ご自愛ください。
今日も、隣近所のおじいちゃんが、鬼籍に加えられた。
葬儀は、葬祭会場で全てが執り行なわれた。 御自宅は、3世代同居家族でこのような方法は、家で普段の生活をする『おばあちゃん』にとっても、負担の少ない方法と言うことが出来るのだろう。
葬祭事業と介護関係の仕事が成長産業と言われている現在、反対側に位置する物作りの中小企業は、もはや『ダメ』なのか?
製造業の頭上に、『日はまた上る』ことは無いのか、問題点へのアプローチが未熟な私には、日本の製造業(農業も含め)の明日の姿が全く見えません。
しかしながら現実的に考えた場合、誰かが何かを作らないで、みんながサービス3次産業で働くことは出来ないわけで、誰かが物作りをしなければ、歴史を前へ進めることが出来ないのも明らかである。
現実問題として地域を見渡せば、わが世の春を謳歌していると表面的に見えるのは、葬祭事業と、大手家電量販店が支店を、これでもかこれでもかと増やしていることだけであろう。 あるいは、介護施設も・・・ 。
アメリカの家電量販店No.2 が倒産したのは、一昨年の年末であったのだろうか。
日本の量販店も、支店開設が止まったら同じ状況が現れないとも限らない。
アメリカの倒産した家電店の評判は、以下の通りのように酷いものであったので当然といえば当然、日本ではここまで酷い量販店は今のところまだ無い。
《 まず、店に入ると、やたら店員が多い。接客に忙しければ良いのですが、何もすることがなく、プラプラして、他の店員と談笑していました。かと思えば、他に暇な人間がたくさんいると言うのに、レジが1つしか開かず、買い物客の長蛇の列。
何か質問しても、品物もどこにあるかわからず、店内を右往左往。挙句の果てには、「オンラインで手に入るから」・・・ ? 》
それにしても、葬祭会場と同じような過剰出店状態は、素人目にも明らかなので、いずれ淘汰されることになるのだろう。 それまでは、恐竜の同士討ちを見ているしかない。 ゴキブリは、チマチマと恐竜の『ウンコ』でも舐めて暮らすしか手は無いのである。 環境の激変に付いて行かれず、滅びるのは分かっているが、それが何時か予想が付かない。 まるで、アメリカの国が滅びるのを予想できないように・・・・ 。
今日、近所のおじいちゃんの葬儀を手伝ってきた。
毎回、『手伝い人』の役割で落ち着きどころが無いのが、帳場である。
最早、若い人で筆字を書ける(上手く)人は居ないのである。
私も、キーボードは打つが筆を持つと指先が震えてしまう性質で、とても他人に読ませられるような文字は書けない。
当地は、田舎なので単純に『帳場』でパソコンが使用されないのかもしれないが、
御香典帳には、御芳名、御住所、金額と記載項目が有る。
近辺の葬祭場では何処も『筆ペン』で、御年配の方々が記載しておられるようである。
金銭のトータルも、親戚も、他所の方々もパソコンに入力すれば一目瞭然、そして、アイウエオ順に並び替えることも、検索も自由自在で良い事だらけのような気がするが、近所では何処でもそれは採用されていない。
騒がずとも、そのうちなるだろうと思うが、期待値だけ高まるだけで、一向にその気配が無い。
ソフトメーカー、「筆ペン不要の安いソフトを、売り込んでくれーぃ」
3世帯同居家族の、おじいちゃんが亡くなった訳だが、お孫さんが「じいちゃんに負けない、人になります」 と遺影の前で誓った姿に、多世代同居家族の良さを実感させられたのは、私だけではないはずである。
人の『生き死に』を、生活の中で感じ、悲しみと喜びを家族と何回か共有することで『やさしさ』が生まれ、その感動は、言葉では説明しがたいその人の血となり肉となるものと信じたい。
― 合掌 ―
今日も、隣近所のおじいちゃんが、鬼籍に加えられた。
葬儀は、葬祭会場で全てが執り行なわれた。 御自宅は、3世代同居家族でこのような方法は、家で普段の生活をする『おばあちゃん』にとっても、負担の少ない方法と言うことが出来るのだろう。
葬祭事業と介護関係の仕事が成長産業と言われている現在、反対側に位置する物作りの中小企業は、もはや『ダメ』なのか?
製造業の頭上に、『日はまた上る』ことは無いのか、問題点へのアプローチが未熟な私には、日本の製造業(農業も含め)の明日の姿が全く見えません。
しかしながら現実的に考えた場合、誰かが何かを作らないで、みんながサービス3次産業で働くことは出来ないわけで、誰かが物作りをしなければ、歴史を前へ進めることが出来ないのも明らかである。
現実問題として地域を見渡せば、わが世の春を謳歌していると表面的に見えるのは、葬祭事業と、大手家電量販店が支店を、これでもかこれでもかと増やしていることだけであろう。 あるいは、介護施設も・・・ 。
アメリカの家電量販店No.2 が倒産したのは、一昨年の年末であったのだろうか。
日本の量販店も、支店開設が止まったら同じ状況が現れないとも限らない。
アメリカの倒産した家電店の評判は、以下の通りのように酷いものであったので当然といえば当然、日本ではここまで酷い量販店は今のところまだ無い。
《 まず、店に入ると、やたら店員が多い。接客に忙しければ良いのですが、何もすることがなく、プラプラして、他の店員と談笑していました。かと思えば、他に暇な人間がたくさんいると言うのに、レジが1つしか開かず、買い物客の長蛇の列。
何か質問しても、品物もどこにあるかわからず、店内を右往左往。挙句の果てには、「オンラインで手に入るから」・・・ ? 》
それにしても、葬祭会場と同じような過剰出店状態は、素人目にも明らかなので、いずれ淘汰されることになるのだろう。 それまでは、恐竜の同士討ちを見ているしかない。 ゴキブリは、チマチマと恐竜の『ウンコ』でも舐めて暮らすしか手は無いのである。 環境の激変に付いて行かれず、滅びるのは分かっているが、それが何時か予想が付かない。 まるで、アメリカの国が滅びるのを予想できないように・・・・ 。
今日、近所のおじいちゃんの葬儀を手伝ってきた。
毎回、『手伝い人』の役割で落ち着きどころが無いのが、帳場である。
最早、若い人で筆字を書ける(上手く)人は居ないのである。
私も、キーボードは打つが筆を持つと指先が震えてしまう性質で、とても他人に読ませられるような文字は書けない。
当地は、田舎なので単純に『帳場』でパソコンが使用されないのかもしれないが、
御香典帳には、御芳名、御住所、金額と記載項目が有る。
近辺の葬祭場では何処も『筆ペン』で、御年配の方々が記載しておられるようである。
金銭のトータルも、親戚も、他所の方々もパソコンに入力すれば一目瞭然、そして、アイウエオ順に並び替えることも、検索も自由自在で良い事だらけのような気がするが、近所では何処でもそれは採用されていない。
騒がずとも、そのうちなるだろうと思うが、期待値だけ高まるだけで、一向にその気配が無い。
ソフトメーカー、「筆ペン不要の安いソフトを、売り込んでくれーぃ」
3世帯同居家族の、おじいちゃんが亡くなった訳だが、お孫さんが「じいちゃんに負けない、人になります」 と遺影の前で誓った姿に、多世代同居家族の良さを実感させられたのは、私だけではないはずである。
人の『生き死に』を、生活の中で感じ、悲しみと喜びを家族と何回か共有することで『やさしさ』が生まれ、その感動は、言葉では説明しがたいその人の血となり肉となるものと信じたい。
― 合掌 ―