スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

教育界の在り方について

2010-04-24 11:07:25 | 日記・エッセイ・コラム

  教育現場が騒々しい。既に廃止されたが、「ゆとり教育」を実施し、学校での授業時間を減少させても、子供達にゆとりは齎されず、教職員もカリキュラム準備以外の仕事で振り回されていたようです。
  結果として学力低下が顕著になったとして「ゆとり教育」制度は廃止となりました。
  子供達の学力低下は本当に「ゆとり教育」が原因だったのでしょうか?
  「ゆとり教育」に限らず、教育制度の問題の多くは、運用側(文部科学省、都道府県・市区町村の教育委員会)に帰すべき責任が大きいように思います。

  今また、公立高校での「中高一貫教育」が如何にも優先導入すべき制度であるかのように唱えられ、附属中学校を設立し、運用を始めた都立高校があります。
  これは、純粋な教育の充実というあり方ではなく、少子化時代における生徒囲い込み策、大学進級率向上策としか映りません。

  親の側では、俗な言葉遣いをすれば、「いい学校」を卒業して、「いい会社」に就職させれば、わが子の将来は安泰であるとの考えが根強いのではないでしょうか。
  現実の社会を見る限り、これを否定する材料はあまり見当たりませんが、逆に肯定する材料も見当たりません。
  この考え方は『昭和モデル』と言えるのではないでしょうか。『平成モデル』は未だ構築されたようには思えませんが、現在既に、この構図は崩壊しているのではないでしょうか。



2010_03_06

 

     36日付け朝日新聞の記事でも分かる通り、ゴールであったはずの企業は新卒者の全てを吸収するに足りる雇用維持力を大幅に減少させています。

  ロストジェネレーションに代表されるように、新卒採用の機会を逃した人はフリーター・非正規社員としての就業機会しかない。一旦企業に就職した人も「休暇がとれない」「サービス残業当たり前」といった会社の将来に不安を覚え離職し、フリーター・非正規社員になってしまう。  一旦非正規社員の道に入ってしまうと、正規社員への道は閉ざされてしまう。挙句に老後における補償も細り、先が見えない状況に陥る。
  こんな状況の中で、教育制度だけを論じるのは片手落ちも甚だしいと思います。

  しかし、こんな状況にありながら、親達は何故学校教育以外の
学習塾進学塾などに大枚の費用を投じて、子供達を通わせるのでしょうか。
  未だ、『昭和モデル』から離れられない状況が教育界にあるからではないでしょうか。

  そして、国は今年、高校の授業料無料化を実施しました。教育制度構造の見直しを徹底的に行った結果での必要性とは考え難い、政権政党のマニュフェストの実現を優先化した措置としか考えられません。

  義務教育である小中学校、そして任意教育である高校の各段階で、十分な教育がなされるなら、子供の生活にも、親の家計にもゆとりができるのではないでしょうか。
  『学習塾や進学塾を必要とする根本的な原因は何か』を見極め、改革することが第一の課題ではないでしょうか。

  文部科学省は昨年(
2009年)73日付けで「教育安心社会の実現に関する懇談会報告書~教育費の在り方を考える~」を公表しました。
  これは、
幼児教育の無料化、高校生の授業料援助、大学生の授業料や入学金の減免措置の拡充や奨学金貸与事業の充実など、教育費の負担軽減策をまとめたものです。親の収入格差が、超えがたい教育格差に繋がっているとの現状認識を前提にしたもので、年間1兆3千億円程度の国家予算が必要としています。

  本当に低所得である家庭の子には、国による教育費援助策が必要と思います。しかし、全員に均等にばら撒く必要性があるのでしょうか。
  教育費援助策とは別に制度改革も必要ではないでしょうか。

  『昭和モデル』での問題点は、入学希望者を振り落とすための入学試験と、行政がこれに加担したセンター試験、言い換えれば、入学定員制を必要とする大学の「卒業定数充足制」ではないでしょうか。(一定数を卒業させることで、大学に補助金が支払われる)

  いきたい大学に無試験で入学できれば、つまり大学入試が無くなれば
進学塾も必要なくなる。小中高で入試を気にせずに、人格と人材育成に必要な教育を施すことができる。
  大学の8年間という在学年限を廃止し、それぞれの大学で定める進級検定・卒業検定基準を厳正に適用する。進級できない者は学費を負担することが可能な限り、同じ大学で卒業できるまで頑張るか、さもなくば、自己の能力で進級できるレベルの別の大学に自由に転校・編入することができる(当然、編入学費が一時費用として必要)。学生個々の事情に合った就学の仕方、卒業の仕方を学生自らが選択できる。

  このように、最終かつ最高学府である大学の制度を変えることにより、小中高全ての教育の在り方にも自由度が増し、既得権の構造も解消され、教育費全体も低減することができるのではないでしょうか。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生存権を考える

