ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

原人デビュー。

2016-04-19 17:31:04 | Weblog
僕は今、畑の隅に廃材を並べた急造ベンチの上に寝転んでいる。なかなかの天気である。

こんな風に書くと、いつものようにノホホンと暮らしているのだなぁ、と思うと想う。

そう、僕は寝転んでいる。
なぜ寝転んでいるのかが問題だ。
実のところ、動けないのである。
動けないから、寝転んでいるのである。
人生には、こんなこともあるのである。

お久しぶりです。元気ですか?

僕は今、と書き始めたのが1時間半前のこと。
久しぶりに面白珍事件が起きたので筆を執ったということなのだが、冗談ではなく、リアルに動けなく、このままだと、動けないまま空の下で夜を明かすことになりそうで、そもそも夜を明かしたところで動けないものが動けるようになるとも思えず、救急車を呼ぶ気はこれっぽっちもないのだけれど、呼ぶにしても、この畑の場所を説明することは不可能だと思え、呼んだとしたら、なんだか末代までの笑い者になりそうなので、とりあえず、1ミリずつ足を動かし、腰を押さえ、1ミリずつ足を動かし、腰を押さえ・・・。

そうそう、どうしたのかって話ね。

先日、久しぶりに親戚の叔父さんと会った。その時叔父さんが言った。
「採れたての枝豆は美味しいんだよな。おれは採れたての枝豆の旨さを知っているから、採れたての枝豆以外は食べないんだ。今度採れたての枝豆を食わせてくれ」

確かに、採れたての枝豆は美味しい。美味しいというよりも、知っている枝豆の味とは違う。つまり、叔父さんの言うことは正しい。美味しいとか美味しくないという話ではなく、味が違うのだ。
僕は、去年、それを知った。採れたての枝豆を茹でて食べてそれを知った。
叔父さんは小さい頃に採れたての枝豆を食べたらしい。つまり、小さい頃に知ってしまった味のおかげで、それからずっと枝豆を食べられずにいる。

余談だが、枝豆は収穫してから二時間で味が変わってしまうということだよ。

叔父さんに枝豆を食べさせるために、僕は枝豆の種を蒔いていた。

畝の横にしゃがんで、土に穴を開けて、枝豆をヒョイと入れて、土をパッパっとかけて、手のひらでぎゅっと押さえて。

ちょっと立った。

「あれ?立てない」

なんでだろう。立てない。

やばい、立てない。

あっ、歩けない。

あっ、腰が伸びない。

あっ、おれ!アウストラロピテクスみたいになってるよ!

つづく。