9月21日(月)に天保山に登りました。シルバーウィーク(9月19日~23日)の中日です。
天保山で“登った”は可笑しいだろうって?
事実はそうだけど、国土地理院が山として地図に記載しているのだから、山頂を制覇したからには「登った」と言いたい!
こんな言い合いが何故おきるのかは、天保山を知っている人でなければ理解できないことだろうと思います。
8月のある日、女房と話をしていたときのことです。結婚して30年以上、神戸に住んでいるけど、大阪に遊びに行ったことがないという話になりました。そこで、今度のシルバーウィークに大阪で遊ぼうということになりました。
(「OSAKA海遊キップ・ガイドブック」より)
女房は海遊館に行ってみたいとのことであったし、私は、国土地理院が認める“日本一低い山”の山頂にある二等三角点を自分の目で確かめたいと思っていました。
天保山と海遊館のほかには、新世界・通天閣にもいってみようということになりました。
海遊館のサイトを調べていると、阪急電車での「OSAKA海遊キップ」が販売されているのがわかりました。普段、阪急電車に乗ることもないので、この際、阪急電車を利用することにし、仕事の帰り、阪急三宮駅で「OSAKA海遊キップ」を購入しました。
(左が「OSAKA海遊キップ」 右は同封されているガイドブック)
行程は、
阪急三宮9:41(特急)→梅田
大阪市営地下鉄 御堂筋線梅田10:12 →本町
大阪市営地下鉄 中央線本町10:27 →大阪港
大阪港駅から天保山マーケットプレースまでは徒歩5分なので、到着予定時刻は10:35
(「OSAKA海遊キップ・ガイドブック」より)
当日の朝は8:30頃に自宅を出発しましたが、事故で電車に遅れが出ており、海遊館に着いたのは予定より30分の遅れ。海遊館では入場整理券を配っており、手にした整理券に記載されていた入場時刻は12時10分。
整理券配布の列に並んでいる間に、天保山マーケットプレースの45店で使えるプレミアムクーポンを配っていました。
これは、天保山マーケットプレース総合案内所に「OSAKA海遊キップ」を提示すると貰えるとされていたものです。
海遊館入館までの間、隣接する「世界最大級」と称している大観覧車に乗ることにしました。
「OSAKA海遊キップ」とセットで貰えるガイドブックに、観覧車の割引クーポンが付いていたので、これを利用しました。
搭乗ゲートは10月31日のハロウィンで装飾されており、その前で記念写真の撮影を勧められ、いわれるままに撮影に応じました。今まで自分自身が被写体になることが少なく、照れ臭いものだと思いながら。。。
もともと高い所が苦手な二人なので、観覧車で「怖い、怖い」と言うばかり。眼下の景色なんか目に入らない。そんな中、私たちの乗るゴンドラがほぼ頂点に達したとき、観覧車が停止した。
(えっ?なに?)
「車椅子の方が乗られますので、約5分停止します。」
とのアナウンス。
(ひえ~ やめて~ ゆれてる~)
観覧車の通常の所要時間は約15分。今回は20分超。まだ時間があるので、マーケットプレースをぶらついて、うどん屋の“ぶっかけうどん”で昼食。
(しまった!クーポン使うの忘れた)
海遊館は15:00頃までいました。ビル7階建ての高さでのドーナツ型の二重の大水槽を、水槽に挟まれた回廊で上から1階まで下りながらの見物です。
(マンタ オニイトマキエイ)
(ジンベイザメ)
(マンボウ)
大きなジンベイザメやオニイトマキエイなどに驚嘆。
飼育員が潜水しての餌付けに感嘆し、ふれあいコーナーでエイを触ってはしゃぐ。動物は時間が経つのを忘れさせてくれます。
海遊館を出ると、すぐ傍の「天保山緑化公園」に向かいました。この公園こそが「天保山」本体なのです。
公園に入る石段を10段ばかり上がると、門と塀があり、その塀には江戸時代の天保山の様子が描かれています。
この塀の絵に感心しながら、公園の奥へと進むと、地面に埋め込まれた「二等三角点」を見つけることができました。
石畳に埋め込まれているのが、国土地理院が山頂であることを示す「二等三角点」です。 (国土地理院の地図はこちら。)
右側の小さな看板は、天保山山岳会の『登山証明書』発行の案内です。
天保山の概略については、後でお話するとして、ここには30分程度いました。
15:30過ぎ、天保山ハーバービレッジを後にし、大阪港駅から地下鉄で新世界・通天閣へと移動しました。
大阪市営地下鉄 中央線 大阪港天閣へと移動しました。→本町
大阪市営地下鉄 堺筋線 堺筋本町→恵美須町
(恵美須町駅から望む通天閣)
通天閣に上るのに1時間30分強の行列。筋向いの“串カツだるま”も長蛇の列。通天閣に上る人達に若いカップルが多いのには驚きました。
展望チケットを購入する際に「OSAKA海遊キップ」を提示して料金の割引をゲット!
