【有希視点】
2017年3月11日(土)
溝部の誕生日の前日夜。
新宿東口にあるダイニングバーに行くことになった。クチコミサイトでも評判のそのお店、なんと溝部のお母さんの妹さんのお店だそうで、
「陽太君預かるから、誕生日デートしてきなさいよ~」
と、すき焼きパーティーの後で、お母さんにニコニコで提案されたのだ。結婚の挨拶も兼ねているので、断るわけにもいかず………
「もし、変なこと言われても、気にしないでくれ……」
「?」
店に入る寸前、ぼそっと言った溝部……。溝部はここにくることに乗り気じゃないようだった。
でも、いつもよりも、髪の毛もキチッとしているし、スーツも『デート仕様』な感じで……
(こうしてると、都会で働くオシャレな男って感じなんだよなあ……)
溝部は仕事だったので駅で待ち合わせをしたのだけれども、声をかけるのを躊躇したくらい、改札口に佇んでいる溝部の姿は、いつもと雰囲気が違っていた。
そういえば、山崎君の結婚式の帰りに寄ってくれた時も少しこんな感じだった。あの時初めてプロポーズされて、手を掴まれてドキッとして……
(いや!でも、中身は溝部だからっ)
思いに引き込まれそうになったところを、速攻で自分にツッコミを入れる。しっかりしろ、私。冷静に、冷静に……
「変なことって……あ、もしかして、歴代の彼女連れてきてたりする?」
「…………まあな」
言いにくそうにうなずいた溝部。
ふーん…………
私は何番目の女なんだろう……
(……別にいいんだけど)
この歳まで独身だったんだ。いくらでも恋愛経験なんてあるだろう。
私は、といえば、人並み程度の恋愛経験の末に25歳の終わりに結婚。15年半で結婚生活に終止符を打ち、今に至る。
(もう、恋なんてしないと思ってた)
…………。
…………あれ?
(恋?)
別にしてませんけど?
うん。私は別に溝部に恋なんかしていない。現実的に必要な人だと思っているだけで、とても『恋』なんて呼べる感情は持ち合わせていない。
でも………たぶん、『恋』をされている。それは少しくすぐったくて……とても心地がいい。
***
そんなに広くない店内は、カップルと女性客で賑わっていた。落ち着いたインテリアに、窓全面の夜景。ドラマにでも出てきそうな店。
「祐、いらっしゃい」
カウンターの中の綺麗な女性に声をかけられ、軽く手を挙げた溝部は、妙にさまになっていて、こそばゆい。スタッフの女の子にも、常連客らしい声かけをしていて……。なんと言うか……大人だな、と思う。これをやられたら、若い女の子なんて簡単に「かっこいい」って思うんじゃないだろうか。そうやって女の子を引っかけてきた、という光景が目に浮かぶ……。
溝部のお母さんの妹さん……サエさんは、顔はお母さんに似ているけれど、雰囲気は真逆。溝部のお母さんが太陽ならば、サエさんは月、とでもいうのだろうか。とても落ち着いた人だ。
カウンター席に通されたので、溝部の恐れる「変なこと」を言われることも覚悟していたのに、そんなことはまったくなく、サエさんからは、にこやかに「おめでとう」と言われただけだった。
溝部は何を恐れているのだろう? という謎は残るものの、ネットで評判の牛スジの煮込みは、クチコミ通り絶品だし、ワインも美味しいし、溝部はいつもより何割か増しでいい男だし、気がついたときには、すっかりこの『デート』を楽しんでいた。
再会してから、私と溝部の会話の内容は、ほとんどが陽太のことだった。でも、今日はお互いの今までの恋愛遍歴を話したり……まるで、付き合いはじめのカップルみたいだ。
『恋人らしく過ごしていたら恋人らしくなる……』
菜美子ちゃんの言葉が頭をよぎる。
(恋人…………)
溝部を見返すと、ふっと笑われ、ドキッとする。
「酔ったのか?」
「…………」
優しい口調に、また胸が高鳴る。
(何か………おかしい)
私、おかしい。騙されてる。この店の雰囲気に。おいしいお酒に。いつもと違う溝部に。
(これじゃ、今まで溝部に釣り上げられてきた女性と同じだ)
いけない。いけない。自分を取り戻そう。こいつは溝部。こいつは溝部。こいつは溝部……。
なのに妙にかっこいい……
(溝部……)
こうやって、たくさんの女の子口説いてきたんだろうな。あの人みたいに……
冷静に見返したら、ふっと昔の記憶がよみがえってきた。私は25歳の時に、大人な雰囲気満載の元夫にあっさりと陥落した。結婚してから、あんなに女好きなことも、あんなにマザコンなことも知った。
溝部と元夫が重なって、指先が冷えてくる。
