ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

さよなら、はちみつカフェ。5

2019-05-19 04:36:27 | Weblog


働き蜂は働く。生まれてから死ぬまで、ずっと働く。なぜならば、名前が働き蜂だから。
しんぐくんはほぼほぼ働かない。産まれてから死ぬまで、ほぼほぼ働かない。なぜならば、名前が働きしんぐくんではないから。働きしんぐくんじゃなくて良かった。by しんぐくん。

ニホンミツバチの話。

働き蜂の寿命は短い。春から秋の蜜集めの時期でたったの30日。越冬の時期で三ヶ月ほどらしい。産まれて、一ヶ月で、蜜を集めまくって、ポロリンと死んでしまう。
それでも、その30日の間に色々とやることがある。その30日の天寿の中に、実に様々なドラマがある。

ちなみに、働き蜂はすべてメスの蜂である。

羽化したばかりの幼い働き蜂は、まず巣の掃除係になる。
巣の掃除係・・・羽化したばかりなのに・・・もう掃除。

巣の掃除係を卒業したら、次は育児です。育児係です。ベビーシッターです。卵や幼虫の世話をします。
女王蜂は1日に千個も卵を産むので、おそらく、掃除や育児の仕事量ったらないのかもしれない。うへぇ!また千個産まれてんじゃーん!って感じなのかもしれない。育児ってのは大変です。したことないけど。

育児の仕事を後輩に譲ったら、次は巣作りのお仕事です。大工さんみたいなものです。職人です。例の六角形の巣房を作ったりするわけです。巣作り職人たちがいて、絶えず巣房を増やしていくから、巣がどんどん大きくなっていくわけです。

女王蜂がどんどん卵を産んで、どんどん後輩たちが増えていくので、巣作り職人もすぐに卒業、次に待っているのは、ハチミツ製造の仕事です。

先輩、つまりパイセンたちが集めて来た花の蜜をハチミツにするのです。ありがとう働き蜂ちゃん。
働き蜂は、羽でハチミツを扇ぎます。扇ぎ続けます。ただひたすら。ただただひたすら。なぜか?

出来上がったばかりのハチミツには水分が含まれます。その水分を抜くために、羽で扇ぐのです。水分が抜けると、完熟のハチミツの出来上がり。六角形の巣房に蓋が付きます。

去年の秋に採蜜をした時に、蜜の入った蓋のない巣房が多く見受けられた。つまり、まだ完熟のハチミツではなかったということ。
完熟していないハチミツは、水分を含むため保存している間に発酵する。プクプクと泡が出てくる。少し酸味が出る。食べられないわけではないが、完熟のハチミツの方が断然美味しい。と僕は思う。
そこで、僕は、衣装箱の中に蓋を開けたハチミツの瓶を入れ、その隣に除湿剤を入れてしばらくの間放置した。ひと月くらい。除湿剤がほんのりと湿るか湿らないかくらいの水分が、ハチミツから飛んだ。僕は、完熟のハチミツを手に入れた。世界で一番美味しいハチミツ。

つまり、小さな働き蜂が、小さな羽を震わせて、巣の中で、完熟のハチミツを作っているというわけです。

そんなこんなで、様々な仕事をこなしているうちに、働き蜂の寿命は少なくなって来るのです。なにせ、たったの30日しかない。

「私たちも、そろそろ行きますか」と1000匹の仲間たちと声を掛け合うのかもしれない。

いよいよ外の世界へと出かけるのです。花の蜜を集めに。

外の世界には、外敵もいたりして、とても危険です。様々な仕事をこなし、もうベテランになった働き蜂たちは、「いざ!」と旅立ちます。わずか1センチちょっとのミツバチが2キロも先の世界へ蜜を集めに飛んで行きます。それはまるで、東京大阪間をノンストップで往復するトラックドライバーのようなもので、その間に敵がたくさん待ち構えたりしているわけで・・・そりゃあもう、危険だらけで・・・。
蜜集めの最中、多くの働き蜂が命を落としてしまいます。だから、寿命が短くなった働き蜂がその役を担うというわけです。

1000匹の同胞の蜂たちは、8の字ダンスで仲間に情報を伝えます。太陽の方角を基準として、カラダを振って進む方向を示し、カラダを振る時間で距離を示す。そうやってみんなで力を合わせて、少しずつ少しずつ花の蜜を集めていくのです。