2010-04-17 09:57:38 | 社会・経済

「以前にリリースした『介護保険で齎された反福祉社会『景気回復の決め手は』『最低賃金』等の中で、生存権に関わる問題である旨の提議がなされていたと思うが、生存権とは一体どういうものなのか。」
といった質問にお応えしたいと思います。

  うまく応えられればいいのですが・・・


  生存権は、日本国憲法
25条が該当します。
  第
25条を考えるにあたっては、第13条も合わせて考える方がいいでしょう。
  また、第
25条第2項は、第1項を保障する政府の義務を明記したものです。これによって、政府が何らかの権利を国民から取得しようとするものではありません。



Photo



  世界の歴史において、憲法制定の初期の目的は、国家が市民生活に干渉することを防ぐことでした。

  その後、市場経済が発達し、巨大資本が現れることにより「もてる者ともたざる者」との格差が拡大し、個人の努力だけでは生きることすらままならない状況の人々が出るようになりました。このような経済的弱者を救済するため、生存権などの社会権が生まれました。

  日本国憲法第
25条は、個人がどんなに頑張って努力しても生きることが困難な人々に対して、あくまでも、いずれ一人一人が自立していくための支援を国に求めるものであり、国に依存すること、国が依存させ従属させることを当然としたものではありません。

  ワーキングプアなどの貧困層の出現、失業者の増加、高齢者介護における切り捨てなどは、行政の不備によって作り出された貧困や困窮だといえるのではないでしょうか。

  企業理論が罷り通った政策や認可等を始めとし、国民を貧困や困窮に導くような政策を実施させないように、私たち国民は一人一人では微力ですが、選挙での投票や言論活動によって初めて、国をコントロールすることができるのだと思います。

  憲法
25条は、国に貧困や困窮を救済してもらう依存的、恩恵的権利を保障するものではなく、理不尽な政策や社会構造を排除する権利だと思います。

  現在の社会構造上の問題を議論するとき、一つ一つの事象を議論する前に、このような全体観を共有することが重要だと思います。





<関連記事>

介護保険で齎された反福祉社会2009.11.21

景気回復の決め手は2009.12.5

最低賃金2010.1.23




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PCで民放ラジオが聴ける/radiko.jp

2010-04-10 10:59:46 | デジタル・インターネット

  先月(20103月)15日、パソコンがそのままラジオ受信機となる「IPInternet Protocol)サイマルラジオ」の実用化試験配信サイト「radiko.jp」が公開されました。

Pc

      パソコンでラジオが聴ける!
          ネットにつなげば、いつでもどこでもnow on air!




  ラジオといえば、40年前、私が青春時代には大泉学園(練馬区)で毎夜「オールナイト・ニッポン」を聴いていました。パーソナリティは「ゴロちゃん」こと糸井五郎氏や「カメちゃん」こと亀渕昭信氏などで、今では懐かしく思うばかりです。現在も毎日ラジオを聴いています。洗面所だったり、車の運転中だったり、ダイニングルームだったり。やはり私の年代はいつまでもラジオリスナーのようです。


  今回インターネットで開始されたサービスは、
20091215日に設立された「IPサイマルラジオ協議会(The Association of IP Simulcast Radio)」によって試験的に運用開始されたものです。

  この
IPサイマルラジオ協議会には、以下の会社が会員として参加しています。

  株式会社
TBSラジオ&コミュニケーションズ
  株式会社文化放送
  株式会社ニッポン放送
  株式会社日経ラジオ社
  エフエムインターウェーブ株式会社
  株式会社エフエム東京
  株式会社
J-WAVE
  朝日放送株式会社
  株式会社毎日放送
  大阪放送株式会社
  関西インターメディア株式会社
  株式会社
FM802
  株式会社エフエム大阪
  株式会社電通(事務局)


  在京民放ラジオ7局
  ・
TBSラジオ
  ・文化放送
  ・ニッポン放送
  ・ラジオ
NIKKEI
  ・InterFM
  ・TOKYO FM
  ・J-WAVE
  在阪民放ラジオ6局
  ・朝日放送
  ・毎日放送
  ・ラジオ大阪
  ・
FM COCOLO
  ・FM802
  ・FM OSAKA
の地上波ラジオ放送をCMも含め、そのまま同時にそれぞれの放送エリアに準じた地域に配信するサイマルサービスです。

  配信エリアは、
  ・在京7局が東京、神奈川、千葉、埼玉
  ・在阪6局は大阪、京都、兵庫、奈良
となっています。

  インターネットに接続した
PCで、お気に入りのラジオ番組を聴きながら、文書作成などができ、とても喜んでいます。

  とにかく、ラジオ受信機よりも音がいい。
  エア・チェックではないので、雑音が入らない。

  インターネット・サイトのトップページの最下段に表示されているラジオ局を選んで、〔
listen now!〕をクリックすれば、選んだラジオ局の放送を聴くことができます。

