十七曲目。第3部の三曲目。「風姿花伝」(sing from trash box jam, Lion's Portrait5に収録)。
この前のこの前の日曜日、尾瀬に行ってきた。弟夫婦が尾瀬に行くというので便乗した。
10年くらい前に尾瀬に行った。途中で足が腫れて痛くなってほぼほぼ歩けなくなった。歩けなくなったが、歩かないわけにはいかないので、なんとか頑張って歩いて帰って来た。
尾瀬のトラウマである。
ちょうど10年前に「チキチキ・ペキンダックちゃん待ってろよレース」と題して、昭和くんを供に連れて大宮〜横浜間60キロ徒歩旅行にチャレンジした。
第一回目の冬、20キロほど歩いた練馬高野台あたりで、足の裏がパンパンに腫れてしまい、無念の途中棄権ということになってしまった。
その年の秋、「チキチキ鬼退治(シーズンセカンド)、ペキンダックちゃんを封鎖せよツアー2007秋」と題して、昭和くんを供に連れて、練馬高野台〜横浜の徒歩旅行にチャレンジした。
25キロほど歩いたあたり、横浜市都筑区の区役所あたりで、左足が痛くなって一歩も歩けなくなってしまった。
仕方がないので、そこからバスに乗って、昭和くんの肩を借りながら歩いて、中華街でペキンダックを食べた。
徒歩のトラウマである。
必ず足が痛くなる。坂本龍馬にはなれない、僕は。なのである。
尾瀬。25キロ歩いた。足は痛くならなかった。替わりに腰が痛くなりはしたのだけれど。
僕は歩けない人だと思っていたのだけれど・・・時は経った。
もしかしたら、坂本龍馬になれるのかもしれない、僕は。
風姿花伝。
数日前、目が覚めてアイフォーンの画面を見ると、小林麻央ちゃんが死んでしまったという旨のニュースが表示されていた。
なぜだかわからないのだけれど、涙がポロリとこぼれて、涙をポロリと流したまま、もう一度寝た。
ソクラテスはこう言った。
「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」
きっと、死は誰にでも訪れるものだし、きっと、死は禍ではない。
でも、なんでだろう。
大切な人が死んでしまうと悲しいのはなんでだろう。
きっとそれは、「もう逢えないから」なんだろうな。
ただ、それだけのことなんだろうな。
ただそれだけのことが、すごく悲しいなんて、不思議だなって、すごく想う。
二年前に、昭和くんは逝ってしまった。昭和くんにはもう逢えない。
僕がどこへ歩いて出かけようが、昭和くんはお供について来てはくれない。
「風姿花伝」を作り終えた時に、昭和くんが逝ってしまった事を知った。
自然と、風姿花伝が昭和くんへのレクイエムとなった。
昭和くんが生きていたとして・・・
僕がこう言う。
「センセイ、暇? 高知まで歩いて行こうと思うんだけど一緒に行く?」
昭和くんはなんて答えたかなぁ?