時々巣箱の掃除をしてあげます。時々、働き続けて天寿を全うした蜂の死骸がポロリンと転がっているのを目にします。

蜂のドラマと、蜂のコロニーのスゴさを実感するというわけです。

ちなみに、蜂の生態やコロニーの仕組みなどは、まだ全然解明されていないわけで、きっと、今後も解明などされないし出来るわけもないと思ったりするわけでありまして・・・つまり、今書いたことは、誰かの想像の産物だったりするわけだったりするわけで、さらに僕の想像も加えてあったりするわけで。

そこんとこよろしくって感じなのであります。

あぁ、もう完全に朝じゃないか。って、感じなのであります。

ではまた。

爪は、なんのためにあるのか?僕は知らない。

2019-05-19 03:42:22 | Weblog


人間は、足の指の爪が何個かなくなったとしても、全然生きていける。それが人生ってもんだぜ、わかるかい?。by マルティン・ルーサー・シング。

2019年の始まりに風邪を引いた。風邪を引いて寝込んだ。風邪の症状はたいしたことはなかったのだが、少し気持ちが悪くて、その気持ち悪さがすごく嫌で、すごく気になった。

もう、風邪なんて、引きたくない。

それから、歩き始めた、僕は。風邪を引きたくないから。もう、気持ち悪くなりたくないから。

このブログの中で、遠くまで歩いたことを、何度か書いた。あの後も、何度か遠くまで歩いた。
隣町の豆腐屋まで、往復26キロ歩いたりもした。
最寄りの沿線の終点駅、地の果てと呼ばれる寄居駅まで、往復33キロ歩いたりもした。

でも、そんな僕は、こんな風に言われる。

「ねぇ、それがなんになるの?」

「ねぇ、それは、なんのためにやってんの?」

「ねぇ、それは、あんたみたいな暇な人にしか出来ないんだよ」

別にいいんだけど、そんな風に言われると、それなりに、少しだけ傷つく。

だから、まぁ、その後の遠路遥々道中記は、書かないでおいたというわけ。

でも、その後も、僕は歩いている。

たぶん、四ヶ月・・・120日くらい。連続で。休むこともなく。雨の日も雪の日も、歩いている。毎日毎日15キロくらい。最近は、あまりに忙しいので、10キロくらい。歩いている。

ここまでくると、辞める怖さとか、休む怖さみたいなものが顔を出してきて、可笑しい。だから、まだしばらくは、辞めないつもりでいたりする。

いつか、近い未来に、お遍路さんへ行きたい。だから、辞めないつもりでいる。

僕の足の爪。10本あるうちの4本が浮いてしまっている。
数ヶ月前から、爪が剥がれ始めた。歩きすぎで。
爪が剥がれて浮いてしまっているから、すごく痛い。
すごく痛い場合、歩かなければいいのだが、すごく痛いくらいで歩かないなんてバカみたいだから、爪が剥がれ始めた足の指にテーピングを巻いたりして歩く。だって、歩くと決めているのだから仕方がない。それが対処ってものだ。どこかが痛くても競技を続けるアスリートの気持ちが、少し理解できたりして面白い。

そして、僕の足の指の爪は剥がれ続け、4本、紫色になって、浮いてしまっている。歩き始める前にテーピングを巻くのが日課となり・・・。

数日前のこと。
日課のテーピング巻きをしようと足の爪を見ると・・・爪がピローンと・・・。

「あっ!爪、取れちゃってんじゃーん!」

右足の人差し指の爪が、ついになくなってしまった。

ガビーンとなった。

ガビーンとはなかったが、取れてなくなってしまったものは仕方がない。なくなった爪があった場所にガーゼを当てて、テーピングを巻いて、歩きに出かけたりして。10キロ、歩いたりして。

「へぇ、爪なんてなくてもへっちゃらなんだなぁ」・・・と、歩きながら思ったりして。

「じゃあ、爪は、なんのためにあるんだ?」と、歩きながら疑問に思ったりして。

なんの話をしてるんだ?って話だったりして。

継続は力なりって話をしたかったりするわけだったりして。

それは、なんの力になるんだ?って、ちょっと疑問に思ったりもしたりして。

まぁ、おれも頑張ってるから、みんなも頑張ろうねぇって、話だったりしたりして。

ではでは、今日はこの辺で。

また明日ね。

ライブまで二週間。

あっ、空が明るくなって来た。

下北沢lownで会いましょう。

6/1に、会いましょう(^。^)