住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

天領・・・長瀞村質地騒動顛末記より

2011年01月09日 | 日記
 磔   ― 新兵衛、喜右衛門
 獄門  ― 利左衛門、吉郎兵衛、弥次助、長五郎
 死罪  ― 与助、弥八

 時代  ― 享保7年頃(1722年)
 登場人物―
  暴れん坊将軍、勘定奉行、天領地の代官、手代
  地主、カネ貸し、名主、組頭、貧農(小作農)、他


ドキュメンタリータッチで書かれた、その顛末記は筆者が地方の新聞記者であったとは思われないほど、生き生きと江戸時代の息遣いが聞こえ、その力量には恐れ入るばかりである。
上記の名前は史実に基づいており、実名と思われます。


事の起こりは、徳川吉宗が出した質地請戻しの徳政令であった。
将軍は、幕府や武士の借金を帳消しにしたい為に、徳政などという口触りの良い借金棒引きの命令を出した。 それは、体裁を繕う為に質地請戻しを付随させ、其れを名主まで周知させ、それ以外の貧農(小作人)には、故意に知らせないために起こった事のようであった。
現代のようであるが、取りすぎた利子も返還せよとの、お達しも含まれていた。

当時(享保2~6年位)、凶作が続き2500人弱のこの村でも、45~6人の餓死者を出したほか、23軒(5人/軒・115人程度)ばかりの百姓が一家離散して行方知れずになった。 享保5年には、代官所への年貢米に困って、85人の身売りがあり、借金する百姓も後を絶たなかった。


恐らくこの本を書いた筆者が、昭和初期の凶作で起こった事実を生々しく書けば、検閲の目が通らないと考え、江戸時代に時代を重ね合わせて貧困の悲惨さを世間に知らせようと書いた気がしないでもない。 それでも、出版はためらい、お蔵入りさせたようである。


なにやら、私にとっては現代の世情を鏡に映し出したようでもある。

古今東西、アフガニスタンでも中国でもその他でも、汚職は尽きないようである。 
いつの時代でも『正義』が勝つのではなくて、勝った者が『正義』を名乗るようである。


現代でも、この問題を掘り下げておられる方が御存命のようであるが、もしこの本が事実に基づいているのなら、文頭に挙げた『8名の殉職者』の慰霊碑を現地に建て、後世の時代にも、命を賭して正義を守り抜くような人材の輩出を期待したいものである。