2018年6月15日付けの朝日新聞朝刊に次のような記事が載っていました。
この記事自体がとてもセンセーショナルなものですが、私が惹かれたのはそれ以外のことにです。
最近、スマートフォンが普及し、スマートフォン用のサービスも沢山提供されています。そのせいばかりとは言えないとは思いますが、利用する人に危機感が不足しており、そのための事件が多発しているように思います。
この記事の最後に、甲南大法科大学院の田寿教授の言葉が記載されています。私もこの考え方に賛同です。
使う側も、『できるからやる』ではなく、『社会的に認められるかどうか』をまずは考えるべきだ。」
その通りだと思います。人が人に係る場では、あらゆることに、常に求められることだと思いますが、“社会的に認められるかどうか”・“人として正しいことをしようとしているか”という、一歩踏み止まった考えが必要だと思います。
ネット社会では、発信者の秘匿性を高めることが重要になると、古くから謂われています。今、ネットを利用している人の多くは、自身が何者か、すぐに判明するやりかたをとっているようです。
・“インスタ映え”するから、他人の迷惑も顧みず、撮影第一の行動をする。
・SNSの相手に脅されたり騙されたりして、自身のヌード写真を自撮りして、メールで送付する。
・写り込んだ人のプライバシー保護処置をせず、写り込んだ人に許可をとらないで、その写真をSNSにUPする。
・写り込んだ建造物などで、自身がどこにいるかSNSを観る人にはすぐわかってしまうことへの留意を怠っている。
など、SNSを利用するなら、ここに列挙したこと以外にも多くの注意点があろうかと思います。
まさに、この新聞で田寿教授が注意喚起するとおりだと思います。
スマートフォンがあれば、簡単にネットサービスを利用することができます。
まずは、自分自身の安全を確保することを考えてほしいものだと思います。
次に、社会的な迷惑行為をしてないかどうかを考えてほしいものだと思います。
更に、ここでは取り上げられていませんが、ネットサービスを提供する側にも、「開発趣旨と違った使われ方をするかもしれない」。そして、「その使われ方は社会的に認められるかどうか。人として正しいことをしようとしているか。」を考えて、問題ないと判断できた場合に限り、サービス提供を開始するといった考え方・方法の設定が必要だと思います。(安易な「YES」・「NO」式ではダメ!)
ネットサービスにおいては、サービス提供者とサービス利用者の双方が、「その使われ方、その使い方は社会的に認められるかどうか。人として正しいことをしようとしているか。」を先ずは考えるようにすれば、ネットを切っ掛けとした事故や事件は起きないのではないかと思います。