展望台に上がって、先ずは“ビリケンさん”へ。
ビリケンさんの足を摩って健脚でいられるように願掛けをしました。
ビリケンさんを撮影していると、立て続けに3組の若いカップルから、
「シャッターお願いしていいですか。」
「いいですよ」
「すません。お願いします。」
「はい、どうぞ」
「私たちもお願いしていいですか。」
展望台からの眺めは、殆どがビル群ですが、北から東の方向には、遠景で生駒山や信貴山を望み、ほぼ東の眼下に天王寺動物園の森。この方向が唯一ホッとできる景色でした。
通天閣を下りたときは18;00を過ぎていましたので、続きはまた時間をつくって来訪することとし、帰宅の途に就きました。
<天保山の概要>
天保山は、大阪市港区3丁目の天保山ハーバービレッジに隣接した『天保山緑化公園』北隅にあります。 標高4.53メートル。公園に入る石段を10段ばかり上がります。地理的位置表示は、北緯34度39分29秒、東経135度25分58秒となります。公園で一際目を引く『明治天皇観鑑之碑』の東側が山頂になります。
国土地理院発行の地形図に山名が載っている山の中では日本一低く、山頂には二等三角点が立てられて(?埋め込まれて)います。
1831年(天保2年)から2年間行われた、安治川の浚渫・治水工事の際の土砂を河口に積み上げてできた人工の山で、当時は20mほどの高さがあったとのこと。標高がいまの高さになったのは、近年の地下水の汲み上げによる地盤沈下によるものとのことです。
山岳会があり、登山者が所定の手続をとれば『登山証明書』を発行してもらえるようです。山頂付近にある小さな掲示板に、その旨の記載があります。
11月11日は『介護の日』です。平成20年(2008年)7月28日に厚生労働省によって制定されました。厚生労働省は、事前に実施したパブリックコメントで最も支持が多かった、「いい日、いい日」にかけた『覚えやすく、親しみやすい語呂合わせ』でこの日にしたとのことです。
介護に直面し、苦労されている人達にとってみれば、“ノーテンキ”さだけが目につき、当事者目線ではない、運用側主体の形骸化してしまった現行制度への憤りを感じずにはいられません。
老老介護、認老介護、シングル介護、これらほどではなくても家族による『高齢者の世話』では世話をする役回りとなった特定の人に時間的、金銭的、精神的な負担が圧し掛かります。
2009年4月、介護保険の認定基準が改定されました。
この改定基準は、従来以上に介護等級への認定が厳しくなっており、介護施設に入所できる人が少なくなりそうです。今まで入所していた人も、認定基準を満たさなければ退所させられます。
訪問サービスやデイサービスの基準も厳しくなっています。
訪問サービスやデイサービスは、“無いよりはマシ”位のもので、同居する家族の負担は殆ど軽減できず、共倒れの危機が迫ってくるのは必至です。
また、サービスを受ける高齢者本人も、ヘルパーが来宅してくれるまで、不自由な生活を強いられます。
国民の多くが望んでいるのは、介護保険の基準に達していなくても、如何にも自立し健常そうに見える高齢者であっても、アクシデントに見舞われた時、必要な手助けをしてくれる人が傍にいることであり、それによって、傍にいる人の生活に大きな犠牲を強いることがない仕組みです。
行政が云うところの「介護」という感覚とは少し違うのではないでしょうか。
介護保険ができ、その適用基準が設定されることにより、それまで支援を受けていた人達の多くが切り捨てられることになってしまいました。「基準外」を理由に。
そのため、自宅で誰かに世話をしてもらう以外、生存の手段が無いのです。
世話をする人は、勤務先に介護休暇制度はあるものの、休職期間次第では生活のための収入を得ることができなくなります。行政が準備している保証はあまりにも小さ過ぎるのです。
作者不詳のポルトガル語で書かれた詩が翻訳され、歌にされたCD「手紙~親愛なる子供たちへ~」が大きな反響を呼んでいます。
子供に世話をしてもらう高齢者の“心の叫び”として共感を得ているようです。
子供や兄弟姉妹に世話をしてもらう高齢者の気持ち。その気持ちが分かりながら、日々の糧も得なければならない世話をする人の気持ち。世話をする人は高齢者を世話する時間と糧を得るための時間の狭間で精神的・肉体的に疲れ果て、世話をする人の家族間、兄弟姉妹間或いは世話をされる人との間で望まない諍いをもおこしてしまう。
少ない金銭的負担で、世話をする人をこのような表現し尽くせない負担から解放し、社会資本形成活動に貢献してもらえるようにすることが行政において必要な施策ではないでしょうか。
40歳以降の人は介護保険料を健康保険料と一緒に徴収されます。
