さんのお母さんですか?」
チヒロがクルリと母の方を向いて、ピョコンっと頭を下げた。
「はじめまして。僕、宮原チヒロです。真木さんの恋人です」
「え?」
目を見開いた母には構わず、チヒロは一気に言葉を発した。
「真木さんはおうちの人が大好きでおうちの人を悲しませたくないから僕のこと隠して環様と結婚するんですけどそれはとても辛そうなので僕が連れて逃げることにしました」
「え?」
久しぶりに聞いたチヒロの平坦な一気喋り。言うだけ言うとチヒロは俺の腕を掴んだ。
「真木さん、行きましょう」
「待………、チヒロ君、行くってどこに?」
「分かりません」
あっさりと言ったチヒロ。
「でも僕は真木さんと一緒にいられるならどこでもいいです」
チヒロの黒々とした瞳がまっすぐにこちらをむいている。
「あ………、そう」
そっか。そうだな……
深く深く、うなずく。
俺も君と一緒にいられるなら、どこでもいい。
俺の勇敢なグレーテル。一緒にここから逃げ出そう。本当の俺になって。そうすれば、もう、隠れる必要なんてなくなるんだ。
「チヒロ……」
ぎゅっと抱き寄せる。愛しい愛しい温もり。何があっても、絶対に離さない。
「で? だから、これはどういう状況?」
「………………あ」
先ほどとほぼ同じセリフを次兄に投げかけられるまで、俺はすっかりこの場に母がいることも忘れて、チヒロのことを抱きしめ続けていた。
***
1ヶ月後。
いつものバーでチヒロと待ち合わせをした。
チヒロが来るまでの間、いつものように、カウンター席でバーのママと話をする。
「それで、出発はいつ?」
「来月の頭には」
「そう……さみしくなるわ」
ママが残念そうに言ってくれたのに、ニッコリと微笑みかける。
「帰国した時には必ずくるよ。だから長生きして」
「なにそれ失礼!まだそんなこと言われる歳じゃないわよ!」
ぷんぷん、と言葉に出していうママ。と、そこへ、
「真木さん、ママを口説くのやめてくれる? チヒロに言い付けるよ」
ムッとしたコータに咎められた。現在、コータはママを口説いている真っ最中だそうで、「迷惑してるの」とママは言っているけれど、まんざらでも無さそうだ。
人生何が起こるか分からない。
古谷環とミツルがどうなったのかというと……………どうもなっていない、らしい。ただ、環はデートクラブの利用をやめたそうだ。
「まあ、進む道、ゆっくり見つけるわよ」
と、環は言っていたけれど、どうするつもりなのかは知らない。
父親には、俺との結婚が破談になった理由を「やっぱり何か違う気がする」と説明したそうで、「お父さんが結婚を急かせるからこんなことになった」と、父親に責任転嫁して、大喧嘩になり、今は冷戦状態、だそうだ。
「結果的に良かったわ」
環はそう言って「ありがとう」と結んだ。だからそれで良しとする。
一方、俺の方はというと、あの後、父と長兄にも店に来てもらい、チヒロを紹介した。
その結果、父は黙認、母は容認、長兄は反対、次兄は応援、となった。
「せめて子供達が大人になるまでは、隠してほしい」
そう、長兄に言われ、家族内で話し合った結果、渡米を決めた。
その後、高校時代の友人のツテで、製薬会社に就職も決まった。医師の仕事に意欲の面で精神的限界を感じていたので、ちょうど良かったのかもしれない。
「僕は真木さんと一緒にいられるならどこにでも行きます」
チヒロは、渡米の件もアッサリと了承してくれた。
チヒロ君のやりたいこともあちらで見つけられるといいね、と言うと、
「僕のやりたいことは、真木さんを癒すことです」
と、またアッサリと言った。そして、
「だから、アロマセラピーの勉強をしたいです」
と、付け足した。そういえばチヒロは「匂い」に敏感だった。以前、俺の好きなところを聞いたら「匂い」と言っていたくらいだ。
「それはいいね」
「真木さんのことたくさん癒します」
「充分、癒されてるよ?」
チュッとキスをすると、チヒロは嬉しそうな笑みを浮かべて………
「真木さん?お待たせしました」
トン、と腕に温もりを感じて振り向くと、俺の愛しいチヒロが立っていた。
「真木さん、頬が上がってました。何か嬉しいことがありましたか?」
小首をかしげたチヒロ。頬の件は、母から聞いたらしい。
「嬉しいこと、あったよ」
腰を抱いて引き寄せる。
「君に会えた」
そう。君に会えた。俺のグレーテル。本当の自分でいる勇気をくれた大切な人。
「僕も真木さんに会えて嬉しいです」
ニッコリとしたチヒロが可愛すぎて、我慢できずにこめかみにキスすると、
「イチャイチャするなら帰って!」
「イチャイチャするなら帰れ!」
ママとコータに同時に怒られた。そのシンクロ具合に笑ってしまう。
「じゃ、行こうか」
「はい」
そうして並んで歩き出す。
行き先はどこでもいい。二人で一緒にいられるのなら。
「チヒロ……大好きだよ」
そっと頬にキスをすると、チヒロは蕩けるような笑みを浮かべてくれた。
---
お読みくださりありがとうございました!
ついつい長くなってしまいました(^-^;
で。これで終わりも寂しいので、エピローグをくっつけることにします。
あと一回、お時間ありましたらお付き合いいだけると幸いです。
金曜日更新予定です。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
おかげで最終回までこぎ着けることができました。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
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