この二年間、何度も何度も、そんなことを考えたりしてる。
「風姿花伝」
声をからして呼んだ名前は 遠く遠く離れた君の
歩く道を照らすための 優しい灯りになりますように
空をゆくのは大きな雲と 薄紅の花の色
波打ち際をかすめるように 時の流れを確かめるように
色鮮やかに季節移ろい 胸に秘めたままの花を
寂しい色が儚く揺れて 胸を焦がすのでしょう
声も聞けないまま 何も言えないまま
少しまどろむように 無我夢の中のように
秘すれば花は 永遠に花で・・・
時の隙間を愛しむように 歩き疲れて僕らは眠った
声をからして呼んだ名前は 遠く遠く離れた君へ
今浮かぶのは千年先の終わらない夢の道
この手を振れないまま 何も持たないまま
風にまどろむように 夢花の海のように
秘すれば花は 永遠に花で・・・
花の運命を空に問いかけ 無言の空を少し睨んだ
花の名前は君が名付けた 誰にも知られないように
そっと・・・
声も聞けないまま 何も言えないまま
少しまどろむように 無我夢の中のように
声も出せないまま 唄も歌えないまま
涙一粒だけ 君に届くように
秘すれば花は 永遠に花で・・・
この前のこの前の日曜日、尾瀬に行ってきた。弟夫婦が尾瀬に行くというので便乗した。
10年くらい前に尾瀬に行った。途中で足が腫れて痛くなってほぼほぼ歩けなくなった。歩けなくなったが、歩かないわけにはいかないので、なんとか頑張って歩いて帰って来た。
尾瀬のトラウマである。
ちょうど10年前に「チキチキ・ペキンダックちゃん待ってろよレース」と題して、昭和くんを供に連れて大宮〜横浜間60キロ徒歩旅行にチャレンジした。
第一回目の冬、20キロほど歩いた練馬高野台あたりで、足の裏がパンパンに腫れてしまい、無念の途中棄権ということになってしまった。
その年の秋、「チキチキ鬼退治(シーズンセカンド)、ペキンダックちゃんを封鎖せよツアー2007秋」と題して、昭和くんを供に連れて、練馬高野台〜横浜の徒歩旅行にチャレンジした。
25キロほど歩いたあたり、横浜市都筑区の区役所あたりで、左足が痛くなって一歩も歩けなくなってしまった。
仕方がないので、そこからバスに乗って、昭和くんの肩を借りながら歩いて、中華街でペキンダックを食べた。
徒歩のトラウマである。
必ず足が痛くなる。坂本龍馬にはなれない、僕は。なのである。
尾瀬。25キロ歩いた。足は痛くならなかった。替わりに腰が痛くなりはしたのだけれど。
僕は歩けない人だと思っていたのだけれど・・・時は経った。
もしかしたら、坂本龍馬になれるのかもしれない、僕は。
風姿花伝。
数日前、目が覚めてアイフォーンの画面を見ると、小林麻央ちゃんが死んでしまったという旨のニュースが表示されていた。
なぜだかわからないのだけれど、涙がポロリとこぼれて、涙をポロリと流したまま、もう一度寝た。
ソクラテスはこう言った。
「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」
きっと、死は誰にでも訪れるものだし、きっと、死は禍ではない。
でも、なんでだろう。
大切な人が死んでしまうと悲しいのはなんでだろう。
きっとそれは、「もう逢えないから」なんだろうな。
ただ、それだけのことなんだろうな。
ただそれだけのことが、すごく悲しいなんて、不思議だなって、すごく想う。
二年前に、昭和くんは逝ってしまった。昭和くんにはもう逢えない。
僕がどこへ歩いて出かけようが、昭和くんはお供について来てはくれない。
「風姿花伝」を作り終えた時に、昭和くんが逝ってしまった事を知った。
自然と、風姿花伝が昭和くんへのレクイエムとなった。
昭和くんが生きていたとして・・・
僕がこう言う。
「センセイ、暇? 高知まで歩いて行こうと思うんだけど一緒に行く?」
昭和くんはなんて答えたかなぁ?
この二年間、何度も何度も、そんなことを考えたりしてる。
「風姿花伝」
声をからして呼んだ名前は 遠く遠く離れた君の
歩く道を照らすための 優しい灯りになりますように
空をゆくのは大きな雲と 薄紅の花の色
波打ち際をかすめるように 時の流れを確かめるように
色鮮やかに季節移ろい 胸に秘めたままの花を
寂しい色が儚く揺れて 胸を焦がすのでしょう
声も聞けないまま 何も言えないまま
少しまどろむように 無我夢の中のように
秘すれば花は 永遠に花で・・・
時の隙間を愛しむように 歩き疲れて僕らは眠った
声をからして呼んだ名前は 遠く遠く離れた君へ
今浮かぶのは千年先の終わらない夢の道
この手を振れないまま 何も持たないまま
風にまどろむように 夢花の海のように
秘すれば花は 永遠に花で・・・
花の運命を空に問いかけ 無言の空を少し睨んだ
花の名前は君が名付けた 誰にも知られないように
そっと・・・
声も聞けないまま 何も言えないまま
少しまどろむように 無我夢の中のように
声も出せないまま 唄も歌えないまま
涙一粒だけ 君に届くように
秘すれば花は 永遠に花で・・・