高齢者が病気治療で病院に入院しても、医療制度が定める退院時期に、退院後の自宅療養ができる状態になくても無理矢理退院させられる人が沢山います。
自宅で世話をしてくれる者がいない人にとっては死活問題に直結するような制度運用です。
介護保険が導入されて以降、医療制度も改定され、若い、健常者が病気になって入院治療したときをベースに退院時期を判断し、その後、入院し続けるのは『医療行為が伴わない入院』として退院させられます。
この時、病院側からは、
「自立して自宅療養できないからといって病院に入院させ続けることはできない。病院は特別養護老人ホームではない。」
「そういう人は介護施設に入居して下さい。」
と言われます。
「入院していたければ何か医療行為=手術をさせろ」
と迫ってくるとんでもない病院もあると聞きます。
独居の高齢者が退院を前に入居施設を探しても、
「入居基準に合致しない」
「申込みをしても、300番目の順番待ち」
などとして、即時受け入れてくれる施設が見つからないケースが殆どです。
運よく入居できる施設が見つかっても、入所後に“寝たきり”状態になったときには退所することが条件となっている施設が殆どです。
身柄を引き取り、生活の介添えをしてくれる人がいない者にとっては“野垂れ死に”を迫られているのと同じことです。
保険料を払いながら、この扱われようは正に“踏んだり蹴ったり”と言うのではないでしょうか。
北欧の国のように、一定の年齢に達したなら、そして老人・老夫婦自身の判断で独自の生活に不安を感じたなら、自宅を引き払い、いつでも入居できる公設の老人ホームが準備されている。
老人ホームの費用は、受け取る老齢年金から一定額を手元に残した残金を納入すればいい。
入居後は、身体の状態がどのようになろうとも、生活・生存補助者が常駐しており、そこで終(つい)の時を迎えることができる。
核家族化が進展し、二世帯以上が同居しない、いや、同居できないのが当たり前となった現在、そんな公設の老人ホームが望まれているのではないでしょうか。
行政、自治体には公共投資・公共事業費をこのような老人ホームの大幅な増設と施設運営、要員の確保策に優先的に充てることを実施してもらいたいものです。
今後30年間において発生する、生活補助・介助・支援・介護を必要とする人は、わが国の戦後復興~高度経済成長に貢献してきた人々であるということを真摯に受け止め、優しさのある福祉社会を実現して欲しいと思います。福祉が充実すれば、少子化にも歯止めがかかると思います。
今のままいけば、わが国の経済成長に貢献すべき層が、高齢者を世話する負担で潰れてしまいかねません。いや、既に潰れ始めているといっても過言ではないでしょう。
公設の老人ホームを増設する公共投資(箱物の建設)により、地域の経済は活性化するだろうし、公共事業運営としての老人ホームの職員が大幅に必要となるので、失われた10年において放置されてきた人達を含め、仕事を必要とする人の職場を創造することにもなります。失業率低下にも十分貢献できると思います。
“職員には介護士の資格が絶対に必要”とか、“公の施設の職員は公務員”といったような硬直的な運用には早々に別れを告げるべきだと思います。
先ず必要なのは日常的な生活補助者なのですから。
グループウェアLotus Notes/Domino R6.5のユーザー企業が、2010年にサポートが終了することで悩んでいるようです。
失礼ながら、私は「えっ!? R6.5 ?」という反応でした。“R6.5”は2003年秋にリリースされたものです。私の記憶が違っていなければ6世代前のバージョンです。最新のIBM Lotus Notes/Dominoのバージョンは“R8.5”です。“R9.0”のリリースもさほど遠くないと思われます。
Lotus Notes/Dominoは、1989年にLotus社より世界初の商用化クライアント/サーバとして「Lotus Notes 1.0」がリリースされました。
1996年、「Lotus Notes 4.5 Client」と「Lotus Domino 4.5 Server」がリリースされました。これを機に、サーバ製品とクライアント製品が明確に区別され、総称として「Lotus Notes/Domino」というようになりました。
20002年のLotus Notes/Domino R6では、「iNotes Web Accessサーバ(現、Lotus Notes/Domino Web Access)」がリリースされ、メッセージング機能へのアクセス性の拡張。J2EE(Java 2 Enterprise Edition)への対応等がなされました。