そうだ。山崎君の結婚式帰り、初めてプロポーズしてくれた溝部にも同じことを思ったんだ。今さらそのことを思い出す。
(今さらだ)
もう結婚すると決めた。仕事を続けていくためには溝部の力が必要だ。何より陽太が強く望んでいることだ。今さら後には戻れない。戻れないけど……
(………こわい)
今さら、思う。また、裏切られるんじゃないか、と。また傷つくんじゃないか……と。
(ああ……だからか)
今さら、気がつく。溝部に恋なんかしていない、と、こうまで頑なに思うのは、自己防衛本能が働いているからだ。本気で好きになって、傷つくのが怖いからだ。
「鈴木?」
「…………」
優しい瞳。溝部は元夫とは違う……違うと分かっているのに……
「どうし……」
その手がふっと、こちらに伸ばされそうになった……その時。
「祐!」
「!」
びっくりして叫びそうになってしまった。女性の鋭い声と共に、溝部がいきなり傾いだのだ。後ろから思いきりどつかれたらしい。
「痛ってえなあああっ」
いつもの溝部に戻った溝部が怒りながら振り返ったその先には、派手めな女性が立っていて……
「わ、珍しい。素に戻った」
けけけ、と笑ったその女性。紹介されなくてもすぐに分かった。溝部によく似てる。溝部のお姉さん、だ。
***
「姉ちゃん、日本にいたんだな……」
「昨日帰ってきて、そのまま会社泊まりだった」
私達より6歳年上のお姉さんは、アパレルメーカーの国際部で働いているため、海外に行くことが多いらしい。離婚してからは実家に戻っている、とは聞いていたけれど、一度も会ったことはなかった。
「お母さんから、祐がサエちゃんの店に行ったって聞いてねえ」
「母ちゃん、余計なことを……」
「はじめましてー。祐太郎の姉のマコでーす。真実の真に子供の子で真子ね。真子ちゃんって呼んでね?」
ニッコリとした真子さん。やっぱり溝部に似てる。明るくて、押しの強そうなところも。
と、そこへ、グラスを片手にサエさんもやってきた。
「あー、ようやく一段落ー。ご一緒させてー」
「げ」
溝部があからさまに顔をしかめる。いつもは人を振り回す側の人間である溝部だけれども、身内の女性陣にはとことん弱いらしい。そんな迷惑顔の溝部にも構わず、
「祐が結婚するなんてねえ……」
「ねえ」
「びっくりよねえ」
真子さんとサエさん、二人で肯きあっている。
溝部は店に入る前に『もし、変なこと言われても、気にしないでくれ』と言っていたけれど、訳知り顔のサエさんの様子からして、サエさんはやはり溝部の女性遍歴をすべて知っているようだ。
「しかも、呪いをかけた張本人となんてねえ……」
しみじみとつぶやいたサエさん。呪いってもしかして……
「何? 呪いって?」
眉を寄せた真子さんに、サエさんが手短に説明する。
高校時代、ずっと片思いをしていた女の子。でも、思いを告げることなく卒業してしまったため、その後もその女の子は心の中に居続けて……、恋人ができても、知らず知らずのうちに、その女の子と比較してしまうため、恋人と上手くいかなくなって、破局を繰り返していた。まるで呪いにかけられたように……
その女の子、とは私のことで……。前に溝部から聞いた時は信じられなかったけれど、こうして叔母さんに話しているということは、本当に本当の話なんだ……
「うわ、キモ……」
思わず、といった感じにつぶやいた真子さんの感想に、溝部が「なんでだよ!」と食いついている。
「だって、それで25年も心の奥で思い続けてたってことでしょ~? うわ、重~っこわ~っ。ごめんねー有希ちゃん、こんなストーカーな弟で。こわいねえ」
「何言ってるの。一途って言ってあげてよ」
サエさんは、少し笑って手を振ると、穏やかに言った。
「祐は本当に彼女のことが好きだったの。思いが叶って本当に嬉しい」
サエさん、ほうっと息をつくと、「それにしても」と真子さんに向き直った。
「女性の前なのに、こんなに素を出してる祐も珍しいわよね?」
「言えてる!いつもは妙にカッコつけてるのにね」
「ちょ……、余計なこと言うなよっ」
慌てた溝部に構わず、二人はうんうん肯き合っている。
「ねー?ここに来ると祐、いつもすごいカッコつけてるから」
「女の子落とそうって気満々過ぎて引くよね」
「わーわーっ、二人ともホントにやめろって」
溝部はブンブン手を振ると、おもむろに立ち上がった。
「帰る。これ以上ここにいたら何言われるか分かんねえっ」
「まあまあ」
サエさんはクスクス笑いながら、再びこちらを向き直った。
「有希さん、祐のことお願いね」
「あ……はい」
「この子、本当にあなたのこと好きだから。これから先もずっと好きだから。それだけは保証できる」