  今日と明日の番組表も準備されていて、番組表からも
radikoプレイヤーを起動することができます。

  一般の会社や個人がネット上でラジオ局を名乗ったインターネットラジオと違い、大手放送局が電波で流す放送と同じ番組などを同時にネットにも流しているのが嬉しい。

  先にも言いましたが、例えば大阪で東京の放送が聴けるかと言えば、そうはいかない。接続している
PCの場所を自動的に探し出して、その地域で受信できる通常のラジオ放送しか聴くことができません。この点が少し残念です。

  試験期間は
9月末までで、10月からは実用化に入る予定とのことです。

  実用化される
10月までには、現在未解決のニュースや音楽の権利問題なども解決されているものと思います。


URL> http://radiko.jp/


      ラジオ 聴くぞ!!




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ODAを考える

2010-04-03 10:49:29 | 社会・経済

1955年(昭和30年)11月の戦後保守合同で結党された自由民主党が54年間担ってきた政権が、2009年(平成21年)916日、民主党に交代。」

Photo_2

「民主党は今後実施する事業仕分けにおいて、ODAも対象にするとのことで、大いに歓迎ムードではあるが、従前より不思議でならないことがある。例えば中国。わが国からODAやアジア開発銀行による資金援助を受けながら、他の国に援助を実施している。同じことなら、中国への援助を止めて、中国が援助している国へ、わが国から直接援助を行う方が理に叶っていると思うが、どう思う?」

  「どう思う?」って、かなりの無茶振りとは思いますが、わが国の
ODAについて確認することによって、この問いかけに、少しは応えられるのではないかと思います。

    ODAとはOfficial Development Assistance(政府開発援助)の頭文字を取ったものです。政府または政府の実施機関が、開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立てるために、資金や技術の提供を行うことです。提供先は開発途上国(二国間援助)または国際機関(多国間援助)になります。

  有償資金協力(円借款:貸し付け)については
OECF(海外経済協力基金)が担当し、贈与についてはJICA(国際協力事業団)が担当しています。


  わが国は、戦後は
ODAの受け手でした。その後、戦後賠償の意味での出し手となり、援助の主旨・理念が整備されて今日に至っています。

  中国に対して、戦後賠償がなされていないことを不思議に思われるのではないかと思いますが、終戦後、中国は敗戦国に賠償を求める権利を放棄したからに他なりません。このことは日本国内ではあまり知られていません。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)覚えている世代の人数が減少している。)

  さて、中国の
ODAですが、200710月、米国の対外経済援助研究機関の「グローバル開発センター」が発表した調査報告では、中国の対外援助が年間約20億ドルに上り、アジア、中南米、アフリカなどの諸国への経済援助を増大し始めたことを指摘しています。
    20億ドル(2007年当時で約2300億円)は日本の平成19年度(2007年度)のODA総額の約3分の1に相当します。日本は今も中国に年間1000億円(約8.7億ドル)程度の援助を供与しており、中国はその倍以上の額を他国に供与するという奇妙な現象が続いているのです。

  質問の着眼点はこのことだろうと思います。

  同報告書はさらに中国の援助が欧米諸国や日本の
ODAとは異なり、受け入れ国に政治的透明性、人権尊重、腐敗防止、環境保護、経済管理の円滑さなどの条件をつけていないことが特徴だとし、その分、自国側の政治、戦略の狙いを顕わにして追求できると述べています。


  日本政府は、中国への
ODAに関する国民からの批判を受け、有償資金協力(円借款)と無償資金協力について、2008年度を最後に打ち切りとしました。
  しかし、国民向けには対中国
ODAを削減すると表明する一方で、アジア開発銀行を経由した対中国援助を増加させることでODAを補完する方針を打ち出しています。アジア開発銀行を経由した対中国援助は1986年から2007年までの間に23000億円が行われてきましたが、さらに2008年から2011年までの間に5000億円の資金援助を行うとしています。


    54年の永きに亘る自民党政権下での官僚らしく、国民への説明がなされないまま、『アジア開発銀行による資金援助はODAではない』という理屈で、すり替えを見事遣って退けたと言えるでしょう。


    200911月、米軍沖縄基地撤退による基地跡地の原状復帰費用を日本政府が肩代わりするという、日米政府間での国家機密レベルの密約があったことが明白な事実となりました。

  これと同様、戦後のわが国政府と中国政府との間にどのような申し合わせがあるのか知る由も有りません。
  わが国政府は、中国は勿論のこと、他の国々に対する援助や協定について、国民に対する秘密主義を早々に撤廃し、実施に至る背景や妥当性を分かり易く十分に国民に説明し、詳らかにする義務があるのではないでしょうか。



〔参考〕

外務省・外交政策・
ODAのページ

外務省・
ODA総合戦略会議に寄せられた意見の概要









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする