*** 以下全文引用 下記ブログより ***
http://ameblo.jp/aratakyo/
昨夜の報道ステーションでは、キャスターとコメンテーターとの間で奇妙な会話が交わされていた。
古舘伊知郎氏 「どうでしょうかね、一色さん」
一色清氏 「ネットでは小沢さんは人気がありますからそちらを選んだんでしょうね」
小沢氏はニコ生の番組で、こう語っていた。
「意見も反論も言える仕組みなので、多くの人に分かってもらえると思って出演要請を快く引き受けた」
ノーカット、編集なしで、たっぷりしゃべらせてくれるネット番組に、小沢氏は信頼を置いているのであろう。
それを、「ネットで人気がありますから」と、メディアの特性への言及抜きにコメントせざるをえないのは、テレビに出演させてもらっている一色氏としても苦しいところだ。
大テレビ局の報道番組では近ごろますます、政治家がまとまった意見を披瀝する機会が減っている。
過剰な編集と脚色、いたずらに自分の意見を主張する大物キャスター、司会者と、そのお気に入りコメンテーター。 ごった煮の映像とコメントのなかで、いきおい、小泉親子のような「ワンフレーズ」ばかりが視聴者の記憶に残り、ポピュリズムといわれる政治と言論の衰退現象が蔓延する。
しかし、視聴者の感情に訴えるテレビ報道番組の手法が、ネット人口の増加とともに、いずれ行き詰ることは、昨日の等身大の小沢ネットインタビューと、報道ステーションの内容を引き比べ、その甚だしいイメージの乖離を見れば、容易に想像できるだろう。
わざわざ、カメラに追われるように仏頂面で国会内を早足で歩く小沢氏の映像を流したあとで、ニコ生での発言の一部、すなわち国会招致に応じないという場面だけを切り取って、「国会の決定に従う」という約束と違うではないかという話にもっていく。
そして、古舘氏と一色氏が、「国会での説明は必要だ」とうなずきあい、国会の審議を前に進めるために小沢氏に自覚を持ってほしいという趣旨のことさえ言う。
補正予算の審議と小沢氏の国会招致は別の問題であることくらい誰にでも分かる。 党利党略の駆けひきで国会招致が持ち出されていることも多くの国民が知っている。
それでも、マスメディアでは「元秘書ら3人が起訴された小沢氏の政治的・道義的責任は重大で、議員辞職にも値する」(産経新聞社説)という言説がまかり通っている。
― このような報道の姿勢にも、説明責任を求めたい。―
元秘書ら三人が、東京地検特捜部の強引な捜査により、ささいな政治資金収支報告書の記載の仕方をめぐってほとんど無理やり、逮捕、起訴されたことは、ことの経緯をしっかりたどっているジャーナリストなら当然、承知しているはずだ。
特捜が“本丸”として狙ったゼネコンからの裏献金は、どこからつついても、何の証拠も出ず、空振りに終わっている。
政治資金収支報告書の記載ルールは、きわめて曖昧である。 おそらく検察がその気になれば『どんな政治家』 の報告書からも疑問点を見つけ出すことができるだろう。
そうしたものを別件逮捕の口実に使って三人を逮捕し、恣意的に供述を引き出して小沢という大物を釣り上げようと企図したのが検察の内実である。
政界の最高実力者への乾坤一擲の大勝負に出ながら、やむなく検察が小沢氏を不起訴とした厳然たる事実。 それは、とりもなおさず、捜査の見当違いを『検察自身』 が認めたことにほかならない。
同時にそれは、小沢氏にからむ「政治とカネ」の物語が、メディアがつくりあげた虚構に過ぎないという証明でもあった。
マスコミ各社は、あたかも小沢氏がゼネコンの談合に「天の声」を出し、裏献金をもらっていたかのごとく騒ぎ立てた。 ところがいまや、「天の声」という言葉はすっかり鳴りを潜めている。 裁判所が西松建設事件における大久保元秘書の公判で「天の声」を否定したからである。
「天の声」も、「裏献金」もなく、残ったのは「表の金」の動きをどのように収支報告書へ記載すべきかという問題だけとなった。
マスメディアは、裏献金を検察が立証できないことがわかると、追及の矛先を「虚偽記載」に変えたが、これも根拠がきわめて薄弱だ。
そこで自己を正当化するためにこんどは、「元秘書三人の逮捕」という外形的事実によって、「政治的・道義的責任は重大」とこじつけ、検察審査会が強制起訴の決定をしたことをこれ幸いに、小沢氏をお白洲に引っ張り出そうと躍起になっている。
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*** 以上引用 終 ***
『 なぜか ? 』そこを考えると、急に眠気に襲われる・・・・ 。