「え……」
お母さんとよく似た瞳が微笑んでいる。
「25年も想い続けてたんだもの。そんじょそこらの片想いとは年季の入り方が違うから」
「…………」
「でも、そんなあなたに、素を出せてることに、安心した」
「そうだねえ」
真子さんも、にっとして言う。
「結婚生活、上手く行きそうだね」
私はそれで失敗したからさー、と、あははと笑った真子さん。
「おめでとう」
「お幸せにね」
二人に言われ……溝部は照れたように「うるせーよ」と答えていた。
***
外に出ると、まだまだ寒い夜風に冷やっとなる。すぐそばを通りすぎたカップルが、必要以上に密着しているのも、寒さのせいにできるぐらいには寒い。
「………」
先ほどのサエさんの言葉が頭から離れない。
『この子、本当にあなたのこと好きだから。これから先もずっと好きだから』
私もそのことは知っている。その真っ直ぐの愛を知っている。
でも、私は……私は……
裏切られた過去が頭を支配する。その枷が外れたら、私もそう言えるのかもしれない。でも、踏み込めない。だったらいっそのこと、強引に……
「……え」
ふいっと手を繋がれ、ドキッとする。まるで私の心を読んだみたいな、温かい手……
「………溝部?」
「…………」
そのまま無言でツカツカと歩かれる。駅とは反対方向……
(……あ、ここって、このままいくと……)
ラブホ街だ……
「溝部……」
「…………」
強引に、と思ったのに、実際にそちらに行くとなると足が竦む。
どうしよう……
以前、溝部は『いいっていうまでは手を出さない』と約束してくれた。たぶん、強引に約束を破ることはしないだろう。でも、結婚するというのに、いつまでそんな子供じみたことを言っていていいのか……
「………有希」
「な、なに?!」
いきなり名前で呼ばれて声がヒックリ返ってしまった。たぶん私、顔、こわばってる……。
溝部はそんな私をジッと見ていたかと思うと……
「陽太迎えに行こうぜ」
すごく、すごく優しい表情で言った。
「え……」
ポカンとしてしまった私に、溝部はニッとして、
「せっかく明日誕生日なわけだしさ。オレ、陽太とも一緒に過ごしたい」
溝部………
「………いいの?」
「何が?」
聞き返され、カアッと自分が赤くなったのが分かった。
「あ……いや、その……」
「え?! お前ホテル行きたかった?!」
驚いた顔をした溝部。でもその目はからかうような光が灯っている。
「ば……ばかっ」
手を振り払って腕を叩くと、溝部はケタケタと笑って……それから、また手を繋いできた。
「無理しないでいいから」
きゅっきゅっきゅっと繋いだ手に力がこめられる。
「とりあえず今日は、こうして初デートできて、手繋げて。それで充分」
「………」
「ここまでくるのに25年かかったんだからさ。これからもゆっくりでいいんだよ」
「………」
「しかも、結婚したら一生、一緒にいられるんだもんな? まだまだ時間はたっぷりある」
「…………」
一生、一緒に……
「あ、でも……さ」
溝部はこちらを伺うようにのぞきこんでくると、
「キス……してくれたら嬉しい」
「え」
聞き返すと、溝部は慌てたように「ほらさっ」と言葉を継いだ。
「誕生日だし?」
「…………」
「ここは一つ、誕生日記念ということで」
「……何それ」
笑ってしまう。子供か。
「じゃあ……」
人通りのない路地。ふざけたように目をつむってウーッと口を突きだしている溝部の頬を囲う。
「お誕生日おめでとう」
そっと唇を重ねると………切ないほどの愛情が伝わってきた。
この愛を信じたい、と心から思う。
***
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お読みくださりありがとうございました!
か、書き終われなかった……。なんなんだ!このまったり感!!今、全部消してしまいたい衝動に思いきりかられているのですが、せっかく3時に起きて書いたのでこれで更新させていただきます……お目汚しすみません^^;
あと少し有希視点は書きたいことがあるので、明後日にあげさせていただきます。
そのあとに、溝部最終回。実は溝部最終回はほぼ書き終わってまして……そういうことしてるから今日の分が書き終わらないんじゃん……。でも我慢できなかったんだもん……。
ということで、こんなマッタリした話、読んでくださった方、本当に本当にありがとうございます!!次回どうぞよろしくお願いいたします!
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