2003年のLotus Notes/Domino R6.5では、Client機能が改善され、“Sametime Instant Messaging”との連携や在籍表示機能が提供されたほか、メールクライアント機能の追加、サーバ管理機能、セキュリティの強化が施されました。
2005年8月にLotus Notes/Domino R7、2007年8月にLotus Notes/Domino R8、そして2009年1月にLotus Notes/Domino R8.5がリリースされました。
国内では多くの企業、団体がサポート切れになるR6.5に留まっているものと思われます。そのユーザー企業、団体の悩みは、
①現状の情報資産(独自開発したApplicationとDB)を移行コスト、工数をあまりかけずに保持し続けたい
②ユーザーインタフェイスを中心に、使い慣れたシステムを変化させることへの社内ユーザーの抵抗が大きい
の二つが大きな要因であり、アップグレードすべきかどうか、或いは別のグループウェアに変えるかどうかで悩んでいるのではないかと思います。
PCでの、Windows98からXPへの移行になかなか踏み切れなかったのと同じ思考形態にあるように思えます。
現在のR6.5ユーザーが今後とるべき道は以下の三つの内の一つになると思います。
①サポートなしで、R6.5を使い続ける
②他のグループウェアに移行する
③Lotus Notes/Domino最新バージョンにアップグレードする
バージョンアップの場合でも、 DBの数が多いと移行コスト、工数が膨らみます。
IBM側はコンバージョンツールで8割方は移行できると言いますが、実際には5~6割というのが、私の実感です。残りは手作業での作成し直し、テストの実施となります。
基本的に、グループウェアは情報共有ツールであって情報蓄積ツールではないと思います。情報蓄積には「文書管理サーバ」など別のツールが必要かと思います。
最近ではグループウェアや共有DBを連携して抱え込む、ポータル&/orコラボレーション&/orユニファイド・コミュニケーション&/orソーシャル・コンピューティングなどのツールもIBM Lotusからリリースされています。
情報システムは社員に必要不可欠のツールとして利用され、時代遅れにならないように維持更新してこそ価値があるものだと思います。今では、IT統制にも対応していかなければなりません。毎年の投資可能範囲で、段階的にmodernizationしていきたいものです。
今日、11月7日(土)は「立冬」です。
朝からよく晴れていて、絶好の行楽日和です。2日、3日とは打って変わったような天気です。日本全体が高気圧に覆われ、過ごし易い陽気になっているようです。
11月2日(月)に吹いた北風は「木枯らし一号」だったようです。立冬より先にやって来ました。
「春一番」は二番、三番と気象庁による発表がありますが、木枯らしは「一号」のみとのことです。春は待ち望む人が多く、二番、三番と吹くたびに春が盛んになっていくと喜ばれるが、寒く乾燥した冬は敬遠されがちなので、一号の発表のみに止めているらしい。
「木枯らし」とは、太平洋側地域において晩秋から初冬の間に吹く風速8m/s以上の北寄りの風のことで、気圧配置が西高東低の冬型になっています。
立冬は二十四節気の1つで、11月7日頃です。太陽の見かけ上の通り道である黄道を、春分点を起点に360度に分けた「黄経」が225度のときで、初めて冬の気配が現われてくる日とされています。
二十四節気は、黄道を15度毎に分割して定められています。
気象庁は、10月半以降、気圧配置が西高東低の冬型になり、最初の風速8メートル以上の北よりの風が吹くと、その風を「木枯らし一号」と認定し、発表します。
気象庁による「木枯らし一号」の発表は、関東地方(東京管区気象台)と近畿地方(大阪管区気象台)でしかされません。
「木枯らし一号」も「春一番」と同様、強風のほか、雨、高波、急激な冷え込み、降雪等による被害をもたらすことがあります。11月は始まったばかり。気象庁の発表はありませんが、二号、三号と吹く可能性があります。油断せず、十分な対策が必要です。
過去5カ年間での「木枯らし一号」が吹いた日は次のとおりです。平年より7日程度、昨年より16日早い到来です。
関東地方 |
近畿地方 |
|
2004年 |
11月13日 |
11月27日 |
2005年 |
11月12日 |
12月5日 |
2006年 |
11月12日 |
11月7日 |
2007年 |
11月18日 |
11月18日 |
2008年 |
11月 1日 |
11月18日 |