歩く主義。
歩く主義?そういうのがあるんですか?
えぇ、あります。歩く主義。
それ、なんなんですか?
歩くんです。ただ歩いて街を知るんです。
毎日毎日、よく歩いている。
毎日15キロくらい歩いている。
歩いて街を知れるわけでもないのだが、歩かなければ何も知らないと思っている。だから、ただただ歩く。
キョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
路地があれば入る。薄暗い怖そうな路地に入る。行き止まりそうな細い路地に入り、行き止まり、戻る。
色々な店がある。
色々な人がいる。
色々と話しかけられたりもする。
何を言っているのかさっぱりわからないが、分かるような気もする。
何を言っているのかわからないし、まったくわかった素振りを見せていないのに、延々と中国語で話し続ける人が多いのが、ちょっと気になる。・・・なんでだ?
ニーハオと言われれば、「こんにちは」と返す。
そうしなければ、無限中国語攻撃を受けるからだ。
ニーハオと言われて「こんにちは」と返しても、無限中国語攻撃を受けるのだけれどね。
鹿港と彰化という名の街を、今日は歩いた。
たった15キロ歩いたところで、何も知れるわけではない。ただただ、足が棒になるだけだ。
だがしかし、歩かないよりは知れる。街のほんの一部の景色なら切り取れる。
なぜ歩くのか?
道端に寝転がってるノラネコのあくびとか、風に吹かれてコロコロと転がるタピオカミルクのプラスチック容器とか、道端に座る乞食のおじさんの遠くを見つめる眼差しとか、そういうのは、バスや車や電車の中からじゃ見えない。
だから僕は歩くんだよ。
たたただ足を棒にして。
そして、もう、足が痛くて、歩けない。