住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

ー 年頭所感 -

2011年01月04日 | 日記
 名古屋市の河村たかし市長の年頭所感。 大手新聞では、毎日の愛知県版だけでその概要を読むことが出来た。 夕方には、削除されていた。 毎日と公明党機関紙の関係でそうなったのか、あるいは既得権益者層の差し金でそうなったのか、選挙に絡んだものなのか遠くに住む者には、察する事が出来ない。 しかし、ネットでは他でも読む事が出来るようである・・ 例えば diamond.jp 。


 いろいろと考える事が有って、ボランティアで開かれている議会を、検索してみた。  何万も何十万もヒットするのだが、どうしても前の方だけで引用せざるを得ない。 私に与えられている、ろうそくの命の炎はそんなに長くはないような気もするし、あるいは面倒くさいと言うホンネも有るし・・・ 。

2004年ドイツ・ニーダーザクセン州視察という下記URLによる引用を載せたい。
  http://www.azm.janis.or.jp/~vinsan/sanae/sanae0406-d8.html
 
     *** 以下引用 ***
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 ニーダーザクセン州議会を視察した。
 ニーダーザクセン州は、ドイツ16州の一つ、1946年につくられた新しい州。800万人が住む。
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州議会は本来の定員は155人だが、昨年の選挙で183人になり減らす話し合いがされている。議会は月1回、2~3日開かれ、選挙は4、5年に1度。
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議員になる人が、以前は労働者が多かったが今はインテリ、公務員や弁護士や教員からが多い。企業で働く人は、そちらの方が収入が多いので、議員にはならない。先生は休職して議員になれる。州議員は仕事として政治家をやっており、給料は5000~6000ユーロ(約70~84万円)/月。   
 市町村は、議員はボランティア。
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(質問)州の財政状況は?
(エド)180~190億ユーロ(約2兆5000億~2兆7000億円)の収入。これは税金だけ。国からは来ない。支出は200億ユーロ(2兆8000億円)で、赤字、すでに400億ユーロ(5兆6000億円)の借金がある。州の公務員が多く(20万人)人件費が多い。
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    ***  以上引用  終  ***


 ここで思い出されるのが、福島県矢祭町の町議会議員の日当制報酬である。 現在でも行なわれているのか、マスコミでは取り上げる事は殆ど無くなったので、実情を知るには検索をかけてみる必要が有るが、今日は少し前の2008年当時の、実情を上げてみたい。

  *** 以下引用  下記URLより ***
  http://www.financial-j.net/blog/2008/01/000450.html

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 ところが、昨年の12月29日の日経新聞によると福島県の矢祭町議会で次のような条例が28日に可決された。(新聞記事より) 
 
 町議会(定数10)が、議員報酬を現行の月額制から、議会への出席ごとに実費支給する「日当制」に変更する。
全国町村議会議長会などによると、議員報酬の日当制は全国初の試み。

 導入後、同町議会の人件費は現在の約4分の1に減り、余剰分を少子化対策や子育て支援に充てる。人口6800人の小さな町の試みは全国に広がるだろうか。
 
 
 同町議会は28日、日当制関連の条例案を賛成多数で可決した。平成20年3月31日以降、月額20万8000円の議員報酬を廃止し、議会に1回出席するごとに3万円を実費支給する。

3万円の積算根拠は、「課長職の平均日給4万4772円(期末手当などを含む)の7割」。 毎日8時間勤務の職員に比べ、議員は臨時出勤で1回の勤務時間も短いため7割とした。

 本会議や委員会、全員協議会など議会への出席と、成人式や消防団の出初め式など「町の公式行事」への参加も“出勤”扱いとする。
年間の出勤は計30日、報酬は年90万円の見込みで、全国の地方議会で最低額となる。

日当制導入と並行して議員への期末手当も廃止し、人件費は現行の年間約3400万円から900万円に減るという。 
 
矢祭町は、国主導で平成の大合併が進められた中で「合併しない宣言」で話題を呼んだ自治体である。 
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  ***  以下引用  終   ***


 そして、かろうじて全国紙であるMainiti.jp で、《仕事始め:去る人 決意新たにする人 東海の各自治体》という表題で、下記のように”サラッ”と、取り上げられていた。
  
NHKの《政治とカネ》の非難する内容の根拠が薄いイメージ作りの為の取り上げ方とは、対応が大きく違っているように感じられる。 
『NHK』はどうして、そこまで民主党のイメージを悪く国民に植えつける必要が有るのか?
 民主党には『NHK』は、民営化するのが妥当ではないかという意見が有り、それが噴出するのを怖がっている訳でもないだろうが・・ 。  もちろん、そうなればNHKの現在の『高給』は、もちろん補償されない訳ではある。

  ***  以下引用 Mainiti.Jp 1/4 付より ***
  http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110104k0000e040062000c.html

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◇名古屋市長
 名古屋市の河村たかし市長は幹部職員約200人に「市民にとって自慢になる街づくりのため、歴史的使命に向かって一緒にやっていこう」と呼びかけた。
河村市長は21日に辞職して出直し市長選に臨むことを「市民税10%減税が議会に否決された。

漫然と職にとどまるのではなく市民の賛同が得られるか問うため苦渋の決断だった」と説明し、市長不在の間の市政運営に支障が出ないよう指示。 「国政が混迷を極め、閉塞(へいそく)感が漂っているが、名古屋だけは夢を描きたい」と述べた。【高橋恵子】

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  ***  以上引用  終  ***


 今のデフレ社会、問題の根源は何処にあるのか、一人ひとり考えるのはやぶさかではないが、既に、それは多くの善良な市民達により指摘されている。

NHKを始とする大手マスコミが、その事を覆い隠そうと様々な二次的な問題を提示し、無視し続けているので、国民の目は幻惑されているが、ナニが問題でどうすればよいかと云うことは、すでに明らかになっている。

国民が選挙で選ぶ議員達は、国民の意識を超えることは有り得ず、改革に対する意識も国民がどの程度強い気持ちを持つのかに懸かってくる。


 このブログで少しでも、より良き未来、世界中でストレス無く、騙しあい、殺しあうことが無くなるような方向に、手助けできれば本望である。

 話は飛ぶが、北と南の半島代表の年頭所感は笑ってはいけないのだろうが、まるで発情期の『オスネコ』の、テリトリー争いのイガミ合いみたいだが戦えば一瞬にして勝負がつくのだろう。

日本も、戦いは有るものと心得て、それなりの準備を国民に指示するべきなのだろうが、『違和 菅政権』にはそこまで読めないらしい。 国民は其れ相応に準備をすべきなのだろう。 

 
 皮膚が、あるいは細胞が、脳の命令より早く対応する、『条件反射』という行為を国民一人ひとり忘れるべきではない。 日本国家の頭は、帽子を被る為だけで、なんら手足が壊死を起こしても、対応は後手後手で、それは何時になるのか全然、先の見通しは立たない。

今の政権が、続けば『手足の壊死』だけでは済むはずも無く、致命的になり兼ねない。
中国、ロシア、韓国、と日本の国情に付け込み、日本の国は『内と外』から崩壊の兆し
が垣間見える。 細胞一つ一つが自立しても生きていくような、独立自尊の気概が待たれる。

 


新年の軽い疑問

2011年01月03日 | 日記

 例年、元日の新聞には何かと希望が溢れた記事とか、新技術に関する事が載ることが有るので、好きであった。  それで、大手の新聞とその土地の新聞は大体目を通すのだが、今までは新聞の単価で気を留められたことは無かった。

なぜかと言えば、必用なものはいくら高くても必要、不必要なものはいくら安くても不必要と言う見地から、要るものは要るというのが私の姿勢であったからである。

ネット上で、おおよそのことは眺めているのでSankei.紙 は買わなかったが、そのほかの5紙は購入した。
正月前の、薄っぺらい新聞も精魂込めて元日の内容を充実させる為と、割りきって今までは不平を言ったことはなかった。
コンビニの店長とおぼしき人が、新聞の一部一部の値段を声を上げて、私に分かるようにレジを打ってくれた。 その為判った事だが山形での地方紙は、元日にこれ幸いと高値で、販売しているようであった。


月ぎめで購入している人達のことは、どうなっているのか知らないが、それは、店売り一部200円であった。
全国紙の読売と毎日は一部130円、朝日は150円、日経は一部160円だったと思う。 並べて読む人はそう沢山居ないのかもしれないが、そうやって比べるといかにも内容の割には地方紙が高いような気がする。

べつに、正月だから訃報欄が2倍あるわけではない。 恐らく、地方紙しか見ない人は、その新聞社に飼い慣らされ、ものの考え方とか『何故?』と云う疑問を持たないように、なってしまってきているのだろう。


最近の若い人は、携帯電話あるいはモバイル型PCによって情報を得ている人が、増えているようでそう心配したものでもないのかもしれない。
しかし、若い人たちの地方に残っている、世の流れに疑問を持つ年代の15~30歳までの人口の少なさは、地方の行く末を暗示するようで暗澹とした気にさせられる。
そうした中で跋扈する、世襲政治家。 まさか、地方のマスコミと結託している訳でもなかろう。

このままでは、革新的な若い人の意見は益々蔑ろにされ、既得権益とは言わないまでも、古い考え方がそのまま地方にこびり付いてしまう。

いったい、世襲政治家は北朝鮮の『金様一家』に賛意を示している人はいるのだろうか。  いかに、声高に北の政治体制を非難しようとも、自分たちの行いが『金様一家』の行いと重なっているということを自覚したことは無いのだろうか?

日本を立ち直らせる第一歩は世襲政治家を無くすことと云うことを判っているのだろうか。
政治家の俸給を今の半分、その他の特権も半分とすれば、金に目が眩んだ世襲議員は自然と淘汰されるのかもしれない。 あるいは、それでも職業政治家が無くならないのであれば、彼らには特別に『ハンデ』をつける必要がある。
世襲政治家が、優秀か、アホかなどの判定はその後ですることである。


正月早々、余り景気の良い話はどの新聞にも書いてないようだったが、一人『日立』の一面広告だけが、日本経済の断末魔の最後のうめき声のように、夢のある未来を示唆していた。
日立にしても、大企業病(世襲弊害)で並み居る優秀な頭脳を使いきれて居ないのではないか・・・ 。

 


家族って、・・・  愛 ?

2011年01月02日 | 日記
 それは、彼が小学5年生くらいの時だっただろうか。
松飾も取れた後の、棟梁を頭にした協力会(職人の結束の為)の新年会の時であった。


 其れまでは、子供が2歳で難病を患ったことも有り、子供が小さいからと夜間の宴席は長い間遠慮させてもらってきていた。 
子供もそろそろ大きくなったからと、自分の判断で行なった再参加の第一回目の宴席であった。 

「今年も仕事が沢山有るから、無理しても協力して繰れ」という云わばグループ内の棟梁の、お願いを兼ねた決起集会である。
天童のある有名ホテルで、仲間は殆ど一泊の宴会であった。 私の事は当然、皆了解事項であったので、午後8:30分頃帰る予定で、子供には「午後9時には帰ってくるよ!」と言い残して参加していた。

 私には当時、母が居たが先に逝った父の後を追って、痴呆が始まり寝たきりの状態であった。 私の心労が重なった様子を見たある市会議員の進めで、母を施設に預けていて、自宅には子供と二人だけで暮していた。 それから、母は亡くなったが、当然今も自宅には子供と二人暮らしではある・・。

 宴もたけなわの最中で、元来、酒の雰囲気の好きな私に抜け出す事は至難のことではあったが、どうやらこうやら、9時前にはホテルを出ることができた。
自宅に着いたときには、9時半を少し過ぎていた。 玄関と茶の間は、出かけた時のままこうこうと灯かりがついていた。 そして、茶の間の真ん中に敷いた掛け布団の真ん中には、膝まづいて涙で顔をぐしゃぐしゃにして子供が泣いて待っていた。


心が張り裂けそうであった。
だが子供は、私よりもっと心が張り裂けそうで有ったのだろう。
言葉は、何もかける事ができなかった。 ただ、申し訳ない申し訳ないの思いだけであった。
二人は、ただ布団の上で涙が止まらなかった。

今でも、年端の行かない子供が何も言わずに泣いているのに出くわしたりすると、涙が止まらなくなるのは其のせいである。


その子も、今年誕生日が来れば、二十歳になる。
難病特定疾患の研究事業とされた、治療費の免除も二十歳までで、その後は自費となる。
今では、夜間の酒の席でも「12時まで帰ってくればいいよ、余り飲みすぎるな ナ!」といってくれる所まで、成長した。
20歳以降の、月々10万を超える治療費はどうにかなるだろうとは思うが、ならない時は子供共々「死ぬしかないなー」と常々覚悟は決めさせている。


明日の事を、もっと希望を持って語りたいのはやまやまであるが、現実は思うに任せない。





家族の崩壊

2011年01月02日 | 日記

 今更言うまでの事象でなく、それはコイヅミ政策(新自由主義に引導)が実行され始めた、21世紀初頭から、国内で目を引くようになった。

 今年も年明けから、肉親を殺める事件が相次いで報じられている。

何故? 社会を構成する基本単位である『家族』が成り立たなければ、国家などと言う言葉は、空念仏でしかない。 それでも、仙石氏の言うように『法に則って』事を運べば、世界平和が実現するとでも言うのか・・・ 。
昨年は、不在老人、あるいは戸籍だけ同居の御高齢の方が表出して、世間を賑わした。


儒教の真髄である『礼』を、字義から入ればそれは旧字体に拠れば、『神』が『豊』すなわち『禮』と書いた。
『新自由主義』を、転換させる思想的なヒントが、東洋思想に隠されているのではないかついつい思ってしまうが、あながち的外れでもないような気がする。 
だが儒教を生んだ本家『中国』でさえ今や、『礼儀』をわきまえて居る人は殆ど居ない。 中国では、時代の節目節目で『焚書』と云うことが、全国的に行われるので、一部の学者以外には『儒教』と云う言葉自体どこかへ消失してしまった。 『礼』の言葉を生み出した国さえ、この有様では、やはり『中庸』と云うところに落ち着くのだろうか。


 産経ドットコムに、小中生所在不明326人、記事に寄れば調査方法が杜撰で、増える可能性もあるとしてあった。  背筋に、薄ら寒いものを感じるには私だけでしょうか。
  *** 以下引用 Sankei.jp.msn.com 1/1付より ***

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 住民票がありながら1年以上所在不明な小中学生が全国で326人(小学生238人、中学生88人)に上ることが、文部科学省の学校基本調査(昨年5月1日現在)で分かった。 さらに、産経新聞の調べで各教育委員会のずさんな調査の実態が判明。  

 実際にはこれ以上の児童生徒が所在不明とみられ、憲法で保障されている教育を受ける権利がないがしろにされている可能性がある。

 日本国籍を持ち、住民登録されている児童生徒については、各市区町村の教委が学齢簿を作る。 所在確認できず1年経過した児童生徒は学齢簿から抹消し、別の「簿冊(ぼさつ)」を作成。 
教委は毎年5月1日の学校基本調査で、簿冊記載の児童生徒の累計を「1年以上居所不明数」として文科省に報告することになっている。
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  *** 以上引用  終 ***