めぐちゃんが送ってくれた、柳月の「三方六」を齧りながら書いている。
柳月の三方六と言えば。
十勝の柳月の直売所で、けんちゃんとめぐちゃんへのお土産で「三方六の切れ端」という貴重な品を買い、札幌へ向かう途中で休憩しながら三方六の切れ端をパクパク食べ、「これ、すげー美味しい!」とかつぶやき、そんでもって、札幌のけんちゃんとめぐちゃんの家へ着いて、「はい、これお土産!あっ、ちょっと食べちゃったけどね」と言いながら渡すという、前代未聞の「食べかけお土産事件」が、懐かしい。
今思い出しても、クスッと笑ってしまう。やるなぁ、おれ。
畑で腰を痛めたのが火曜日の午後。
とにかく家へ帰らねば、と悶絶しながら帰宅をし、ベッドに転がる。
元来腰痛持ちである。自力で起き上がれなくなるなんてことが、年に一回はある。
だがしかし、今回の痛み方は尋常ではない。未体験ゾーンに突入した感がある。
それでも、「なんとかせねば」という思いがある。今まで、ずっと、そうしてきたじゃないか。というやつである。なんとか、自力で治すのである。
なぜ畑から必死で帰還したかというと、自宅で自力で治すため、なのである。
我が家には、クッション型のマッサージ機がある。腰痛持ち必携の優れものである。比較的安価である。
福島のレコーディング遠征の時などには、いつも持っていく。
大きなリュックを背負って、クッション型マッサージ機を小脇に抱えて、旅館にチェックインするのである。旅館の女将に、「それはマッサージ機ですか?」なんて聞かれたりするのである。
ベッドに転んだ僕は、そのマッサージ機を腰の下に入れる。いや、入れようとする、入れようとするのだが、入れたいのだが、これが難しい。痛すぎて腰が持ち上げられない。
「無理かもしれない」
「これ、無理かもしれない」
クッション型のマッサージ機は、僕の唯一の切り札なのである。
これで、痛む腰をほぐしてあげれば、腰痛なんて治ってしまうと、疑わない僕なのである。
しかし、そのマッサージ機が腰に差し込めない。
「なんとかせねば」
目には目を、歯には歯を、痛みには痛みを。ハンムラビ法典である。痛みを乗り越えねば痛みを治せぬのならば、痛むまでである。痛めばいいのである。その向こう側に、希望がある。強烈な決意なのである。
30分ほどかけて、決死の思いでクッション型のマッサージ機を腰の下に差し込んだ。
もうその時点で、相当な痛みを乗り越えている僕なのである。
でも、大丈夫。
もう、大丈夫。
あとは、希望しかない。
スイッチオンしたら、治る。
へへへ。
おれ、すごい。
そんでもって、いざ、スイッチオン!
モミ玉がグイングインと動くのである。動くモミ玉に押されて、腰がグイングインと動くのである。
「ぎゃーーーー!ぐぇーーーー!うぎゃーーーー!」
気絶するかと思ったのである。
いや、あまりの痛さにショック死するかと思ったのである。
考えてみると、「そりゃあそうなのである」。
考えてみると、そんなの無理に決まってる。
ははは。バカだね。おれ。
腰を痛めたのが火曜日の午後。
それからずーっと、神様に祈りながら、ベッドの上に転がっている僕なのである。
ははは。うける。
しかし、三方六と珈琲・・・合うなぁ。
そろそろ、治りそうです。はい。
はい、希望的観測です。